負け犬がおとぎの国で切る仁義「ザ・ヤクザ」
小指を詰めるって爪を切るぐらいの痛さしかないんだってことを、この映画で初めて知った
(評価 76点)
最初に見た時はズッコケたのに、後になって好きでたまらなくなる映画というのはあるもので、負け犬的には、そんな映画がまさにこれ。
1974年、まさにブルース・リーのドラゴンが世界を席巻していた時代。ワーナー映画が高倉健をポストブルース・リーとしてブチ上げ、スマッシュヒットを目論み、見事に大コケした作品。当時は確か日本ではお正月映画として公開されたはず、しかし、その時分、まだほんの子供だったが、とてもまともにヒットしたとはいえない散々な興行だったと記憶する。
実物を見たのは、公開からずっと後のテレビのゴールデンタイムの洋画劇場。ウワサには聞いていたが、そのトンチキぶりには確かにズッコケた。
オープニングから違和感ありあり。ビシっと三つ揃いを着こなしたビジネシマンタイプの日本人がいきなり中腰になって珍妙な仁義を切り出すわ、健さん(役名もケンっちゅうのが何とも・・)とミッチャムがシリアスな会話をしているのに、とてつもないデカい声でクラブの歌手が朗々と歌を唄ったり(この唄の作詞は何と阿久悠)。果ては、座敷で会話中、突然、尺八を吹く虚無僧が現れるわ・・まあそのトンチキさたるや枚挙にいとまがない。
公開当時のキネマ旬報のバックナンバーを見ても本気でこれを国辱映画扱いしている批評家もいた。
ところがだ、それからそんな映画の存在すらも忘れたころ、たまたまビデオで見ているうち、そのトンチキぶりが、何だかおとぎの国のファンタジーに見えてきた。そうなったが、運の尽き。何回見てもそのファンタスティックぶりに陶酔し、以来、本作は、マイファンタスティック・フェイバリット・ムービーの座にのし上がり、繰り返し見るループへと堕ちている。
確かに、いきなり虚無僧はねえだろって誰もが思う。でも、この前、雑踏歩いてたらお布施を下げたお坊さんが、マスクをしたままのっしのっし歩いていた。公開当時から半世紀近くもたった今の日本なのに。
良く考えれば、その国がどこであれ、異国というものの表層だけをすくい取ってアラカルトに仕立てたら、誰もがトンチキにしか見えないものが出来上がる。
この映画ではヤクザのボスたちの会合は、あくまで京都の国際会館で行われねばならないのだ。そして、最後の最後に、ロバート・ミッチャムが健さんへの義理を果すため、とばすエンコの痛みは、深爪切った時の痛み程度でちょうどいいのだ(ミッチャムが指を詰めた後、うっすらと額に汗をかく程度でアリガトゴザイマシタというシーンは無茶苦茶に可笑しくてハリー・ポッターも顔負けのファンタジーだ)。
これからの異文化ギャップの合言葉はファンタジー!これに決まり!