負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の獣よりも凶悪無比なケダモノが機関車の上に仁王立ちした件「暴走機関車」

巨匠黒澤明のエンタメ気質とハリウッド、そしてロシアの哲学がトリプルクロスして雪原を突っ走る快作

(評価 76点)

 日本が誇る一大巨匠、黒澤明。その巨匠がしたためた一本の脚本。その脚本はたちまちハリウッドの目に留まり、映画化の快挙がクロサワ自身の手で実現するはずだった。しかし、その企画が頓挫、その脚本は長らく一つの伝説となった。

 膨大な企画が浮かんでは消えていく映画業界にあって、映画化が果たせないまま、脚本のネームバリューだけが不滅のままレジェンドと化していく脚本があるもので、この「暴走機関車」は長年、業界関係者、映画ファンの間では不滅のブラックホールのような一つのエンブレムとなっていた。

 それが何と、1985年になって、黒澤脚本のコンセプトをそのまま換骨奪胎して映画化された時は、少なからず誰もが驚いた。しかし、当時の負け犬は、もはや列車暴走のプロットが巷に溢れていたこともあって、さしたる食指も動かず未見のままだった。

 それが今回、ひょんなことから見るに至ったのも、たまたま読んでいた、伊坂幸太郎の「マリアビートル」の一文に本作のタイトルが言及されていたから。

 そーいえばそんな映画あったよな・・と見てみたら、これが骨太の快作ですっかり嬉しくなった。

 何といってもクロサワ作品独特のファナティックでエネルギッシュなテイストと、ロシア人監督アンドレイ・コンチャロフスキーの重々しくもウェットな哲学性、それが混然一体となってアラスカの雪原を突っ走るビジュアルとなって結晶化しているのが何とも堪らない。

 ストーリーの骨子はクロサワの原案に沿っている。極寒地帯のアラスカの刑務所から脱走した二人組の凶悪犯が逃げ込んだ機関車の機関士が心臓発作を起こし、暴走を始める。そして、そこに居合わせた一人の女性機関士と三人で暴走機関車を止めるべく奮闘する。

 きわめて単純、シンプルの極致のストーリー。でも映画的興奮は、まさにそんなシンプルな構造そのものからもたらされる。

 何といってもそのロケーションも圧巻の、雪原を突っ走る、アラスカ鉄道に実在したGPシリーズの車両にカスタマイズを施した機関車のビジュアルが圧倒的に素晴らしい。

 本作でアカデミー賞にもノミネートされた、キャラクター造形も素晴らしいの一語に尽きる凶悪犯マニーを演ずるジョン・ボイト。それに80年代に活躍していたエリック・ロバーツの二人が刑務所を脱走し、厳寒の雪原から操車場に辿り着き、やって来たGP機関車をはじめて見た時のビジュアルは、トレバー・ジョーンズの音楽もあいまって。まさに荘厳な野獣が現出したようなインパクトがある。

 何かが起きる。そして、まさしくそれが起こるのは、機関車が走り出してすぐの事。それからは一気呵成に暴走した機関車と、それを見守る指令センター、そしてマニーたちを追う刑務所長、三つ巴となって映画自体がヒートアップしていく。

 機関車はといえば、暴走開始早々、対向車の最後尾の車両とクラッシュし前部が粉砕。その大破した面構えもまさに野獣の様相を帯びて厳寒の中、突っ走る。

 崩れかけた橋、待ち構える化学工場のプラントといったいくつものトラップが待ち受ける中、果たして三人の運命は!とくれば、これはもうハリウッドのエンタメ以外の何物でもないとなるところだが、ただのエンタメで終わらないところが本作の魅力といえる。

 それは、本作における暴走機関車がただの物言わぬ機関車ではなく、デッドエンドが待ち受けるフリーダムという一つのメタファーになっているところ。そして、結局、その運命を受け入れるのが獣よりも凶悪なケダモノだという二重の構造になっているところなのだ。

 だが、そもそもどうしてこうなったのか?

 これは、まず間違いなく脚本にもクレジットされているエドワード・バンカーによるものだと断言できる。

 エドワード・バンカーといえば、前歴が前科者、刑務所で服役中に書いた小説が出版されたことから映画界に足を踏み込んだ強者だ。

 映画にも端役で出演し、もっともポピュラーなのは、タランティーノの「レザボアドッグス」のMrブルー役のいかにもそれらしい雰囲気を携えた男だといえばピンとくる人も多いはず。

 本作でもマニーのムショ仲間の唯一無二のダチとしてスキンヘッド姿で出演し、導入部の刑務所内の描写のリアリティを高めるのに一役買っている。

 最後のクライマックス直前、マニーが女性機関士に野獣と罵られ「俺は野獣よりも凶悪だ、つまりは人間だ!」と叫ぶセリフこそが機関車がメタファーたる所以であることは明白で、まさにバンカーが生涯をかけて訴えようとしたセリフに他ならない。

 何故なら、バンカーが服役中に書き上げた処女小説のタイトルこそが、本作の最後にテロップとして引用されるシェークスピアの作中のセリフの冒頭部分の「No Beast so Fierce(野獣よりもケダモノ)」に他ならないからなのだ。

 この小説はこの負け犬が生涯、愛してやまない作品の一本「ストレートタイム」としてダスティン・ホフマン主演で映画化もされた。

 本作の最後、後部車両を切り離し、特攻隊さながらにデッドエンドに突っ込んでいく先頭車両の屋根に仁王立ちしたマニーを捉えた映像は、さながらあのニューシネマの名作「バニシングポイント」で破滅の臨界点で爆発するダッジ・チャレンジャーを想起もさせ、誰の心にも焼き付くはず。

 

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 それにしてもこの年になって、数十年間未見だった作品をふと思い出し、見てみたらこれが傑作だったというのは実に嬉しいものですよね~。

 そのきっかけが伊坂幸太郎の小説「マリアビートル」つまりは天道虫だったというのが何とも~