負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬が金魚のように口をパクパクさせながら極悪映画を鑑賞した件「冷たい熱帯魚」

さかなクンもビックリ!ここは肉食魚が小魚を捕食する人生の奈落を垣間見る世にも残酷な水族館(評価 64点)

園子温監督の極悪映画として名高い本作。今回、初めて鑑賞しました。

確かに極悪ではあるけれど、負け犬的には本作は、いわばまるで肉食魚が小魚を捕食する、その残虐な食物連鎖が繰り広げられる水槽を覗き見るようなパノラマチックな妙味がある一作といえようか。

 そして、何よりも圧巻は、やはり主人公を奈落におとしめるヴィランの村田を演ずるでんでんの圧倒的な怪演に尽きる一作と言っていい。でんでん無しに本作はこれほどの評価を得ることは決してなかったはず。

 まずは開巻、主人公、社本(吹越満)の後妻、妙子が、スーパーでかっさらうように冷凍食品を掴み取り、家に帰って乱暴にレンジでチンし、一家三人が食卓につくまでを暴力的なカットで描写するオープニングに引き込まれる。

 社本とその後妻の妙子、そして一人娘の美津子の一家、その三人の夕食は冷たい水槽の中のように冷え切っている。まるで凍り付きそうな水槽の水面に、さざ波が立つきっかけが美津子のスーパーでの万引き事件。

 そのトラブルの仲介役となった村田(でんでん)と知り合ったことが、社本が奈落に落ちていくすべてのはじまりとなる。

 本作は、冒頭でTRUE STORYのタイトルが現れるように、実際に、埼玉で1993年に発生した、愛犬家連続殺人事件をベースにしている。

 埼玉でペットショップを営む夫婦が、出資をめぐるトラブルなどが生じた相手を次々と殺害した凶悪事件。被害者を硝酸ストリキニーネで毒殺したうえで、証拠隠滅のためにその死体を解体した上で微塵も残さず廃棄するという犯罪史上に残る極悪非道なものだった。

その事件のあらましをWikiなどで読むと、本作がオーソドックスにその事件を細部にいたるまで時系列に描写していることが良くわかる。

 そして実際の事件の主犯とされた男のキャラクターもまさに本作のでんでんそのままだったことにも驚かされる。

 実際、初めて画面に登場した時から、そのでんでんが放つ危ない奴100%のオーラに圧倒されない人間などいないのではなかろうか。

 そして、こうした事件の主犯者の例に漏れず、必ず備わっているのがヤマ師独特の人を引き付けるバイタリティーだ。

 村田と同じく、自らも熱帯魚販売の店を営む社本はたちまち村田(でんでん)の世界に取り込まれ、極悪な所業の片棒を担がされていく。社本が金魚とすれば、村田はさしずめピラニア。

 この社本の金魚が口をただパクパクしながら、眼前で繰り広げられるピラニアの村田のエスカレートしていく行為にあれよあれよと加担させられていく様は、人生の奈落の地獄めぐりを見ているようなある種のカタルシスすらある。鼻歌を唄いながら、殺した死体を若い妻とともにバラバラに解体していくシーンはその極みで、このくだりは不快感に加え、ある種ギャグを見ているような不思議な感覚にとらわれる。

 「でんでん」の怪演の味付けともなっているのが、社本の妻、妙子(神楽坂恵)と村田の若妻、愛子(黒沢あすか)のエロエロしさ加減。この二人が絡むことで、残虐さと欲望の相乗効果で映画がいっそうの熱を帯びてくる。

 「死体を透明にすることが一番大事」

 本作でもでんでんが口にするこのフレーズは、実際の事件の主犯が口にしたモットーである。

 死体が見つからなければ絶対に犯行が露見することはない。そうふてぶてしくのたまわりながら、殺人を続け、ただ受け身にしか生きてこなかった社本を罵倒し、共犯者に仕立てていく村田の末路については、キャラクターの構図を踏まえ、実際の事件の顛末とは異なる脚色が施されている。

 追い込まれた金魚が奈落の淵に立たされた時、果たしてピラニアにどう一矢を報いるのか?この顛末については是非ともご自身で目の当たりにしていただきたい。

 ただし、はっきり言って本作、事件のノンフィクションから逸脱して園子温流のフィクションになっていく顛末の部分は、過度にグロテスクで、またやたらとクドく、一気につまらなくなっていく。やはり、本作、結局、つまるところ見るべきものは「でんでん」のパーソナリティに尽きることに気づかされる。

 日常には、SNSにデマや中傷、決して世間には露見しないような得体の知れない悪徳が渦巻いているが、本作で笑顔を浮かべ繰り広げる村田の行為は、極悪は極悪でもそれに比べればわかりやすい悪行かもしれない。

 それでも、ゴミ屋敷に多頭飼育、騒音に虐待といったご近所トラブルが生み出す不協和音、でんでんが主人公と接点を持つ本作の導入部はそんな誰もが感じるような不穏な不気味さが確かにある。そして、本作の「でんでん」はある意味、一般人がご近所トラブル起こす厄介な隣人に抱くそこはかとない恐怖そのものの体現なのだ。

 つつましやかにただ安穏と日常に安住しているそこのあなた。あなたの背後にもいつか満面の笑みを浮かべた「でんでん」が迫って来る日が来るかもしれない。

 いや、もうそこまで来ている、ホラあなたの肩口に・・・