負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の良い子はみんなで殺し合う「バトルロワイアル」

殺し合え!このクレイジーな世界を生き延びるまで!仁義なきフカサクが世界に放ったアンチモラルなハイパー・バイオレンス!

(評価 76点)

 

日本映画はスタティックでモラリスティック。そんな常識を「仁義なき~」の深作欣二が70才にして、心地いいまでに粉砕した衝撃作。

 御年70才、といえば誰にしたって年金のお世話になる老齢ということになるのだろう。ところが今やエイジレス。海の向こうではジョージ・ミラーが同じく70代にして、マッドマックスをクレイジーにリブートしてくれた。そして、日本では、深作が世界の日本映画への固定観念を覆すような一作を放ってくれた。今や、もはや人間は70代のシルバー・エイジから狂い咲きするのだろうか?

 かつてはふんだんに許された、どこまでも黒く塗りつぶされたブラックなユーモアというやつは、まずは表現の規制ありきの現代では切り捨てられる。かつてB級映画の帝王ロジャー・コーマンが70年代に放ったカルトSF「デス・レース2000年」などという不埒な映画は、今となってはハリウッドでも到底、許されないご時世になってしまった。

 ところが、レース中に人間を殺せばポイントが加算されるというデス・レースも真っ青になるような映画が21世紀に突入した日本で生み出され、日本のみならず世界にデス・ゲームのムーブメントを発信してしまった。ブラックであることが許されない社会で、まるでそれに風穴を穿つかのような本作に、すがすがしいそよ風のようなフリーダムを覚えてしまうのはこの負け犬だけだろうか。

 「新世紀教育改革法」のテロップがいきなり表示される、とってつけたようなワザとらしいオープニングに苦笑する間もなく、修学旅行のなごやかな風景が、バスの運転手とバスガイドのお姉ちゃんがガスマスクを装着する不穏な空気で一変し、いきなりデス・ゲームの教室に誘われるスピード感に満ちた圧巻の導入部がまず素晴らしい。

 「今日は、皆さんにちょっと、殺し合いをしてもらいま~す」

 ビートたけしの間の抜けた素っ頓狂なそんな第一声から始まる、それからのシュールかつ徹底したブラックなデス・ゲームのイントロダクションのくだりこそが本作の真骨頂。深作監督が直々にキャスティングした、圧倒的なリアリティを放つ役名もキタノのままの教師役のビートたけしと、生徒たちとで交わされる、残酷なメルヘンを地で行くようなブラックなやり取り。

 実は負け犬は、この後に展開される予定調和的なデス・ゲームの本編よりも、このシュールきわまりない教室でのクレイジーなホーム・ルームのシークェンスの方が遥かに面白かったし驚嘆した。そして、それまでの日本映画の暗黙のルールや常識を打ち破るかのように、ここまで映画そのもののスタンスを、ブラックなベクトルに振り切ってみせた深作監督にリスペクトの念すら覚えてしまった。

 原作では、このくだりは、黒板にゲームのルールを書いて説明する描写になっている。これを、ハウツービデオのようなオフザケ映像を皆で見るというビジュアライズの改変がまずは秀逸。

 ここでのキタノのセリフはあくまでも間が抜けている。しかし、ここで交わされる生徒たちとの掛け合いの合間に、口をつくセリフは、それなりに説得力があるのがシュールなところ。その点、映画版よりも原作の方がすぐれているといえる。

「君たちはみんな独りぼっちで戦わなきゃなりませ~ん」

「私語はだめだぞ~。私語をするやつには、先生、つらいけどナイフ投げるぞ!」

 ここまでブラックなテイストが横溢する作品には、日本ではそうそうお目にかかることはなかった気がする。

 本作が、公開時、壮絶なバッシングを浴びたのは周知の通り。某番組に出演した深作監督がコメンテーターたちの非難の矢面に一身に立たされていたことは今でも覚えている。その時、監督が口にしたのが戦時中の体験だったことも。

確かに、中学生たちが殺し合うシチュエーションと比べれば、戦争終結間際、ヒステリックに周囲が本土決戦を叫ぶさなか、沖縄の地で次々に自決していったひめゆりの塔のシチュエーションなどの方が、はるかにクレイジーと言えなくもない。だた、その当時は、マスメディアに煽られていた本作に、天邪鬼的にネガティブな感情を抱いていたこともあり、深作監督の発言にも、また本作そのものにもさしたる関心は抱かなかったのだ。

 かくして、本作を見たのは不覚にも遂、最近のこと。そういえば見ていなかったと、たまたま何気なく手に取って改めて驚かされたという次第。

 クリエイターという立場の人が、ある種のタブーを突破して、限界を突き抜けてみせるのは、とかく難しいもの。それを深作監督は、本作で、それも70才という年齢でやってのけた。

 デス・ゲームに突入し、秋也(藤原竜也)をはじめとする中学生たちが生き延びるために、裏切り、ワナを仕掛けあっては殺し合う。確かにアンモラルきわまりない不道徳な映画には違いない。でも、ここには、負け犬も大好きな深作監督のもう一つの代表作「いつかギラギラする日」のような、とにかく既成の常識を覆してやろうというクリエイターの熱気が確かにある。

 限界突破。日本のみならず、海外でもタランティーノに代表されるクリエイターたちのリスペクトを今も集め続けているのは、深作監督の作品というより、監督そのもののそんな気概や熱量がストレイトに伝わっているからのような気がするのだ。

 良い子であることを否定し続けて映画人生を全うした深作欣二監督のように、この負け犬も良い中高年の殻を脱却してワイルドのベクトルに振り切って見ようかな、と思う今日この頃なのですよ

 

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