負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬たちはどこまでもギラギラする!香港映画界きっての狂い咲きのニューウェーヴ「ミッドナイトエンジェル/暴力の掟」

この熱さに血液までもが沸騰する!香港映画が新時代を切り開いたビッグバン!異様なまでの狂い咲きの感覚に五感まで刺激されるワイルドな傑作

(評価 80点)



 

第一類型危険

 火遊びするな!その昔、愛読していた「スターログ」に、当時、SFカルト系映画専門の国際映画祭として一部の映画マニアでは有名だったアボリアッツ国際映画祭のエントリー作品の紹介記事が定期的に載っていた。その時、小さいながらも紹介され激賛されていた時の本作のタイトルが「火遊びするな!」だった。

 しかし、香港映画の本作の原題は、「第一類型危険」。B級映画フリークならこのタイトルにゾワゾワとそそられるものを感じはしないだろうか?そして、そのアンテナに呼応するかのように本作は、すべての限界をブチ破るかのような荒々しいパワーとワイルドな興奮に満ちている傑作といっていい。

 監督は香港映画界きっての俊英ツイ・ハーク。本作製作当時29才だったツイ・ハークが香港映画の新たな地平を切り開くべく野心の全てを本作に注ぎ込んだ。そのせいか、本作は、それまでのイモっぽい香港映画のスタイルとはまるで違うカミソリのような切れ味のニューウェーヴとしか形容しようのないテイストになっている。

 もともと、韓国にせよ香港にせよ、その映画のお手本は日本映画だった。この作品にもあの70年代の日本映画特有のゴキブリのように油ぎった猥雑なパワーに満ちている。



野良猫ロック

 本作の登場人物は一人の少女と3人組のワルにもなりきれないヘタレそのままのひ弱な若者。その3人組が、遊び半分に親の車を勝手に乗り回している最中、起こした人身事故。それを見かけた少女が若者たちを恐喝したことから、とてつもなくワイルドな歯車の暴走が始まる。

 この少女が実にエキセントリック。冒頭、飼っているハツカネズミの頸部に縫い針を突きさしてネズミが悶え苦しむところを冷静に見つめているような異常な少女なのだ。その少女がどこまでも3人組を追い詰め、凶行に走らせていく。まさにこの少女、70年代の日本のプログラムピクチャーに必ず出てきたようなズベ公そのままといっていい。

 そんな少女に脅され、3人組バスジャックをしたことからプロットがシームレスに急展開していくところが見もの。その犯行後、逃げる途中出くわしたのがベトナム帰りの傭兵たちからなる犯罪シンジケートの一味で、その一味が持っていた資金源の証券を少女が奪ったことから、全くのシロウトの若者たちは、シンジケートに追われることになる。

 とにかく本作、その畳みかけるようなスピーディな展開と、アクションの切れ味、キャラクターたちのクレイジー度など、どこをとっても一味違うパワーに満ちている。

 そして、そのパワーがクライマックスに至って爆発する。少女の兄の刑事、そして組織に雇われた殺し屋たち、さらにどこまでも逃げる若者たち、パラレルに描かれていたキャラクターたちが、山の中の墓地に集結し、最後に展開される悲壮なまでの殺し合い。

 まったくのシロウトの若者とプロの殺し屋の壮絶な銃撃戦の果て、たった一人生き残った若者が常軌を逸し狂いだし、笑いながら去っていく終幕の無常観までもが70年代の日本映画の泥臭いテイストそのままだ。



若者と爆弾と

 本作と初めて接したのはレンタル店の隅に置かれていたビデオだった。その時の衝撃そのままに、ヒドイ画質のDVDも買い求め秘蔵していた。しかし、YoutubeにもUPされていた本作を見て驚いた。なにより驚いたのが、その完全版ではプロットそのものに違いがあったことだ。

 それまでのヴァージョンでは、3人組が少女に恐喝されるきっかけが、若者たちが起こした交通事故だった。しかし、オリジナルの全長版とおぼしきそのヴァージョンでは、その恐喝のきっかけが、若者たちが映画館で爆発させた爆弾だった。その騒動の一部始終を目撃していた少女が若者たちを脅すというプロットになっている。

 本作をきっかけに香港映画そのものが洗練する道筋を歩み始めたのはまず確かと言っていい。そこにはプロットの構成も含め、何度も編集を模索した試みがあったのだ。

 ギラギラした熱気、猥雑なパワーに満ちたカルトそのものの本作、負け犬同様にファンの人も多いはず。DVDをお持ちの方は是非、両者を見比べてみては如何でしょう~

負け犬のジャパニーズのウェットな美と因習のエンタメ化に成功した巨匠市川崑による金田一シリーズのベストワン「悪魔の手毬唄」

息を呑むような日本の風景の美しさに畳みかける謎の連鎖。そして、金田一と磯川警部の厚き友情と儚いロマンスに涙までする、紛れもない金田一シリーズのザ・ベスト

(評価 84点)



 

市川崑の美学

 日本映画史にその名を刻む巨人は数あれど、その作品の多彩さ、数の多さ、晩年まで決して衰えを見せなかった長きにわたるそのキャリアといえば間違いなく市川崑ということになるのではなかろうか。

 多才きわまりない、その世界で、この負け犬にもっとも印象深いのが、実は映画でなく、TVの木枯し紋次郎シリーズ。子供の頃に見たその紋次郎で、はじめて映像というものの魅力に開眼したといって差し支えない。そしてそのクリエイターこそが市川崑だった。

 瑞々しい息を呑むような日本の原風景。そこにポツンと佇む点景人物を捉えたロングショットの美しさ。小さなブラウン管で食い入るように見ていた木枯し紋次郎のその映像の数々は、ある意味、トラウマといっていいほど、そのインパクトがこの負け犬の脳裏に焼き付くことになる。

 そして、それから数年後、さらに市川崑から強烈なインパクトを授かることになる。それが、角川映画が打ち出した後年まで続くことになる金田一耕助シリーズの第一作「犬神家の一族」。しかし、本作で受けたインパクトは映画そのものではない。もっとも強烈で改めて市川崑の魅力を思い知ったのが実はタイトル文字の明朝体のレタリングの美しさだった。

 そう、その時、はじめて市川崑がそのキャリアを通じて明朝体の美学、日本の文字の美を追い求めていたことに気付かされた。

 そして、一作目「犬神家の一族」の大成功を経て、作るべくして作られた本作。二作目という事で、とかく柳の下のドジョウ的な扱いの本作だが、その実、本作こそが紛れもなく市川崑が手掛けた金田一シリーズの最高傑作と言っていい。



因習の美学

 日本の原風景の美、そして様式的なレタリングの美学にこだわる、研ぎ澄まされたようなスタイリッシュな魅力に満ちた本作。143分という長尺なのにいつも見始めた途端、みるまに時間が過ぎて、ラストには必ず泣かされてしまう。

 そんな本作、やはり開巻から惹きつけられるのが横溝文学ならではのあのどろどろとした世界。お馴染み石坂浩二扮する金田一耕助が訪れた、ひなびた田舎町の亀の湯という温泉宿で今回、関わるのが、20年前に迷宮入りした事件、そのイントロダクションを司るのが若山富三郎扮する磯川警部。本作、このイキのピッタリ合った両者の名演も実に見所。

 以降の展開は横溝正史の世界を地で行くような、ドロドロとした日本ならではの因習と怨念が渦巻くいつもの世界。

 前作、「犬神家の一族」同様、そしてまたアガサ・クリスティー映画同様、キー・パーソンとなるのは大女優とくれば、犯人は推して知るべしというわけで、岸恵子他の大女優の顔ぶれを見れば一目瞭然、なのだが、原作者横溝正史も自認する通り、本作は横溝文学の中でもベストといっていい。犯人が誰かではなく、その動機、そして犯行の顛末と鮮やかなトリック、それをとりまく人間関係など、すべてが破綻することなくまとまって、ラストのお定まりの金田一の解説で、何の違和感もなく納得させられる。

 そして、本シリーズの例に漏れず、とにかく登場人物の多い本作だが、はて?あの人は誰だっけ?と決してならないのは、市川崑独特の、サブリミナルのような登場人物のカットバック技法のおかげであることに、見ているうちに気付かされる方も多いはず。

 本作のラスト。磯川がSLに乗って去る金田一を見送る。独特な日本の景色をバックに走るSLの姿に、あらためて日本の美の豊かさを感じ入る人も多いはず。

 そして、超ロングショットに黒いマントを羽織ってポツンと佇む金田一の姿に、道中合羽を羽織って歩く木枯し紋次郎を重ね合わせる人も、この負け犬と同じ昭和世代の人たちならきっと多いに違いない。

負け犬の青春期はタマネギだ!ウサギが告げる世界の終末「ドニー・ダーコ」

ビヴァ!インディペンデンス!インディーズ系ホラーの妙味と青春期の不安感、タイムパラドクス的なSFまでが混合したマルチレイヤー映画の傑作

(評価 80点)



 

インディ映画の魅力

 インディ・ジョーンズじゃないけれど、冒険精神に満ちた映画に出会えたら嬉しいもの。そして、そんな映画には決まって予算は無いが、プロダクションの制約に縛られないインディーズ系映画が多い。

 本作の監督リチャード・ケリーがこの「ドニー・ダーコ」の脚本を書き上げたのは弱冠26才の時。そしてこの難解で、アブストラクトな得体の知れない脚本にすっかり魅了されたがあのETの子役だったドリュー・バリモア。バリモアはエグゼクティブプロデューサーを買って出て、この脚本を映画化する製作費450万ドルを捻出する。かくして出来上がったのが、文学的で哲学のように難解でありながらも、サブカル的なポップさが全編にみなぎる本作「ドニー・ダーコ」だった。

 

タマネギ映画

 今やカルト・クラシックと位置付けられる本作、確かに難解には違いはないが、負け犬も大好きな「ジェイコブズ・ラダー」や、近年でいえば、これも低予算なインディーズ・ホラーの傑作だった「イット・フォローズ」などが好きな人なら、何の抵抗もなく楽しめる筈。

 そんな本作を評すれば、タマネギ映画とでも言えようか。とにかく本作は。まるで何層にも覆われたタマネギの表皮が剝がれていくかのように、いくつものレイヤーがあって、表面から次々と剥がれ落ちていくその数々のレイヤーを、あれよあれよと見ているうちに結末に辿り着く。ステレオタイプなマーベル映画や、デイズニーブランドの映画ですっかり白痴化した脳みその絶好のカンフル剤、それだけに、脳内の活性化を求めて何度も見たくなる中毒性すらあるのだ。そして、その世界に誘ってくれるのが、不思議の国のアリスならぬウサギというわけだ。

 

終末のカウントダウン

 地方都市で暮らす高校生ドニー・ダーコジェイク・ギレンホール)がある朝、目覚めたのは路上だった。傍らに倒れている自転車に乗ってドニーが向かったのは我が家。アメリカンな郊外を絵にかいたようなその家で、姉と妹と暮らすドニー家。しかし、ある夜、その家に轟音と共に、航空機のジェット・エンジンの一つが落ちてくる。しかし、ドニーをはじめ、家族ともども幸い無事だった。だがそれを契機にドニーの前に奇妙なウサギの着ぐるみを着た男が現れる、そしてそのウサギが告げたのは、20日後に訪れる世界の終末へのカウントダウンだった。

 どうでしょう、素っ頓狂なこの出だし。アブストラクトな映画が苦手な人なら腰が引けてしまうかもしれない。でも、大丈夫、素っ頓狂でいながら、決して難解そのものになることなく、次々と興味を引き付けてくれるのが本作の最大の魅力だ。そしてそれを裏打ちしているのが、誰にでもある青春期の不安感。

 もともとニューロティックな気のあるドニーだが、ウサギの出現と迫りくる終末のカウントダウンもあいまってセラピストに催眠療法も勧められ、そんな日常が次々とタマネギの表皮のように剥がれていく。誰でもそうだが思春期というやつは厄介で、自分が何者とも知れず、性的な悩みにも日々、苛まれ続け、将来自分がどうなるのか怖くて仕方なくて、その暮らしは一見、暢気なようで実は波乱に満ちている。

 そんな混乱と不安感を象徴するように様々なレイヤーで、本作ではいくつものトピックが描かれる。痴呆となって徘徊する老婆。恐怖を克服するセラピーを主宰する伝道師。ドリュー・バリモア扮するクールな女教師。そして待望のガール・フレンド。そんな現実に裏があることを、伝道師が小児性愛者であることが発覚するエピソードを通じて描かれる。この映画は、いわば、人間の精神不安で神経症的な青春期というやつへの最も的を射た社会的なコメンタリーといっていい。そして、何層にもわたって描かれるエピソードを経て、遂に辿り着いたデッド・エンドな結末は、まるでトワイライト・ゾーンにでも迷い込んだような幻惑感に満ちている。

 確かにこの結末、一見、難解だが、この頭がむずがゆくなるような感覚が忘れ難くて、きっと誰でもまた見たくなるに違いない。現にこの負け犬がそうなのだから。一体、これから何回、見たくなるのだろう。そんな問いかけすらしたくなる、これこそカルト・クラシックというやつなのでしょうね、ちなみにドニー役のジェイク・ギレンホールも最初の試写を見た時は、何が何だかさっぱり分からなかったらしい(笑)。

負け犬の空前絶後のその才気!お仕事映画のパイオニアにして最高峰「マルサの女」

税務署員が巨悪を追い詰めひた走る。何度見ても圧倒的なスピード感に酔い痴れる。これぞ日本のフレンチコネクション!

(評価 90点)



 

お仕事映画の醍醐味

 人間は仕事をする生き物。食っていくために。だからどんな仕事であれ、お仕事となると必然的に地味になる。例えばそれはアクション映画の花形の刑事だって同じこと。ただひたすら地味に容疑者を尾行し張り込みを繰り返し、目指すホシを忍耐強く追い込んでいく。

 しかし、そんな地味な努力が実を結び、とうとう巨大な悪に一泡吹かせたら、そこにカタルシスと興奮が生まれる。それこそがおそらく刑事映画の醍醐味、そしてその頂点にあるのがNYの下町のしょぼくれ刑事ポパイとドイルの二人組が、国境をまたいだ巨悪を打倒するあの名作「フレンチコネクション」に違いない。

 だが、日本にも「フレンチコネクション」にも勝るとも劣らない興奮とカタルシスをもたらしてくれる作品がある。刑事と同じ公務員、それもお仕事としてはチョーの字が付くほど地味な税務署員が主役の映画、それこそが本作の「マルサの女」。

 見てくれもこれまたチョーの字が付くほどの地味なオバさんの税務署員が、ひたすら悪に食らいついて最後に一泡吹かせてみせる、痛快きわまりない本作は、言わずと知れたあの伊丹十三監督のキャリアベスト作、そして日本映画史上に残る大ヒット作だ。

 

圧倒無比のスピード感

 実際、本作ほど時間というものが圧倒的なスピードで過ぎ去っていく映画というのは滅多にない。主役の板倉に扮した宮本信子が、とある喫茶店で、仲間の職員に脱税の手口をレクチャーするイントロから、ラブホテルの経営者、権藤(山崎努)が繰り出す脱税の数々で、二人のキャラクターの対立構造と上下関係を鮮やかに浮彫にする序盤、

 このくだりなど、開巻早々、NYの下町の刑事二人組が、ケチなチンピラの確保に奔走する様子から、海を越えたフランスで大掛かりなシンジケートを率いる悪玉のシャルニエをカットバックして描く「フレンチコネクション」そのままだ。自身もマニアと言ってもいいほどの映画好きだった伊丹十三監督のこと、きっとそのドラマ構造の参考に「フレンチコネクション」なぞらえたというのは、あながちこの負け犬だけの勘繰りでもないはずだ。

 そして一旦は、権藤の巧妙な手口に引き下がった板倉が査察に抜擢され、晴れてマルサの女となってから権藤に逆襲を仕掛けていく後半、その矢継ぎ早のテンポの良さには何度見ても舌を巻くしかない。そして最後に訪れるカタルシスの快感。地味な税務署員の映画のはずなのに、まるでリベンジマッチで大勝利したスポーツ映画の興奮にも似たその感覚には、これまた何度見てもエキサイトさせられる。そして、エンドクレジットを見てつくづく思うのが才人、伊丹十三が早逝してしまったことの無念さなのだ。

 本作、何度も見て感心するのが、ぎっしりと詰まったエピソードの数々のその情報量の多さ。才人、伊丹十三の取材能力と脚本を書く筆力の高さ。そしてそれらを手際よく処理してみせる演出の類いまれなるその才能。一体、この才人が、その後もキャリアを続けていたらどんな映画を作ってくれていたのかと残念で仕方ない。

 本作公開当時のインタビューで宮本信子が、脚本を執筆する夫の伊丹十三が書き上げるそばから、そのページをひったくるようにして貪るように読んでいたと言っていたのを今でも覚えている。それもそのはず、こんな面白い脚本、とびきりの才人以外に書けるわけがない。



とある税務署員のメモワール

 実はこの負け犬の父親は税務署の公務員だった。負け犬にも負け犬なりの反抗期というものがあって、地味を絵にかいたような公務員の父親を忌み嫌っていた時期が長々とあった。それもあってその距離が、やたらと疎遠にもなっていた。

 だが、ある日のこと、そんな父親が珍しく映画のチケットを持って帰って来たことがあった。実は公開時、社会現象にまでなった本作に、時の税務署は普段は嫌われ者の税務署のPRにはうってつけとばかりに、署員たちに本作のチケットを配布するという計らいをしたらしい(その経費も結局、庶民の税金だったはずだが)。

 本作はそのチケットで見た懐かしの映画でもある。チケットをくれた父親が見せたその笑顔は、普段、日の当たらない税務署員という職業にスポットライトが当てられた、日ごろの地味な努力が僅かにでも報われた、そんな笑顔にも見えた。

 どんな職業であっても、いつか日の当たる時が来る、だから、我々は働くのでしょう。本作は、そんな希望すら感じさせてくれる、素敵な映画のような気がするのです~

負け犬の果たしてそいつはバカか天才か!そして、そいつはやっぱり天才だった!天才監督誕生秘話!「その男凶暴につき」

天才は予期せぬところからやって来る。言わずと知れた北野武の衝撃のデビュー作、天才はただ歩くだけで世界を震撼させた。

(評価 72点)

 

天才はただ歩く

 ただテクテクとひたすら歩く男。それを望遠で捉えるキャメラ。そうやって男がただ歩いては、その道中で暴力をはたらき、それが済むと、また歩く。その単純な繰り返し。しかし、そんな映画はそれまで無かった。

 もともと、深作欣二が監督するはずだった「灼熱」というタイトルの映画に、出演するだけの筈だった北野武が、監督までする羽目になったのも、ほんの偶然だった。

 そして、この負け犬が今でも克明に憶えていることがある。とある芸能ニュースで流れていた本作の制作発表の記者会見の一コマだ。その席上で、初監督にあたっての意気込みを問われた北野武は居並ぶインタビュアーたちに向って、何気に、いつもの口調でこう述べたのだ。

 「出来上がった作品を見た人から、こいつはバカかって言われるか、それとも天才だって言われるか、そのどっちかだよ」

 このコメントからひと月も経たないうちに、あらゆるマスコミのメディアに踊り出したのが、「天才」の二文字だった。そして、その称賛の嵐が、やがて日本という小さな島国に収まりきらず、世界にまであふれ出していったのは周知の通り。

 

おとぎの国の暴力のバラード

 本作の脚本は野沢尚。野沢が手掛けた邦画アクション映画の体裁そのままのオーソドックスな脚本を、この新たなる天才は破壊してみせる。破壊に使ったその道具こそが、後のキタノ映画のトレードマークとなる独特の間だ。

 冒頭の不穏な浮浪者狩りのイントロからその奇妙な間は炸裂している。浮浪者狩りのリーダー格の少年の家を俯瞰で捉えた何気ないショット。画面のフレームにテクテクと歩いてくる男が入って来る、そしてそのまま男は玄関口に。ドアが開き、家人に警察だと告げる、そして男はそのままズカズカと二階に上がっていき、ドアを開けた少年の顔をいきなり殴る。日常と暴力とが共存している奇妙な世界。このシーンが放つ強力なインパクトはまさにそれだ。

 その後の、タケシが歩く姿を延々と横移動に捉えるトラッキングショットも実に印象的。そして、署内のデスクに落ち着き手持ち無沙汰にするタケシの演技を始め、全編にわたる何とも言えないタケシの存在感の素人っぽさまでもが不思議な魅力になっているのが本作の魅力でもある。

 ただ、本作が俗っぽいのは否めない。序盤の暴力と暴力を介在するかのようにタケシがテクテクと歩く奇妙な世界観のユニークさが、後半になるほど平板なVシネマそのもののスタイルに落ち着いていく。そして、ありふれた世界になることに抗うかのようにタケシは主役である刑事があっさり殺されるというツイストで、何とか抵抗を試みる。

 本作公開時のキネマ旬報のインタビューで、好きな映画は?と問われたタケシは、あのフリードキンのあだ花といってもいい傑作「LA大捜査線/狼たちの街」と明言していた。そして、その作品をタケシは臆面もなく、後半からエンディングにかけてそっくりパクッているところが何とも初々しい。

 Vシネマ丸出しの俗っぽさ、そして好きな映画をそのままパクる無邪気さ。天才のデビュー作はやっぱり今見ても楽しさに満ちている。

英国スパイがオリエンタルなアジアン・テイストに思い切りベクトルを振ったらA級にあるまじきB級テイストになったけど、それが案外美味だったりした件 「007黄金銃を持つ男」

負け犬の今夜のディナーはディープでキッチュなアジアの料理。黄金の年1974年のメモリアル的なボンド・シリーズの異色作にしてチープなテイストが魅力の佳作

(評価 70点)

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1974年のメモワール

 1974年といえば、この負け犬には決して忘れられない年。そう、この負け犬が、あの「燃えよドラゴン」と遭遇した年。そして世界にドラゴン旋風が吹き荒れていた年。マーチャンダイジングの戦略には一つの定石がある。そう、流行に乗り遅れるな!というわけで、英国ブランドのはずのボンド・シリーズが、前作「死ぬのは奴らだ」で成功したアメリカナイズの路線をさらにパワーアップさせて、今度はそのドラゴン・ブームにまでちゃっかり便乗したかのようなチープ路線に転じたのが本作。

 本作、確かに公開時には、タイトルにもなっている黄金銃の分解図などが色々な雑誌の誌面に踊りつつも、あからさまなブームの便乗も災いしたのか、評判も悪かった。この負け犬も初見の際には、失敗作としてそのまま記憶の底に封印したままになっていたほどだった。

 しかし、ふと思い立って見返してみたら、不出来どころか、チープなテイストが逆に魅力の、上出来とは言えないけど、エンタメとしては充分に及第点の作品であったことに気付いて心地よく驚いた次第。

 

007ブランドのB級バカ映画

 謎の殺し屋スカラマンガ。そのスカラマンガがボンドの首を100万ドルの報酬と引き換えに狙っている。それを知らされたボンドは一路、タイのバンコクへ、というわけで、いつもなら世界的規模の陰謀のはずのプロットが、うんとスモールスケールになっていることからも本作がいささか安っぽいのは自ずとわかる。

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 その後の展開も定石通り、ボンドガールのグッドナイト(ブリット・エクランド)と落ちあい、スカラマンガの行方を追ううち、スカラマンガの愛人アンドレア(モード・アダムズ)からスカラマンガの居所を聞き出すうち、アンドレアが殺され、グッドナイトがスカラマンガに囚われてしまう。そしてボンドはスカラマンガのアジトの島へと・・と、何から何までいつもの幕の内弁当。それがチープとくればただの凡作と言われても仕方ない。

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 しかし、それでも本作が隅には置けないのは、やっぱり、うまく流行に便乗した色鮮やかなオリエンタルなテイストが魅力的だから。バンコクの街並みやマーケット、いつものボート・チェイスのバックグラウンドもタイの水上生活の風景だから逆に実に新鮮。

 露骨にドラゴンを意識した、ボンドが似合いもしない空手着を着ての下手糞なアクションの末に、裸足で逃げ回るシーンもご愛敬。おまけにクライマックスのスカラマンガとの対決シーンも「燃えよドラゴン」から拝借した鏡を使ったショウダウンとくれば、パクリを通り越して、今見たら案外楽しい。ボンドガールのブリット・エクランドとモード・アダムズも、どちらもゴージャスで申し分ない。本作で狂言回しとなるのが、小人の悪役ニック・ナック。このキャラクターが最後までコメディ・リリーフとして機能して本作を引き立てるのに一役買っている。

 とまあ、総じてみれば、オリエンタル・ムード満載のオモチャ箱として楽しめる本作だが、難点は、やっぱり見せ場に乏しいことか。最大にして唯一の見せ場が、公開時にも盛んに宣伝された車が一回転ひねりして川を飛び越えるあの伝説的な超絶ジャンプだけではちとサビしい。

 それでもリリが歌う本作のテーマ曲が、あのハリウッドのパニック映画にオカルト映画、それにとどめのドラゴン・ブームに燃え盛っていた極私的黄金の1974年のむせ返るノスタルジーを感じさせてくれるほどにイカすので良しとしましょう~というところですかね~

負け犬も肌の色を超えたリスペクトに涙「夜の大捜査線」

南部の夜の熱気、トップアクターたちのベストパフォーマンス、鮮烈なキャメラ、そしてクインシー・ジョーンズの音楽、来たる黄金の70年代の到来を告げる傑作!

(評価 78点)

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イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト

 夜の帳が降りてもうだるような熱気が渦巻くミシシッピーのとある田舎町。夜行列車から降り立つ一人の男、その頃、いつものように、グラマーな十代の女の子の裸体を覗き見しながらパトロールしていた地元の警官サム(ウォーレン・オーツ)が発見したのは、一人の男の他殺体だった。

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 こんなイントロから始まる犯罪サスペンスに巧みに人種問題を絡ませた傑作は、後に数々のアカデミー賞にも輝いたのも頷ける、未だに色褪せない魅力を放ち続けている。

 その立役者は何と言っても主役の二人、黒人ながら、殺人課トップの切れ者都会派刑事ヴァージル・ティップスを演じたシドニー・ポワチエ。そして、南部の差別意識を隠そうともしないレッドネックな地元の警察署の署長のギレスピーを演じたロッド・スタイガー。どちらもオスカー男優のこの二人の名演に尽きる。

 だが、決してそれだけではない、名ライター、スターリング・シリファントのシナリオはもとより、昔、本作が日曜洋画劇場で放送された時、司会のあの淀川長治が絶賛していた、木立の中を突っ切り、橋を逃げる容疑者を望遠で捉えた鮮烈なキャメラ・ワーク。そして、ソウルフルなパンチが心地いいクインシー・ジョーンズのゴキゲンな主題歌と、すべての要素がバランス良く緊密なアンサンブルを奏でる、その後の黄金の70年代のアメリカ映画の台頭を予感させるにふさわしい傑作だ。

 

白と黒のバラード

 警官モノといえば本質的にバディものの体裁を備えた映画が多いが、本作におけるバディにあたるヴァージルとギレスピーは、人種という越えがたい壁で遮断された、天敵と呼んでも差し支えないほどの近親憎悪的に相容れない二人だ。ずばり、犯罪ものとしては地味な本作を、ラストまで決して途切れることなく牽引するものこそ、この二人が徹底していがみ合うテンションなのだ。

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 リベラルな刑事を演ずるシドニー・ポワチエが俄然として素晴らしいのは勿論だが、田舎の横柄な警官の、あるある感を実にリアルに描出したロッド・スタイガーの存在感が実に見事。そのキャリアを通じて黒人系俳優のメンターであり続けたシドニー・ポワチエが輝いて見えるのも、ひとえにこのロッド・スタイガーの名演あってこそ。

 名シーンは数あれど、特に素晴らしいのが、ヴァージルが物的証拠から、殺害現場が第一発見時の路上ではなく、町はずれの空き地であることを立証してみせた後、ギレスピーがヴァージルを自宅に招いて、一緒に酒を飲んでいる途中、ギレスピーが思わず独り身の寂しさを吐露してしまった後、急に憐れみなんか欲しくないと元の敵愾心を剥き出しにしてしまうロッド・スタイガーのセンシビティ溢れる絶品の演技。

 冒頭の殺人事件の真相をめぐり、二転三転する事件の捜査に対するヴァージルのプロフェッショナルな姿勢に、遂に感服したギレスピーが、最後の駅での別れの際、あくまでも不器用に、それでも心の底からヴァージルに、「元気でな」と声をかけるシーンは、何度見てもズンと胸に応えるものがある。この映画史にも残る名シーンは、プロフェッショナリズムというものが人種の壁を越えてみせた瞬間と言える。

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 エンターティメントと鋭い切れ味の社会性、その二つのバランスを巧みに操り黄金の70年代を築き上げたアメリカ映画の息吹が1967年製作の本作には確かに感じられる。

 映画は、名優が作るもの、改めてそう感じさせくれる傑作ですよね~