負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬だってファッキンジャップ!くらい分かるよ!バカ野郎「BROTHER」

フジヤマ、ゲイシャ、ヤクザにハラキリ、ニッポンのあるあるトピックをレシピに、アラカルト風に料理した北野武流インターナショナル任侠映画

(評価 65点)

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高倉健の「ザ・ヤクザ」の弟分みたいな映画?

 その昔、アメリカに、ニッポンの任侠映画がやたらと好きな変な奴がいて、それが高じてニッポンの任侠映画そのままのヤクザ映画の脚本を書いた。ところがひょんなことからワーナー・ブラザーズというメジャーの会社にその脚本が買い取られ、おまけに願ってもない高倉健主演で映画化された。それこそが、今もカルトとして名高い米国産任侠映画「ザ・ヤクザ」だった。そして、これはまた今に至ってもこの負け犬が愛してやまないサブカル映画の一本でもある。因みにこの脚本家が、後に「タクシードライバー」を書き上げるポール・シュレイダーなのも良く知られた話。

 

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 方や本作「BROTHER」は、「HANA-BI」で世界を制し、「菊次郎の夏」で再び映画ジャーナリズムを歓喜させ、乗りに乗っていた世界のキタノがその名の通り、日本を飛び出しアメリカンスタイルのムービー・メイキングの現場に唐獅子牡丹ばりの殴り込みをかけた意欲作。

 いずれも同じ任侠映画なのに、「ザ・ヤクザ」ではアメリカン・クルーたちが大挙して東洋にやってきて70年代の日本という世界を切り取ったのに対し、本作ではジャパニーズ・クルーたちがLAに乗り込んでムービー・メイクを実地で行ったというまったく逆のベクトルを持つ映画と言える。

 かくいう負け犬も当時、北野武監督にはすっかり心酔し入れ込んでいたこともあって、胸をワクワクさせながら劇場に足を運んだのだった。

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ファッキン!ジャパニーズにずっこけた

 本作の話は単純、日本の組からドロップアウトした幹部クラスの山本(ビートたけし)が、新天地LAに逃れ、実の弟ケン(真木蔵人)の元に身を寄せる。たまたま山本がドラッグのいざこざで揉めていたケンを助けたことから、山本は、身内もろともチンピラ同然の身から、マフィアに一目置かれる勢力に成り上がっていく。

 要は、あのデ・パルマの「スカーフェイス」を思いっきりスモール・スケールにしたような映画と言えばいいか。そして、悲しいかな映画そのものの出来もVシネマを心持、ビッグ・スケールにした程度の出来にとどまってしまった。

 何と言っても序盤のヤクザをめぐるアラカルトが、まるでショー・ケースのように薄っぺらなのにはずっこけた。本家の組での継承杯の儀式然り、まるでジャパニーズのイントロダクションのプロモ映像を見ているかのように、終始、ワザとらしいのだ。元は仇敵、今度は身内となる、対する幹部連中に、腹に一物あるとナジられ、大杉連演じるヤクザの幹部が、「本当に腹が黒いか見せてやる!」と一喝して、いきなり腹を切る・・・?。そんなバカなヤクザがいるわけなどない。もう、このシーンを見た途端、それまでの本作への期待どころか、北野監督へのリスペクトすら急速に萎んでいったのを、今でも克明に覚えている。

 その後のLAのシークェンスもむべなるかな。チンピラ同然のヤマモトたちが、マフィアの幹部連中との顔合わせの席で、いきなりイタリアン・マフィアの幹部連中を「ファッキン!ジャパニーズぐらい分かるよ!」との決めゼリフを吐いて皆殺しにする。直後、山本たちに、すかさずリムジンがあてがわれ、何故か山本たちは、たちまちイタリアン・マフィアと対等に渡り合う顔役になっている・・・?。イタリアン・マフィアの世界って、下町の不良程度にそんなに層が薄いの?って思わずツッコミそうになりました。

 リアリズムなど欠片もない、すべてが表面的にヤクザ的マフィア的なトピックを並べてカタログにしただけといえばいいか。

 

エスト ミーツ イース

 「ザ・ヤクザ」も確かに言うなれば西洋人からニッポンを、任侠という色眼鏡を通して見たカタログ映画。しかし、負け犬が魅了されたのは、義理がObligationという単語で表現されるほどの日本と任侠を理解しようとする杓子定規な律義さが、ファンタジーにまで昇華している奇妙な不思議さそのものだった。

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 高倉健さんの長年の知り合いのアメリカ人が住む日本家屋にこれみよがしに飾られている日本刀。下のタンスの引き出しを開けたらぎっしりとピストルが入っている。健さんとローバート・ミッチャムが対峙して真剣に会話する向こうを、虚無僧が尺八を吹いて優雅に歩く。そして、きわめつけは、映画のラスト。ミッチャムが健さんへの義理掛けのために、まるで小指の爪を切るように、エンコを飛ばしては、うっすらと汗をかいただけで落ち着いている。

 でも、これらはあくまでも、それなりに真面目に日本を理解しようとして、トンチンカンになっていることが分かるから憎めない。それにちょっと距離を置いて眺めてみたらファンタジー映画と言えなくもないところがマイカルトの壺にはまったのだ。

 対する「「BROTHER」は、最初から、フジヤマ、ゲイシャにヤクザにテンプラ、おまけにハラキリまで見せときゃ、青い目の人たちには受けるだろう的な安直な色気が全編に見え隠れして仕方ない。ただ、本作、製作費が10憶だけに、超高級なVシネマを眺めていると思えば楽しめないこともないし、カタログ映画だと割り切って見れば、シックに決めたビートたけし久石譲さんの音楽のコラボが相変わらず魅力的なのは事実、ただ、Vシネマ以上のものでもないこともまた確かなのは、ちょっとなぁ~、と言うところ。

 あの「3-4X10月」で驚嘆し、そのセンスに一時期、惚れぬいた北野監督だけに、一抹の寂しさは隠せなかったというのが正直なところ。現実、本作以降、センシビティなエモーションが枯渇した作品を撮り続け自滅した。

 復活は、奇跡でも起きない限り有り得ないのでしょうね~TVを舞台にしたそのパーソナリティそのものは健在で、好きなことには違いないだけに残念なところです。

 

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