負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬は凄腕のサムライ・ドライバー「ザ・ドライバー」

B級アクション映画の帝王、ウォルター・ヒルの最高傑作!夜の街を疾走する逃がし屋とミステリアスなポーカー女。何度見てもただ素晴らしいネオ・ノワール・アクションの超傑作!

(評価 88点) 

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80~90年代を駆け抜けたウォルター・ヒルが放った初期の傑作。メルビルの「サムライ」とアメリカンなノワールの見事なる融合に、何度見てもただシビレル。

 チャールズ・ブロンソンの「ストリート・ファイター」でデビューを果たしたウォルター・ヒルの第二作。本作の日本公開時、来日したウォルター・ヒルのインタビュー記事が、当時の「ロードショー」誌に載っていた。

 そこには、車のボンネットの上に乗り、ラフなスタイルでディレクションの指示をスタッフたちに出すヒルの写真も掲載されていた。そして、そのヒルの傍らに映っていたのが車のバンパーにキャメラを装着する特殊な機材だった。あの「フレンチ・コネクション」の有名な地下鉄の高架でのチェイス・シーンをはじめ、その後の「ザ・セブンアップス」でも、地を這うように、超ロー・アングルで車の主観で路上を捉え、シーンのスピード感を倍増するのに大活躍した機材だ。

 そして、その機材が本作「ザ・ドライバー」でも大いに活用された。本作のクライマックス。ザ・ドライバーライアン・オニール)が助手席にザ・プレイヤー(イザベル・アジャーニ)を乗せたまま、金を隠したロッカーの鍵を奪った相手を、タフなルックスの四駆で追う。

 さきほどの機材による主観ショットを交え、夜の街をすべるように突っ走り、そのまま二台の車が、街の通りからトンネルに突入する。フロントガラスの上をリフレクションしたトンネルのライトが飛ぶように流れていく。車が揺れるたび、慄きの表情を浮かべるアジャーニの本気のリアクションからも、こちらにそのスピード感が体感として伝わる見事なシーンだ。

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 そんな本作は、ライアン・オニールザ・ドライバーブルース・ダーン演ずるディテクティブとの丁々発止のキャットアンドマウスを描くだけのシンプルな映画。しかし、そこには、登場人物に役名がない様式美をはじめ、ノワールに対するウォルター・ヒルのむせかえるほどの愛情が充満している。

 冒頭、駐車場で好みの車を物色し、一台の車を素早く盗んだドライバーが、カジノ荒らしをする一味を拾う。そこから強盗シーンがヒルならではの早いテンポで描かれ、逃走間際にアジャーニのザ・プレイヤーと鉢合わせした後、いきなりパトカーとの一大チェイスが展開される。

 本作が際立っているのは、アジャーニをプレイヤーに起用したことからも分かるように、あのメルビルのノワールの大傑作「サムライ」への傾倒だ。だから、カー・チェィスにも自ずと武士道のカラーがにじみ出ている。

 肉を切らせて骨を断つ、が如く、ザ・ドライバーが追い詰められると挑むのが正面勝負。向かい合ったお互いの車がそのまま正面切って突っ走るチキン・レース。怖気づいてハンドルをかわした方が負ける。冒頭のパトカーが群がるチェイスでも、最後に残った一台にザ・ドライバーはこのチキン・レースを挑み、粉砕する。

 まんまとカジノ荒らしをされ、パトカーの追跡をものともせず、赤恥をかかされたダーンのディテクティブも黙ってはいない。すぐに目撃者のアジャーニを読んで面通しさせる。ここでの容疑者がズラリと居並ぶライナップのシーンなど、まさにあの「サムライ」でアラン・ドロンが面通しのラインナップに立たされる有名なシーンの再現だ。そして、その「サムライ」同様、アジャーニも認めていながら知らないとうそぶいて決然と立ち去るのだ。

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 一見、ノワールにはまるで似つかわしくないライアン・オニールがピタリと役にはまっているのも見どころの一つ。「サムライ」のドロン同様、端正な顔立ちながらも、まったくの寡黙、そして常にラジオを持ち歩き、聞くのは常にカントリー・ソング。実はこのカントリー・ソングが一匹狼たる主人公のアクセントだけでなく、クライマックスの一つの伏線にもなっているのがミソ。

 そんなザ・ドライバーが、業を煮やしたディテクティブが仕掛けた銀行強盗のワナにはまるのが終盤の展開。逃走する仲間の一人を運び、警察をもダブル・クロスしようとしたその仲間を、絶対に銃は持ち歩かないはずのザ・ドライバーが一撃で返り討ちにするシーンの鮮やかさ。

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 そして、駅でアジャーニのプレイヤーがロッカーの鍵を盗られるや、くだんのクライマックスのカー・チェィスに突入する。壮絶な追撃の後、二台の車が入り込んだ広大な倉庫。そこで繰り広げられるのが、まるで二人のガンマンが、お互いを察知しながら倒しあう西部劇での一騎打ちそのもののシーン。そして、最後に勝負を決めるのが、あのチキン・レースなのだ。

 さらにエンディングでは、駅のロッカーでのシニカルなヒネリが待っている。ポツンと駅の床に置かれたボストン・バッグを捉えたカットに音楽がかぶさるこの余韻あふれるラストに、ヒルノワールへの愛情が凝縮されている。

 思い返せば、本作、尺が90分ということもあり、とにかく何度も繰り返し洋画劇場で再放送されていた。勿論、録画もしてテープでもすりきれるほど見て、このラストの余韻に浸っていた。今ではDVDだからすりきれることもないが、このウォルター・ヒルの、むせかえる夜の匂いと疾走感、孤独な一匹狼の生き様への憧憬に満ちたノワールには、今でもどこかザラついたアナログな感触がありありと感じられる。

 デジタルでは決して生み出せない、ウォルター・ヒルの独壇場ともいうべき、ノワールならではの世界に浸るには欠かせない一本なのです。

負け犬の狂気の沙汰も金次第「ワンフロムザハート」

セミ・ミュージカルというとてつもない中途半端な映画に、ラスベガスの街並みと飛行場のターミナルを丸ごとセットで作り上げるという所業は、もはや圧巻どころか狂気の沙汰だ!(評価 50点)

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歌はあるけど歌わない、そして踊らない、世にも奇妙な中途半端なミュージカル。これを百億といわれる巨費を投じて作った当時のコッポラは果たして狂人だったのか?

 「ゴッドファーザー」で星の数ほどいる映画監督たちの頂点をきわめたフランシス・フォード・コッポラ。「地獄の黙示録」がその監督人生の分水嶺となったコッポラには、その映画でマーロン・ブランドが演じたカーツと同じく、何がしか狂気という言葉が常について回る。

 しかし、世にいう狂人たちと一線を画しているのが、その狂気が、映画というものへの過剰なほどの愛情に裏打ちされていること。「ニューヨークニューヨーク」というミュージカル映画の失敗作でも有名な、あの「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシにしても、リアリズム路線で傑作を放ち続けた監督というものは、古き良き都ハリウッドが、かつて生み出していた人工的な世界に、とかく憧れを抱くものらしい。

 だから、コッポラが、それまでとは、ガラリと打って変わったミュージカルを作りたくなった気持ちも分からないではないけれど、それに百億ともいわれる製作費を投じるとなるともはやそれは、常軌を逸した振舞いとしか言いようがなくなってくる。

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 本作公開当時の「キネマ旬報」に、本作のメイキング記事が掲載されていた。映画のプリプロダクションには欠かせない絵コンテやストーリーボード。コッポラが本作で導入したのが、そうして仕上がったストーリーボードを全てビデオに取りこみ、予め本編を丸ごとストーリーボードでのビデオ映像として仕上げてしまうというものだった。その際に活用したのが、当時では最先端だったソニーのベータマックスのビデオデッキだったという。

 そのインフラが化石のような旧式だったことは別にして、何のことはないこの手法そのものは、現在のCGのフレームワークによるプレ・メイキングなどと何ら変わるところはない。

 テクノロジーに対する偏愛も、コッポラのプライベートな夢の王国、ゾーイトロープ・スタジオ創設の当時から何も変わらない。しかし、そのエンディングで、本作は全てそのゾーイトロープ・スタジオ内で撮影されたというテロップがわざわざ出る本作の内容は、いくらミュージカルとはいえ、あまりにもお粗末だ。

 イントロのベガスの色鮮やかな数々のネオンサインの後、デパートのショーウィンドーのデコレーターの本作の主役フラニー(テリー・ガー)が出て来る。フラニーには恋人フランク(フレデリック・フォレスト)がいて、本作はそのカップルが、つまらないことからケンカして、家を飛びだしたフラニーとハンクが、束の間のお互いのアバンチュールを経て、よりを取り戻す。本当に、ただそれだけの話なのだ。

 冒頭、帰宅したフラニーとハンクが、いきなりケンカするところから、ワザとらしくて興ざめする。それからは別にストーリーなどあってないようなもの。

 フラニーはピアノ弾きと称するウェイターのレイ(ラウル・ジュリア)と、ハンクはサーカスの若い踊り子ライラ(ナスターシャ・キンスキー)とお互い、束の間の関係になるが、ハンクの頭の中に有るのは常にフラニーへの未練でいっぱいなのだ。

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 そして、レイとバカンスに旅立とうとするフラニーを追ってハンクは空港まで追いかけるが、むなしく飛行機は飛び立ち、悲嘆にくれるハンクだったが、振り返るとそこに立っていたのはフラニーだった。

 言って見れば夫婦喧嘩は犬も食わないという与太話。それにいくらコッポラ一家とはいえ、おっちょこちょいな持ち味が魅力なだけのテリー・ガーが主役では、やはり華がない。何とかガンバッテ見せてくれる踊りも、スペクタクルなセットに呑み込まれるだけでまるで映えない。名手ヴィットリオ・ストラーロの、目に刺さるほどの色の洪水だけが見所というのが、如何にもお寒い。

 ラスト、飛行機の発着ターミナルまでセットで作っている威容を見るにつけ、この映画の製作当時のコッポラには、「地獄の黙示録」のカーツ大佐以上の狂気を覚えずにはおれない。

 しかし、エンディングで、全編にわたって音楽を担当しているトム・ウェイツの歌声と共に和解し、寄り添う二人を見て、少なからず心が動いたのも確か。

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 何事にもウソがつけず、結局、映画人生の後半は、負け戦ばかりだったコッポラの心からの映画への素直な思いがストレートに伝わってきたからなのかもしれない。

 紆余曲折はあったけど、コッポラが偉大な監督であることは確か、そしてそんなコッポラの、映画に注ぐ心からの愛情は、どれだけ予算をつぎ込んでも決して満たされることがないことを本作で、少しは理解できたような気がする。

 ワンフロムザハート、つまるところコッポラという人は、どこまでも純真無垢な人なのだろう

負け犬もめまいを覚えるイリュージョン「愛のメモリー」

これぞ映像マジックの華麗なるタペストリー!映像の魔術師ブライアン・デ・パルマの若き情熱とヒッチコックへの憧れが結実したイリュージョンの世界

(評価 86点)

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ブライアン・デ・パルマヒッチコックへの憧憬を独自に換骨奪胎してのけた夢の世界は、ただもう何度見てもため息がでるほど素晴らしい。

 ヒッチコックの模倣者と、常に批評家の矢面に立たされてきたブライアン・デ・パルマが放った一言で、今もずっと忘れられない言葉がある。デ・パルマが目の前のジャーナリストたちに言ったのは、こんな言葉だった。「映画とは所詮、折衷主義の芸術なのさ」

折衷主義。そう、いいと思うものがあれば、遠慮なくパクる。一見、開き直りとも取れる言葉だが、これは自らのスタイルに余程の自信がなければ、言える言葉ではない。とにかく、この発言当時のデ・パルマは若き情熱とバイタリティーに満ち溢れていた。

 デ・パルマポール・シュレイダーの二人は、その日、あのヒッチコックの傑作「めまい」を一緒に劇場で見た。劇場から出るや、デ・パルマはその興奮も冷めやらぬまま、たちまち5ページほどのシノプシスを書き上げた。そして、それを見せたポール・シュレイダーが作り上げたスクリプトこそ、本作「愛のメモリー」のシナリオだった。

 そのシナリオを読んだデ・パルマは大いに感激する。死んだはずの女が目の前に現れる。「めまい」の根幹部分のコンセプトは、そっくり取り入れながら、そこにもう一つのアイデアを盛り込んでいたからだ。

 とにかく本作は、一本丸ごとが、デ・パルマならではの、シンプルな映像テクニックがタペストリーのように織り成されたイリュージョンの世界といっていい。本作を見た後には、いつも夢から覚めたような夢うつつの気分になるほどなのだ。

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 南部のニューオリンズの地で成功した実業家のマイケル(クリフ・ロバートソン)は、その日、最愛の妻エリザベス(ジュヴィエーヴ・ビジョルド)との結婚10周年を、友人たちとともに祝っていた。しかし、その夜、エリザベスと一人娘のエイミーが誘拐される。マイケルは、犯人たちが要求してきた身代金を、指示通りの場所に投げ置くが、その身代金が偽札であることを知り、逆上した犯人たちは、警察の包囲網を突破し、二人を連れて逃走する。しかし、その追跡の最中、犯人たちの車がエリザベスとエイミーもろとも橋から落下、炎上し、二人はマイケルの目の前で死んでしまう。

 悲嘆にくれ、エリザベスとの思い出の地のフィレンツェの有名な聖堂を模した最愛の妻の墓標の前で佇むマイケル。それから16年後、商用で出かけたフィレンツェの、思い出の聖堂でマイケルが出会ったのは、エリザベスとまったく瓜二つのサンドラだった。エリザベスへの積年の思いからマイケルは、サンドラに思いを打ち明け、ニューオリンズに連れ帰り、周囲の反対を押し切り、結婚の意思を固める。しかし、その矢先、過去の悪夢の再来のように再びサンドラが誘拐されてしまう。果たして十数年の時を超え、繰り返される誘拐事件の真相とは、そしてサンドラの秘密とは・・・?

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 本作の撮影監督は70年代の旗手ヴィルモス・ジグモンド。そのヴィルモス・ジグモンドが驚いたのが、デ・パルマの映像テクニックのアイデアの豊富さだった。しかし、そのどれもが別に手の込んだものでもない、実にシンプルなものだった。

 その映像技巧について細かく解説すると、実は本編の真相のネタばらしになってしまう。しかし、例をあげれば、もっとも印象的なのが、本作で重要なファクターとなっている時間の経過を表現する手法だ。

 エリザベスの墓標の前に立つマイケル。キャメラは、そこから固定した支点のまま、パノラマの要領でグルリと一周し始める。回転しながら周囲を捉えるキャメラ。そして、一回転して、再び墓標の前に立つマイケルがフレームに入る。それだけで、不思議と10数年の時間の経過が体感出来る。

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 さらに、クライマックスでマイケルがサンドラに会うため空港に駆け付けるシーン。空港の窓を背景にサンドラが連れられて行くのをキャメラが捉える。その時、影となる窓のフレームによって、自然と光が明滅するような効果が生まれる。たったそれだけで、ここで生み出されるのが、サンドラの正体が明かされるという絶妙な効果だ。他にも、簡単なキャメラのズームだけで、サンドラがまるで少女のように小さな姿にみるみる縮んでいくなど、シンプルな手法だけで生み出されるマジックの数々にはただ驚くしかない。

 そして、本作に欠かせないのが、あの「めまい」でキム・ノヴァクが二役を演じたように、エリザベスとサンドラの二役を演ずるジュヴィエーヴ・ビジョルドの存在。幼い少女も成熟した女性のどちらを演じても、何の違和感もない彼女の存在なくして本作は成立しなかったといっても過言ではない。

 本作のエンディングでは、空港のターミナルで、抱き合うマイケルとサンドラの周囲を、キャメラの方がグルグルと回る、あの「めまい」でも最も印象的なシーンが、そのままリフレインされる。

 そして、そのシーンにあの数々のヒチコック映画でお馴染みのバーナード・ハーマンの美しいスコアがかぶさって幕を閉じる。数々の映画に素晴らしいスコアを提供してくれたバーナード・ハーマンは、本作の直後の「タクシードライバー」を遺作として世を去るが、本作の製作時、既に病魔に侵されていたハーマンは完成した本作を観た時、涙を流して感激したと言う。

 まぎれもない、あのヒチコックの世界が、新たな若き感性の映像と共に再現されていたからだ。そして、本作の後、「キャリー」でブレイクしたブライアン・デ・パルマは、その後も、ヒッチコックのテイストを独自に取り入れた映像作家としての地位を確立していく。

 デ・パルマの情熱、若き感性、映画への愛情がすべて凝縮された、その出発点たる本作が、この負け犬がもっとも愛するデ・パルマの作品であることは、今後も変わりはないのです。

 しかし、このタイトル「愛のメモリー」。現代のオブセッション(妄執)がどうしてこうなったのか?実は当時、日本では松崎しげるの「愛のメモリー」が大ヒットしていた。配給会社の東宝東和は、全く無名に近い監督、キャストを憂慮して、そのままそのタイトルをパクッテ邦題にしてしまったのだ。

 当時、本作のパンフレットを持っていた負け犬、が妙に恥ずかしかったのを今でも憶えている。これこそ「負け犬のメモリー」というやつでしょうか

負け犬の1930年代のマッドマックスに驚愕する件「駅馬車」

今更言うまでもないスタンンダードなウェスタンの名作中の名作のエンタメ度数の凄さに驚く。超絶傑作!

(評価 84点)

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プロット、構成、キャラクター、アクション、そして驚愕のスタントとカタルシス。エンタメ映画に求められるすべてのファクターの足並みが見事に揃った逸品。

 「駅馬車」と聞くと、誰もが知っているウェスタンの名作中の名作だけど、意外とその作品そのものを全編、見たという人は少ないのではなかろうか。実は、この負け犬もそうだった。なんせ1939年の作品ということで、著作権もパブリック・ドメインとなり、ワンコインDVDとしては、わんさか市場に出回っている本作だが、ワンコインの宿命か、昔、ちょっと見た時、そのあまりの画質の悪さに辟易して、早々にリタイアしてしまった経験がある。

 しかし、デジタル時代の恩恵で、YOUTUBEにアップされていたクライテリオンによるレストア版の美しい映像で、ようやく拝見がかなったという次第。そして、改めてその面白さにすっかり心酔してしまったのだ。

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 ストーリーはいたって単純、アパッチたちがいる地帯を横断することになった乗合馬車で顔を合わせた人々の人間模様と、たまたま合流することになったリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)と馬車の客の一人の娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)との交流、そしてクライマックスのアパッチ襲撃、さらにエピローグのリンゴ・キッドの対決と、爽快なラストにいたるまで、とにかくシンプルでありながら、エンタメ要素が実にバランス良くコンビネーションされた巧みな構成に舌を巻いたのだった。

 とにかく、何と言ってもクライマックスのアパッチ襲撃。その昔、「ロードショー」誌に、ジョン・フォードの崇拝者として知られる、あのサヨナラおじさんの淀川長治氏が本作「駅馬車」のクライマックスのアクションこそ、すべての映画におけるアクション・シーンの元祖であり、金字塔だと書いていた記事を読んで以来、その名が長らく脳裏に刻まれていたそのアクション・シークェンス。

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 改めて見て、その見事さ、精緻さには驚愕した。製作年が何と1939年!しかし、それでいて、そのカットのスピーディな編集に、命がけのスタント。更には手をゆるめることなく、次々とアクションをひたすら貪欲にたたみ込んでいくパワフルな演出は、もはや、あの、タンクローリーに世紀末な暴走族たちがどこまでも追いすがる「マッドマック2」のクライマックスを彷彿とさせるといっても過言ではない。

 製作当時から半世紀、いや一世紀近く経とうとする現在でも、フレーム単位の編集で、テンポや迫力がマジックのように現出する映画の基礎構造は何も変わってはいないのだ、と改めて思い知った次第。

 勿論、名匠ジョン・フォードの鮮やかな手並みも際立っている。導入部からグランド・ホテル形式で、乗合馬車で顔を合わす人物たちを矢継ぎ早にテンポ良く描写。それが、ちゃんと服役に処されるはずのリンゴ・キッドと娼婦ダラスを逃がしてやる粋なはからいの、エンディングの伏線になる、というお約束の構成のこの安心感。

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 これ一作でレジェンドの名を不動にしたデュークことジョン・ウェインの雄姿をはじめ見所いっぱいの本作が何度見ても楽しめる、その根底には、この確固たる安心感の成せる業かもしれない。

 とにかく、いつ見ても絶対に楽しめる定番のエンタメがあるというのは、何かと有難いもの、しかし、それが1939年の映画というのには、驚異以外の何物でもないわけですよね~

負け犬の相棒は食欲旺盛でソウルフルな吸血植物!「リトルショップオブホラーズ」

ゴキゲンなR&Bのミュージカルナンバー満載のC級ホラー・ミュージカルコメディ!何をやってもさえない落ち込んだ気分の時のビタミン剤!

(評価 72点)

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その口の動きも実にリアルでグロテスクな吸血植物がR&Bを歌いまくる。ソウルフルなナンバーの数々も実に楽しいミュージカル・コメディの佳作。

 映画ビジネスの人生を通し、たったの1セントも損失を出さなかったと豪語したB級映画の帝王、ロジャー・コーマン。その彼が1960年に製作した、超低予算C級ホラー・コメディ「リトルショップオブホラーズ」。自身で監督、脚本もこなし、花屋に持ち込まれた吸血植物が次々と人を食べてしまうという、ちょっとした冗談がその製作動機だったと語る安っぽいホラーをミュージカル・コメディとしてリメイクしたのが本作。

 正確には、そのオリジナル映画をもとに作られたブロードウェイミュージカルの完全映画化だ。

 ブロードウェイで大ヒットし、今も再演され続けているスタンダードな舞台とあって、とにかくイカす曲、それもその全てがゴキゲンなR&Bのソウル・ナンバーなのが嬉しい。それに、その作品のフォーマットがオリジナル映画そのままにC級ホラーテイスト丸出しで、さらには、豪華なゲストで笑わせてくれるのも実に楽しい。

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 「宇宙からやって来る危険な訪問者は、常に意外な姿をして我々の目の前に現れる」というC級SF丸出しのナレーション直後の、のっけの「リトルショップオブホラーズ」のテーマ曲もイカす、一気にテンションが高まるオープニングがまず素晴らしい。随所で出て来る狂言回し的な、黒人3人娘のその歌が終ると、早速出て来るのが、花屋で見習いまがいの仕事に明け暮れている、本作の主役のシーモア(リック・モラニス)。さえない小男をやらせたらこの男以外にいないというリック・モラニスが実にはまり役。

 そのシーモアが近所の中国人の花屋から買ってきた鉢植えの植物こそが、宇宙から襲来した吸血植物で、閑古鳥が鳴くシーモアの花屋を繁盛させ、幸運を呼び込むのと引き換えにシーモアを支配し、次々と人を食べてしまうという、とんでもないほど安っぽい筋立てが本作のプロット。

 でも、その安っぽいプロットにソウルフルなナンバーが満載されると、こんなにもイカすミュージカル・コメディになってしまうという、ちょっとしたミラクルの見本でもある。

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 随所で笑わせてくれるゲストが豪華。シーモアがひそかに心を寄せる同じ花屋の店員オードリー(エレン・グリーン)の恋人のサディストの歯医者があのスティーブ・マーティン。この歯医者のオリン(スティーブ・マーティン)の「オレはお前の歯医者様」、セイ!ア~!のテーマ曲とともに、繰り広げられる数々のお笑いのシーンを、グレードアップしてくれるのが、マゾの患者役のビル・マーレイ。そして、オードリーⅡと命名したその吸血植物のおかげで、有名人になったシーモアが出演するラジオ番組のホストがジョン・キャンディ

 ニューヨークのダウンタウンのそのまた最下層のスキッド・ロウをイメージした人工的なセットの中で、様々なキャラクターたちがイキイキと躍動している。二番目に出て来るスキッド・ロウをはじめ、サドンリー・シーモアなどなど、絶妙なタイミングで繰り出される数々のナンバーもまた素晴らしくて、こちらの胸もときめくばかり。

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 そして、忘れてはならないのが、このオードリーⅡの特殊効果。監督がマペット・メイキングの第一人者フランク・オズとあって、このオードリーⅡの口が実に良く動く。それも不気味なほど。デザインそのものは、オリジナルをそっくり踏襲した、卵型の蕾の先が、割れた口になっている、少々、卑猥ともいえる単純なデザインだけど、その口の動きが人間の喋る口そのままの動きなのが圧巻。クライマックスに進むにつれ、巨大化するオードリーⅡだが、巨大化してもその口の動きのリアリティはそのままなのが何ともグロテスク。リアル・スケールのマペットなのか合成なのかも判別がつかないほどの精巧さには驚くはず。

 かくして、落ち込んだ時の気分回復剤的な効能すらあるような、開巻からエンディングまでゴキゲンな本作だけど、公開時は、製作費3千万ドルに対し、興行収入がきっかり3千万ドルと大コケした。

 しかし、今も尚、メンタルなビタミン剤として本作が重宝されているのもまた確か。そこで落ち込んでいるあなたも、こんなC級ホラー・ミュージカルコメディはいかがでしょう?

負け犬のハリウッド王国の夢の跡「雨に唄えば」

儚くも消えた映画における一ジャンル、ミュージカル。その頂点に君臨する作品こそ、映画は夢、夢こそ映画。そんな世界をヴァーチャルに体感させてくれる傑作だ!

(評価 82点) 

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神業のステップ、その動きと身のこなし。もう二度と再現出来ない夢の世界。今後も決して現れることのない唯一無二のパフォーマーたちの圧巻のダンスの連続に、ただただ酔い痴れる。

 映画にはカットがあって、シーンがあって、音楽がある。映画というインフラが出現して以来、すっかり映画がデジタルになった今に至ってもその基本フォーマットは何も変わっていない。しかし、その映画の歴史のパラダイムを大きく転換するようなパワー・シフトがたった一度、存在した。セリフである。スクリーンの中で、俳優たちが自らの声で喋り出したのだ。

 かつてあだ花のように咲き誇り、すっかり姿を消したミュージカル。そのミュージカル映画のオールタイム・ベストに常にランクインする本作は、無声映画の時代から、トーキー誕生に至る、映画業界における、大騒動の顛末記だ。

 とかく、いわくつきの世界の裏話は、面白い。それがトーキーの誕生にまつわるバック・ストーリーとあらば、そのドタバタだけで面白いに決まっている。それに、人間業とは思えない、エンターティナーたちのパフォーマンスが加われば、それはもう夢としか言えない絢爛豪華な世界が現出することになる。

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 大スターのドン(ジーン・ケリー)は、公私共のカップルと見なされている人気女優のリナ(ジーン・ヘイゲン)のわがままにいつも手を焼いている。今日もプレミア会場にリナを伴い現れたドンは、会場のレッド・カーペットの上で、スタント・マンとして業界に入った駆け出し時代のことを思い出している。

 ヴォードヴィルの舞台で、大親友のコズモ(ドナルド・オコナー)と一緒に、唄った日々。駆け出しのスタント・マンとして、やぶれかぶれのスタントで頭角を現し始めた頃のこと。かくして、リナとコンビになったことで一躍スターの座をつかんだドンだったが、スターという身分もつらいもの。そのプレミアの夜もファンに追いかけまわされ、たまたま逃げ込んだのが、新人女優のキャシー(デビー・レイノルズ)の車だった。聡明で才能あふれるキャシーに一目ぼれするドンだったが、その頃、ハリウッドにはトーキーという新たな大波が押し寄せていた。

 とかく、ミュージカル映画のストーリーというのは、他愛のないもの。しかし、それも必然で、シリアスで、込み入ったストーリーなら、逆に歌や踊りが成り立たなくなる、ただでさえミュージカルは、ストーリーの流れを一時中断するかのように、歌やダンスをインサートしなければならないという代物で、だからこそ、何かとこのジャンルの映画との距離感も自然と開いてしまうもの。

 しかし、本作に限って言えば、心配ない。たとえ、歌やダンスがなくともそのドタバタの展開だけで十分なほど面白い確固たるプロットが、本作にはある。そもそも、舞台がスタジオだから、急にキャラクターが歌い、踊り出したところで違和感も何もない。そして、そのプロットに超一流エンターティナーの至高の芸がプラスされるから天下無敵なほど面白い。

 開巻、早々、ヴォードヴィルの舞台で見せる、ジーン・ケリードナルド・オコナーの二人が披露するタップのステップに目が釘付けになる。そして。スタジオの楽屋裏でドナルド・オコナーが躍動感たっぷりにパフォーマンスする、コミカルでアクロバチックなダンスに圧倒される。

 プロット展開もスピーディ。大ヒットした他社のトーキー映画第一号「ジャズ・シンガー」に続けとばかり、製作中の無声映画をトーキーにするアイデアまでは良かったが、肝心の主演女優のリナは歌えず喋れずの役立たず。しかし、コズモがキャシーの声をリナにアテレコで吹き替えることを思いつき・・。

 本作は、サイレントからトーキーへシフトするメイキングを実地で見ているような楽しさにあふれている、歴史的なターニングポイントを絵解きで解説してくれるような面白さにも満ちている。特に、記念すべき自社のトーキー第一号となるはずの初号の試写で、全く音が合わず、ノイズも入りまくり、フレームもブレブレなシーンには、思いきり笑わされる。

 そして、ジーン・ケリーが、出血大サービスとでも言わんばかりに、手を変え、品を変え、次から次へと繰り出すダンス・シーンの素晴らしさ。ダンス!ダンス!ダンス!パフォーマーたちが、ただひたすら目指すのはザッツ・エンターティメントの頂きなのだ。

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 あの、あまりにも有名過ぎる、「雨に唄えば」を歌い踊るシーン。ジーン・ケリーの足元で。はじける水しぶきの一粒一粒までもが、振り付けされたかのような魔術的な世界には、ただもう見惚れるしかない。そのステップは勿論、その動き、身のこなし、指先のポーズにいたるまで、ジーン・ケリーは、その存在そのものが芸術といっていい。

 とにかく本作は、そうして繰り出されるダンスやクラシカルな合成も楽しいポップなシーンの数々を、ただ無心に楽しんで、あれよあれよと見るうちに時間が夢のように過ぎて行く。

 勿論、最後は身もふたもない、あからさまなハッピーエンドだけど、ザッツ・エンターティメント・スピリッツの塊のようなエンターティナーたちへの惜しみない賛辞もあいまって、素直にホロリと泣けてしまう。

 かつてハリウッドであだ花のように百花繚乱に咲き誇っていたミュージカル。今や、リアリズム偏重な映画ばかりになってしまったが、そもそも現実を切り取るキャメラで撮影するものだから、それも必然なのかもしれない。キャメラの向こうに有り得ない絢爛豪華な夢の世界を現出していたミュージカルが、再び台頭することなど、おそらくないのだろう。

 時代の、必然でもあるけれど、その時代と共に消えて行った、ジーン・ケリーフレッド・アステア、それにドナルド・オコナーといった神業としか思えないパフォーマーたちがこの世に再び現れることなど決して有り得ないのだから。

 ただ、ミュージカルは何となく苦手というだけで、もしも、この世界を未体験という人がいたら、この未体験ゾーンを見逃しておく手はないですよ~

田舎者VS地中のJAWSの大激闘!キャメロン印のエンタメ・パワー満載のモンスター・パニック・ムービーの超傑作!「トレマーズ」

カントリー・ピープルVS巨大ミミズ?B級映画ファンならずとも嬉しくなること間違いなしの快作。

(評価 78点) 

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 思わぬ拾い物、という言葉がある。映画ファンにとってはボーナス特典のようなこの言葉。その言葉が本作ほどふさわしい作品はない。そう、本作「トレマーズ」は思わぬ拾い物どころか、そんじょそこらの大作では決して得られないカタルシスさえもたらしてくれる思わぬ贈り物といったところなのだ。

 そもそも製作総指揮をつとめるゲイル・アン・ハードが、この脚本に目を止めたのも、あまりにもバカバカしい設定なのに、キャラクターたちが良く書けていることだった。確かに、ほぼ無名な脚本家コンビによる本作のコンセプトは、そのものズバリのJAWSがもしも地上に現れたらというものであり、巨大ミミズの化け物のパニック映画と聞くだけで、大抵の人はドン引きしてしまうはず。

 しかし、開巻早々、出てくるバル(ケヴィン・ベーコン)とアール(フレッド・ウォード)のコンビが、ブーたれながら絶妙な掛け合いを演ずるのを見れば、そんな不信感が吹き飛んで、たちまち映画に引き込まれてしまうのも確か。

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 とにかく本作は、キャラクター。それも思い切りド田舎のカントリー・ピープルたちが実にイキイキと描けている。そんなカントリー・ピープルたちが力を合わせてグラボイドの異名を持つこのモンスターに立ち向かっていくところが、とにかくエキサイティングなのだ。

 バルとアールは、ニッチな清掃絡みの雑用で賄いを立てているしがない野郎たちで、今日もゴミ回収やバキューム・カーでの汚物の処理などに追われている。ところが車での移動の道すがら、鉄塔で死んでいた老人を発見し、さらに途中、地震学者のロンダ(フィン・カーター)と出くわし、近辺で、異様な振動現象が起きていることを聞かされる。

 そんな時、道路工事の業者の無残な死体を発見した後、二人の目の前に現れた怪物こそミミズの化け物のようなモンスター、グラボイドだった。

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 やがて、二人はダイナーにいた町の人間たちと合流し、砦と化したダイナーに立て籠もり、何匹もいるグラボイドと戦うことになる。

 本作は、とにかく、とりもなおさず怪物映画のお約束を全面的に踏まえた展開と、バカバカしいほど作り物感丸出しのこのグラボイドに対し、一切手を抜かずに大真面目に、町の田舎ものたちが格闘するところがいい。このグラボイドがもし、CGで自在に滑らかに描写されるモンスターだったら、これほどの感動は絶対に得られない。これこそまさしくアナログならではの恩恵といったところだろう。

 本編通じてのそのお約束事が、このクラボイド、聴覚や知覚が異様に敏感で、地上の音に反応して行動すること。だから、こいつに追われたら、津波ではないけれど、まずは岩の上や建物の屋上に避難する、そして極力、音を立てないことが防御手段なのだ。

 だから、岩の上に避難し、動けなくなったバルたちが、ロンダの提案で、棒高跳びの要領で、長い棒を使ってピョンピョンとびながら岩を伝って脱出する、そして、後半、半壊したダイナーから、ブルドーザーに乗って避難する時も、囮替わりに無人のトラクターを使う。また、いよいよクライマックスでは、石を地面に投げて、その音をエサにおびきよせ、タイミンングを見計らい、ダイナマイトで撃退するなど、原始的なアイデアを矢継ぎ早に繰り出して、モンスターとのバトルシーンをつるべ打ちに展開するから、まったく目が離せない。

 最後、突進してくるクラボイドをバルが崖っぷちで交わし、崖の側面をクラボイドが粉砕してそのまま落下するところなどは、あのスピルバーグの「激突」の巨大トラックのシーンをそっくりなぞっていて笑わせる。

 大騒動が一件落着し、町を去ろうとするバルとリンダがお約束のキスでのハッピー・エンディングには、ジーンとさせてくれる感動すらあるから、もうB級エンタメ映画としては満点といっていい。

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 さて、本作には、その面白さ引き立てるのに、主役のバルとアールを出し抜くほどにひときわ貢献しているキャラクターがいる。クラボイドを恐れ、逃げ惑うだけのカントリー・ピープルの中で唯一、果敢に立ち向かう人物だ。自宅に核シェルターを備えたガン・マニアの夫婦である。この夫婦、とにかく無類のガン・マニアで、そのシェルターにありとあらゆる銃火器をコレクションしているところが可笑しい。そして、そんな夫婦が、クラボイドの出現とあらば、ここぞとばかりに嬉々として、コレクションしている銃を片っ端からぶっ放してクラボイドを撃退するのだ。

 このシーンの痛快なことといったら、もう、手放しでこちらも快哉を上げるしかない。

 忘れてはならないのが、本作のプロデューサーのゲイル・アン・ハードが当時、あのジェームズ・キャメロン夫人だったこと。ジェームズ・キャメロンは後に、キャメロン夫人ともなる女流監督のキャサリン・ビグローとともに無類のガン・マニアなことは知られている。

 嬉々として銃火器をぶっ放す夫婦が、このキャメロン夫妻の姿にダブって見えるというのは、うがった見方だろうか。

 しかし、キャメロンのエンタメに、いつもヒューマンなバックボーンがあるのと同様、本作の主役もクラボイドではなく、あくまでもカントリー・ピープルだ。彼らが結束して、知恵と力を振り絞ってモンスターと戦う姿があるから、こちらも熱くなれる。

 しかし、これが、何作も数えるフランチャイズとなったことは、さすがの製作陣も予測できなかったのではなかろうか(現に、一作目の興行収入は、ほんの小ヒットに過ぎなかった)。いくら一作目がこれほど良くても、さすがに2,3~となると見てみたいような見たくないような・・・