負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のこんなサスペンスは如何でしょう?のどかでシュールなネオ・サスペンス「ゴールキーパーの不安」

何も起こらないから面白い。こんなサスペンスが未だかつてあっただろうか。一向に起こらないサスペンスを待ちわびるサスペンスフルな時間。若きヴェンダースの野心と才気、後の北野武の出現の予兆ともなった不思議サスペンス!

(評価 72点)

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 ズレそうでズレない緩い腰回りのズボンのじれったさ。ズボンの吊り紐のサスペンダーがその語源ともなっているサスペンス。サスペンスといえば、どんなジャンルの映画であれ、映画にとって絶対に欠かせないスパイスだろう、サスペンスなき映画に鑑賞するに値する求心力は期待できないもの。

 でも、ここに開巻からエンディングまでサスペンスなど何も起こらず、ただそのサスペンスを待ちわびて、結局何も起こらない映画があったとしたら、どうだろう。それでも、ちゃんと殺人は起こるし、音楽までそれなりにヒッチコック風なのだ。そんな作品こそ「パリ・テキサス」で一時期、絶頂を極めたキング・オブ・ロード・ムービーの異名を持つ巨匠ヴィム・ヴェンダースの初期作品「ゴールキーパーの不安」だ。

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 本作のイントロは、とある昼下がりのサッカーの試合。さしたる緊迫感も何もない間の抜けたその試合のフィールドの隅っこに置かれたゴールポストで、手持ち無沙汰にしている人物こそ、本作の主役ブロッホ。そもそも、ひたすら90分間、ちょこまかと動き回るプレイヤーとは対極にあるのが、まさにゴールキーパーという存在で、それ自体がシュールな存在のような、このゴールキーパーブロッホが、サッカーボールならぬ自分自身が、ドリフトするだけの映画が本作と言っていい。

 試合が終わり、とある町へと出るブロッホ、そこから本作のたゆむことのないドリフトが始まる。町を徘徊し、ただ、何をするでもなくビールを飲み、ただブラブラする。どこまでものどかなテンポ。しかし、サスペンスの予兆を匂わすような音楽のおかげで、見る側は何処かしこにサスペンスの到来を予感する。

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 そんなブロッホが行きずりに映画館に勤める一人の女と出会い、女のアパートに行く。異様なのがその直後、女と共に過ごした翌朝、ブロッホは実に何気に、何の理由もなく、その女を殺してしまう。決して、激情にかられての犯行ではない、無感覚に指先の虫の息の根を止めるかのように一人の人間を殺める。その上、現場を立ち去る際には入念に指紋まで拭き取る。そして、そのアパートを出たブロッホはそのまま延々とバスに乗って郊外の田舎町に向かう、しかし、だからといって、そこに至っても本作は決してサスペンスに転じようとはしない。ようやくサスペンスが到来するのか、という見る側の期待をあっさりと裏切るかのように本作は、以降もあくまでも淡々とブロッホの行動を追っていく。

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 ブロッホには、人間をその手にかけて殺した一抹の動揺も見られない。まるで何事もなかったかのように淡々と時を過ごすブロッホには、サスペンスをも超えて異様な威圧感がある。そして、その田舎町で、まるで殺人者の無邪気な休日のように、ただ何げに日常を過ごすブロッホを見て、いつしか慄然としている自分に気付くことになる。やがて訪れる本作のエンディングは再び、舞い戻ったフィールドでサッカーの試合を眺めるブロッホで終わる。一幕の間の抜けたコントを見たような、白日夢にも似た感覚を何処かで見たと思ったら、草野球で始まり、草野球で終わるあの北野武の傑作「3-4X10月」だった。

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 本作は1972年の作品だから、「3-4X10月」は、そのずっと後という事になる。おそらく北野武は本作を見てもいないし。知りもしないはず。それでも、起こるはずのサスペンスを真っ向から否定するその挑戦的な姿勢は、才気走った才能のみに許される大胆な挑戦と言えるかも。

 どこまでものどかでシュール、何も起こらないのに、不思議と面白い。それこそ北野武の作品に通奏低音として流れる感覚で、西洋と東洋の鬼才がまるでクロスオーバーするが如く、本作は、見るたびに新鮮なリフレッシュ感すら覚えてしまう、未だに不思議な作品なのだ。

 

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