負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の空飛ぶカメは夢を見ない「ガメラ大怪獣空中決戦」

見たいものを過不足なく見せてくれる良作怪獣映画のお手本はカメもジェット噴射ですっ飛ぶ面白さだった

(評価 76点)

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激烈礼賛!良作怪獣映画

 本作公開当時のキネマ旬報紙上に載った映画評が、どれもこれも熱狂的な礼賛ぶりだったのは今でも覚えている。曰く、その面白さを称して「インディ・ジョーンズを超えた!」との評まで飛び出す激賛ぶりだった。而して、本作は怪獣映画史上初めてリベラルとして名高かったキネマ旬報ベストテンにもランクインした。

 ところが、それだけのネームヴァリューの本作をそれ以来、何故か見ることもなく。公開から二十数年もの時を経てようやく見たという次第。レジェンダリーのモンスターヴァースによって新たに蘇ったゴジラというキャラクター、そして、怪獣がすっかり巨大なフランチャイズと化し隅々まで浸透したこの令和の時代。そうして、ようやく対面かなった映画は、なるほど、評価に会い違わぬ面白さだった。

 

怪獣映画の理想のサンプリング

 本作成功のカギは、一種のマーケティングにおけるサンプリングと言ってもいいほどの綿密な構成にあるような気がする。それほどまでに本作は受け手が怪獣映画に求めるファクターをランニングタイムの95分の尺の中に、パズルのピースのように過不足なくすっぽりとはめ込んでいる。やはり、その第一の功績は伊藤和典の綿密な脚本にある。

 まず特筆すべきは、ガメラそのものではなく、仇敵にあたるギャオスを最初に出すことで、ガメラ自体のヴイランとしてのヒール的な凶悪な側面も保ちつつ、人類にとって災厄となっている天敵ギャオスを駆逐するヒーロー的な役割をも自然と担う作劇構成。この構成は、そのまま数十年後に華々しく蘇ったギャレス・エドワーズ版の「ゴジラGODZILLA」にそのまま受け継がれている。また、浅黄(藤谷文子)という女子高生が、手にした勾玉によってガメラと心を通わすという、一見、お子様映画になりがちな設定が、最後の激闘の果ての決着のカタルシスに上手く活用されているところも見所。

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 そして、誰もが称賛するビジュアルもまた見事。制約された予算を逆手にとって、実景の中にスーツアクターを据えることで、それまでの怪獣映画にはなかった新鮮なルックスを生み出している他、日本のお家芸とでもいうべき、そのミニチュア・ワークの精密さには舌を巻く。

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空飛ぶカメのカタルシス

 インディを超えたのかというのは、ともかく、総じて、本作は冒頭からテンポが実に良いことは確か。それに自衛隊全面協力による、陸自、海自、空自総動員の実機がふんだんに見ることが出来て、そのリアリティが作品に厚みを与えているのは、後の「トランスフォーマー」にも少なからず影響を与えたのではないでしょうか。

 いずれにせよお墨付きに偽りなし、とにかくのろまなはずのカメがジェット噴射で空高く飛び上がるカタルシスが堪能できる作品には間違いないですよね~

負け犬のこんなサスペンスは如何でしょう?のどかでシュールなネオ・サスペンス「ゴールキーパーの不安」

何も起こらないから面白い。こんなサスペンスが未だかつてあっただろうか。一向に起こらないサスペンスを待ちわびるサスペンスフルな時間。若きヴェンダースの野心と才気、後の北野武の出現の予兆ともなった不思議サスペンス!

(評価 72点)

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 ズレそうでズレない緩い腰回りのズボンのじれったさ。ズボンの吊り紐のサスペンダーがその語源ともなっているサスペンス。サスペンスといえば、どんなジャンルの映画であれ、映画にとって絶対に欠かせないスパイスだろう、サスペンスなき映画に鑑賞するに値する求心力は期待できないもの。

 でも、ここに開巻からエンディングまでサスペンスなど何も起こらず、ただそのサスペンスを待ちわびて、結局何も起こらない映画があったとしたら、どうだろう。それでも、ちゃんと殺人は起こるし、音楽までそれなりにヒッチコック風なのだ。そんな作品こそ「パリ・テキサス」で一時期、絶頂を極めたキング・オブ・ロード・ムービーの異名を持つ巨匠ヴィム・ヴェンダースの初期作品「ゴールキーパーの不安」だ。

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 本作のイントロは、とある昼下がりのサッカーの試合。さしたる緊迫感も何もない間の抜けたその試合のフィールドの隅っこに置かれたゴールポストで、手持ち無沙汰にしている人物こそ、本作の主役ブロッホ。そもそも、ひたすら90分間、ちょこまかと動き回るプレイヤーとは対極にあるのが、まさにゴールキーパーという存在で、それ自体がシュールな存在のような、このゴールキーパーブロッホが、サッカーボールならぬ自分自身が、ドリフトするだけの映画が本作と言っていい。

 試合が終わり、とある町へと出るブロッホ、そこから本作のたゆむことのないドリフトが始まる。町を徘徊し、ただ、何をするでもなくビールを飲み、ただブラブラする。どこまでものどかなテンポ。しかし、サスペンスの予兆を匂わすような音楽のおかげで、見る側は何処かしこにサスペンスの到来を予感する。

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 そんなブロッホが行きずりに映画館に勤める一人の女と出会い、女のアパートに行く。異様なのがその直後、女と共に過ごした翌朝、ブロッホは実に何気に、何の理由もなく、その女を殺してしまう。決して、激情にかられての犯行ではない、無感覚に指先の虫の息の根を止めるかのように一人の人間を殺める。その上、現場を立ち去る際には入念に指紋まで拭き取る。そして、そのアパートを出たブロッホはそのまま延々とバスに乗って郊外の田舎町に向かう、しかし、だからといって、そこに至っても本作は決してサスペンスに転じようとはしない。ようやくサスペンスが到来するのか、という見る側の期待をあっさりと裏切るかのように本作は、以降もあくまでも淡々とブロッホの行動を追っていく。

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 ブロッホには、人間をその手にかけて殺した一抹の動揺も見られない。まるで何事もなかったかのように淡々と時を過ごすブロッホには、サスペンスをも超えて異様な威圧感がある。そして、その田舎町で、まるで殺人者の無邪気な休日のように、ただ何げに日常を過ごすブロッホを見て、いつしか慄然としている自分に気付くことになる。やがて訪れる本作のエンディングは再び、舞い戻ったフィールドでサッカーの試合を眺めるブロッホで終わる。一幕の間の抜けたコントを見たような、白日夢にも似た感覚を何処かで見たと思ったら、草野球で始まり、草野球で終わるあの北野武の傑作「3-4X10月」だった。

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 本作は1972年の作品だから、「3-4X10月」は、そのずっと後という事になる。おそらく北野武は本作を見てもいないし。知りもしないはず。それでも、起こるはずのサスペンスを真っ向から否定するその挑戦的な姿勢は、才気走った才能のみに許される大胆な挑戦と言えるかも。

 どこまでものどかでシュール、何も起こらないのに、不思議と面白い。それこそ北野武の作品に通奏低音として流れる感覚で、西洋と東洋の鬼才がまるでクロスオーバーするが如く、本作は、見るたびに新鮮なリフレッシュ感すら覚えてしまう、未だに不思議な作品なのだ。

 

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負け犬のあの木枯し紋次郎が三船敏郎と対決する!ゴージャスでクレイジーなサムライワールド「最後のサムライ/ザ・チャレンジ」

用心棒の三船敏郎木枯し紋次郎中村敦夫が、ガチでチャンバラ対決するドリームマッチはフジヤマ、ゲイシャなニッポンのキッチュそのものの異世界だった

(評価 70点)

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ベールを脱ぐ国辱映画

 国辱映画。かつてのジャパン・アズ・ナンバーワンの日本ならいざ知らず、すっかりプライドも何もない貧困大国となった日本で今更、国辱も何もない気もするが、その昔、愛読していた「スターログ」という雑誌の隅っこに国辱映画と、その記事の筆者に恫喝されていたのが本作。確かに、外人が日本刀を振りかぶる、如何にもトンチンカンなテイストのそのポスターには、国辱的な臭いがプンプンに漂っていた。その上、監督が巨匠のジョン・フランケンハイマーとくれば、一体、日本をネタに巨匠が何をやらかしたのか、と、それ以来、ずっとこの映画の存在が気になっていた。そして。それから何と、ン十年もの時を超え、遂に本作と巡り合った次第。ようやく負け犬的な記憶のベールを脱いだ国辱映画の実態とは!

 

用心棒vs木枯し紋次郎

 西洋から見たニッポンを描いた映画は数々あるが、一様に言えるのが、どれもこれもネジが外れてピントがあっていないところ。しかし、この負け犬は、たとえばあの高倉健さんの「ザ・ヤクザ」なんかが何故か大好きなのだ。負け犬からすれば、それらの映画が、ニッポンの見慣れた風景が、外人のフィルターを通し、どこかキッチュなテイストに切り取られ、別世界を思わせるファンタジーを感じてしまうからに他ならない。

 一見、国辱映画と罵倒されておかしくはない本作だが、国辱も何のその、負け犬にとっての本作は、まるで異世界をドリフトするような感覚すら催すほどの奇怪で素敵な作品だった。何はともあれ、ラストにはあの用心棒の三船敏郎木枯し紋次郎のボーナス・マテリアルの見せ場まであるとくれば、これはもうある意味、お宝映画といってもいい、そんなキッチュな怪作が本作だ。

 

トンチンカンが爆発するサムライワールド

 ただし、本作が、キッチュでポップなだけとは片付けがたいほど奇怪なのもまた確か。オープニングはいきなり1945年の京都。ある神社で、三船敏郎中村敦夫吉田兄弟が見守る中、古くから吉田家の家系に伝わる伝家の宝刀が、吉田の家老からその孫に授ける儀式が行われている。というわけで、長髪のカツラを被った三船敏郎が出てくる、のっけのファーストカットからもう嬉しくなるほど、負け犬大好物のトンチンカンな気配がプンプン漂っている。

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 そして孫にその宝刀が授けられた瞬間、中村敦夫扮するヒデオが、駆け出してその宝刀を奪い、そのはずみも加わり孫の背中に刀が振り下ろされ、無残にも幼い孫は血に染まり、たちまち起こる乱闘、そして話はいきなり現代のロスアンゼルスへ。

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 このプロローグ通り、本作が終始するのはこの宝刀をめぐる吉田家の三船敏郎の兄と、中村敦夫の弟ヒデオとの、武士の誇りを賭けた戦いなのだ。そして主役のリックを演ずるのがスコット・グレン。この何故かグループ・サウンズを思わせるおかっぱ頭のスコット・グレンが、日本にこの宝刀を運ぶデリバリーマンとして雇われ、京都の地で何故か武士になるための修行に励むというのが本編なのだ。

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 やがて伊丹空港に降り立ったリックは謎の組織に追われ、魚市場を逃げ回った挙句、腹を刺されたところを助けられ、今は三船が家長をつとめる道場に辿り着く。最初はスパイがてら、宝刀目当てに道場に潜り込んでいたリックも吉田の武士道精神に感化され、いつしか本気で武士を目指すことに・・・とトンチンカン・パワーが全編に炸裂する本作。とにかく長髪のカツラを被った三船が出ずっぱりなのは宣伝文句に偽りなしといったところ。

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 加えて、本作に顕著なのは、高倉健のカルト作「ザ・ヤクザ」との共通点。宝刀を兄の三船から奪い取ろうとする中村敦夫扮するヒデオが、アジトの基地にしているのが、あの京都の国際会館。「ザ・ヤクザ」でも高倉健さん扮するケンの兄が拠点にしていたのが、やっぱり京都国際会館だった。更に全編にわたる京都ロケが印象的な本作のキャメラもまた「ザ・ヤクザ」と同じ岡崎宏三と、デラックスカラーという形容がふさわしい鮮烈なルックスもそっくり似通った、まさに厚い絆で結ばれた義兄弟と言ってもいい。

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 そして、最後には、お目当ての、この国際会館に、三船とニックが殴り込みを仕掛けるクライマックスが待っている。ここで繰り広げられるのがまさにドリームマッチの用心棒VS木枯し紋次郎。三船と中村敦夫のチャンバラ。

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 この二大俳優のチャンバラから、銃撃を受けて負傷した三船に代わって助太刀するリックと中村敦夫とのチャンバラになだれ込んでいくくだりの、キメの細かいアクション演出は実に見もの。全編にわたってトンチンカンだった本作が、ここで、打って変わったように目の覚めるアクション映画に変容するさまは圧巻だ。

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トシロー・ミフネのしくじり人生

 1970年代の後半、日本が誇る国際的大スターの三船敏郎は地団駄踏んで悔しがっていた。それというのもハリウッドからオファーされたある映画の出演依頼をにべもなく断ってしまったから。その映画こそ、映画におけるフランチャイズパラダイムを根底から塗り替えたあの「スターウォーズ」。

 三船は、実はあのアレック・ギネスが演じたオビ・ワン・ケノビの役をルーカスからオファーされていた。しかし、安っぽいSF映画で見世物パンダになるのはお断りだと言わんばかりにこのオファーを蹴っていた。悔しがっても後の祭り。

 この後、社長を務める三船プロの経営難もあって、三船はハリウッドからオファーされる依頼を来るものは拒まずのスタンスで受け続ける。

 中には本当に客寄せパンダ扱いのものもあって、本作もいわばそんなやっつけの一本なのだが、「スターウォーズ」で三船が犯したとんでもないしくじりのおかげで、中村敦夫とのチャンバラを目撃することが出来たわけだから、この作品は、いわばそんな三船のしくじりが産み落とした望外のプレゼントといってもいい。

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 いずれにせよハリウッド映画に描かれたヘンテコなニッポンが自虐的に大好きなこの負け犬のような映画フリークにとっては、この「最後のサムライ/ザ・チャレンジ(原題THE CHALLEMGE)」は、見逃せない作品であることは確かですぜ!

 

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負け犬のプーチンさんは変態の小児性愛者がお好き「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」

国家権力の手によって野に放たれたのは史上最悪のモンスター!その権力の厚い壁とシリアルキラーに立ち向かったのはたった一人の捜査官だった。チカチーロ事件の顛末をペレストロイカの歴史と共に描く迫真のネオ・ドキュメント

(評価 78点)

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史上最悪のモンスター

 いびつに歪んだ精神で性的惨殺事件を繰り返す稀代のシリアルキラーサイコパスたち。ただでさえモンスターと言っていい、そんな犯罪者を、もしも強大な国家権力がバックボーンとなって野放しにしたら、考え得る限りの最悪の事態が勃発する。

 昨今、何かと話題のロシア帝国。1982年から始まり、実に8年間にわたり52人もの少年少女たちを惨殺した実在の史上最悪のシリアルキラー、チカチーロ。その所業を描く本作の最大の特徴は、そのロシアという統治国家の権力の手によってシリアルキラーが野放しにされ、52人もの少年少女が惨殺されてしまった、実際に現出したワースト・ケースのシナリオを、そのまま丹念に描いて見せたところにある。

 また本作を見ると、そのチカチーロ逮捕という功績を成し遂げたのは、現在のロシアの前身のソビエト連邦の国家統制の下、立ちはだかる様々な壁と戦い続けた、たった一人の捜査官の不屈の信念だったというのが実に良く分かる。

 そしてまた、その信念こそが、長年にわたる独裁政治という国家体制を、ベリリンの壁の如く崩壊させたペレストロイカを呼び寄せたのだという興味深いレアな事実を窺い知ることが出来る作品でもある。

 

孤立無援の捜査官

 森の中で惨殺された一人の少女の遺体が、科学捜査専門のブラコフ中佐(スティーヴン・レイ)のもとに運び込まれたのは1982年のことだった。直ちに現場検証を命じたブラコフのもとに、同様の手口による何体もの惨殺体が運び込まれ、検死のラボがたちまち一杯になって・・こんなプロローグで始まるネオ・ドキュメントの本作。実はTVムービーなのだが、そのクォリティーの高さから、日本では劇場公開もされた。スピルバーグの「激突」もそうだけど、TVムービーのポテンシャルを超越して劇場公開されるものには傑作が多いが、本作もまたその例外ではない良作と言える。

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 開口一番ブラコフは、すぐに同一犯の連続殺人と見抜き、所属するロストフ民警本部の少将フェチソフ(ドナルド・サザーランド)に、プロファイリングに基づく様々な設備と米国のFBIとの情報網の展開とを申し出る。しかし、ソビエトの統治国家でのシリアルキラーの存在が、プロパガンダに及ぼす影響を配慮した上層部にことごとく拒絶されてしまう。

 もしも国家という強大な権力が、ペドフィリア小児性愛者のシリアルキラーの存在そのものを否定したら、そのモンスターは野放し同然になるだろう。本作は、そうして異常犯罪者が透明人間同然と化した犯罪天国のような環境で、その犯罪を謳歌し、少年少女を惨殺した挙句、性欲のはけ口にするチカチーロの所業が何度も描かれる。だが、TVムービーというフォーマットもあってグロい描写はあくまでもマイルド。だから、その手の映画が苦手な人も安心して見ることが出来る。

 そもそも、本作が主眼とするのは、あくまでも個人と国家という図式で、実直そのもののブラコフが、決してあきらめず何年にもわたって、シリアルキラーの存在を主張し続け、10年近くが経ち、ペレストロイカの機運とともに、ようやく上層部の執拗な圧力から解放される瞬間には、熱いものがこみ上げる。

 ネオ・ドキュメントとはいえ、1984年にたまたま居合わせた駅で、不審な行動をしていたチカチーロに目ざとく目を付け、最初の逮捕をするのがブラコフ本人という、作劇上の改変も少々為されてはいる。しかし、基本リアル・イベントに則って描かれる本作のメソッドは実直そのもの。その丹念な作劇ぶりに好感は持てるが、少々、実直すぎて映画ならではの広がりに欠けるのもまた事実。

 だが、それを補って余りあるのが、名優たちの共演だ。

 

名優たちの存在感

 たった一人で孤立無援の戦いを続ける主人公、その主人公の行動に突き動かされ、協力者たちが集う瞬間には「アンタッチャブル」のエリオット・ネスの味方が集う熱いくだりも然り、エンタメならではの興奮があるが、本作も例外ではない。

 何年も一人で本件の捜査をするブラコフに、あくまでもシステム体制のスタンスを崩さなかったフェチソフが、ようやく人間的に謝罪を吐露し、協力を自ら申し出るシーンは実に感動的。そしてそのフェチソフを名優ドナルド・サザーランドが演じている。

 更に名優がまた一人。頑として本格的なプロファイラーの導入を拒否していた体制側がようやくブラコフの主張に耳を傾け、アドバイザーとして参加することを許されたブハノフスキー博士。この博士に扮するのがこれまた映画史上に輝く名優マックス・フォン・シドー。このマックス・フォン・シドーが「エクソシスト」のメリン神父の頃からまったく変わらぬ若々しい(笑)老けぶりを見せてくれるのが何とも嬉しい。

 何はともあれこのTVフォーマットを超越した名優二人が、ブラコフの捜査に協力するくだりは本作最大の見所。

 

シチズンX」チカチーロ

 完全に一般市民に溶け込み、捜査線上、透明人間のようになって泳ぎ回ったチカチーロ。捜査記録上、その透明性から「シチズンX」とコードネームが付けられたチカチーロが生を受けたのは1936年。

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 幼少期から性的コンプレックスのルサンチマンの中にあったチカチーロは、成年になって教職についてからも、寄宿舎に忍び込んでは少年にフェラチオし、自らオナニーするなどの破廉恥行為を常習化させ、連続殺人を本格化したのも、その教師をクビになってからだった。チカチーロが少年少女を網にかけるために利用したのが駅だった。ロシア全土に拡がる鉄道網を利用することで行動範囲が特定されなかったことも操作が難航した要因だった。一見、何処から見ても実直な中年男、このチカチーロを本作ではジェフリー・デマンが好演している。映画でもわずかに描かれるが、勃起不全だったチカチーロは、性器が変形する程のオナニーの常習者だった。

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 そんな変態の小児性愛者が野放しになったことで行われた犯罪劇。プーチン大統領による核戦争の危機が、地球規模のマックスな惨事とすれば、このチカチーロがもたらした惨状もまた、独裁国家によってもたらされたもう一つの惨事と言える。なんにせよ平和な世界であってほしいと切に願うものです。

 さて、1984年に最初に逮捕されたそんなチカチーロが一旦、釈放されたのは、その当時の血液型の鑑定がシロだったから。そのいい加減な鑑定のおかげで、容疑者リストから完全に抹消されたチカチーロは、その後、6年間にもわたり少年少女を好き放題に虐殺する。

 この時の血液鑑定は未だにロシアの犯罪捜査史上、最大の謎とされている。一説には血液型を特定出来ない特異体質だったとも。だとしたら、チカチーロは、まさにシチズンXならぬXファイルにでも出てきそうな超自然のシリアルキラーということにもなるが、本当でしょうかね~

 

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負け犬が写真を撮ったらギョッとするものが写っていた件「欲望」

優れた才能は共鳴し合う、前衛的でアブストラクトな映画のテイストとサスペンス映画の面白さが絶妙に共存する巨匠ミケランジェロ・アントニオーニのモード・サスペンス

(評価 78点)

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共鳴し合う才能

 映画は折衷主義の芸術だ、と公言し、ヒッチコックの映画のエピゴーネンを堂々と作り続けたブライアン・デ・パルマの代表作でもあり、あのタランティーノがマイベストに必ず挙げるサスペンスの傑作「ミッドナイト・クロス」。そして、あの映画史上に燦然と輝く「ゴッドファーザー」で今尚、トップランクの監督に位置し続けるフランシス・フォード・コッポラ、そして、そのコッポラがもっとも才気走っていた時期にカンヌでグランプリを獲得した、これもサスペンスの傑作「カンバセーション盗聴」。この二つの傑作をインスパイアするに至った作品こそが、今回のアートジャンルの映画監督の巨匠に位置するミケランジェロ・アントニオーニの代表作「欲望」なのです。

 「ミッドナイト・クロス」にしても「カンバセーション盗聴」にしても誰が見ても一目瞭然、本作にインスパイアされたことは明白で、現に、どちらの監督も自身で、本作に触発されて両作品を作ったことは公言もしている。「ミッドナイト・クロス」に至っては、その原題が「BLOW OUT」で本作の「欲望」の原題が「BLOWUP」だから、もう血縁関係とも言っていい。

 では、本来エンターティメント志向のはずのデ・パルマやコッポラが、このいわばアブストラクトなアート志向の作品の何にそこまで触発されたのでしょうか?

 

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「欲望」とは・・

売れっ子のファッション・カメラマンのトーマス(デヴィッド・ヘミングス)はその才能に任せて、ブロンドの可愛い子ちゃんをスタジオに招いては、自由奔放な暮らしを謳歌していた。そんなトーマスがある日、公園で被写体を探すかたわら、いたずらに写真を撮っていると、たまたまフレームに収まった公園のカップルを見定め、そのカップルの写真を何枚も盗撮する。カップルの女性ジェーン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)がトーマスの行為に気付き、ネガをよこせと難くせをつけてきたことから言い合いになるが、カップルの男性の方がいなくなっていることに気付いたジェーンもそのまま走り去ってしまう。さて、スタジオに帰ったトーマスがそのネガを現像してみると、何やら妙なものがフレームに写っていることに気付き・・・。

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 こんなシノプシスの本作だが、本作がある意味、ユニークなのは、如何にもサスペンス風のプロットなのに、この後、本作が一向にサスペンスになることもなく、ただ主人公のトーマスがドリフトするように映画本編中を浮遊し、映画自体も、何処にも着地することなくただアブストラクトなまま、終焉を迎えてしまうところ。しかし、それで煙に巻かれるままなのかというと、決してそうではなく、それが何とも心地よかったりするのが、本作、最大の魅力でもあり、本作が、アート志向のあのカンヌ国際映画祭で見事、グランプリに輝いたゆえんなのだ。そして、それは、ひとえに、ミケランジェロ・アントニオーニの映画の最大の魅力と言っていい。

 

映画におけるプロフェッショナル

 その映画が面白くなるかならないかは、その映画にプロフェッショナルなキャラクターが出てくるか出てこないかが分岐点となる、という名評論で、この負け犬を感銘させてくれたのは、あの映画評論家の荻昌弘氏だったが、いかにもアートジャンルの本作が、俄然、エンターティメント志向のベクトル的面白さを発揮しだすのが、何処から見ても、ただのプレイボーイにしか見えないトーマスが、ネガのフレームの中に写る何かを見つけ、現代通りにネガを拡大(BLOWUP)して何枚も拡大プリントする作業に没頭するシークェンス。

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 本作にインスパイアされたコッポラの「カンバセーション盗聴」には、盗聴のプロファッショナルのジーン・ハックマンが、たまたま録音したテープの会話に、奇妙なフレーズが混入しているのを聞きつけ、アナログのテープレコーダーを何度も再生し、ノイズをクリアリングするメカニカルな作業を描くシークェンスがあった。

 そして。デ・パルマの「ミッドナイト・クロス」には、これも音響効果マンのジョン・トラボルタが、たまたま録音したテープに混入していた車のパンクの音に気付き、その音と雑誌に掲載されていた、パンクによる自動車事故の連続したスチル写真をアニメのコマ撮りのメソッドでショート・ムービーの動画に仕立てるというプロフェッショナリズムに満ちた見事なシーンがあった。

 どちらも映画本来の映像の魅力に満ちた、とてつもなく官能的な名シーンだが、いずれももとはといえば、本作「欲望」でトーマスがネガをブロウアップする、このメカニカルなシーンをコッポラやデ・パルマが咀嚼して自分なりに置き換えて作ったものなのだ。

 いずれにしても、映画はプロフェッショナルが出てくれば面白くなるということを、そのまま体現してのけた名シーンでしょう。

 

見えるもの見えざるもの

 本作「欲望」が描くのは、見えるもの見えざるもの、という映画本来の本質的なテーマだ。オープニングに出てくる白塗りの異様な集団が、エンディングにもまた唐突に現れ、ネガの謎に翻弄されるままのトーマスの目の前で、見えないボールと見えないラケットでテニスの試合をするパントマイムを延々と繰り広げる。

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 映画は、それをボンヤリと見つめるトーマスでエンディングとなるが、それは、映画とは本来、キャメラが捉えたものをスクリーンに映し出すものだ、とい根源的でプリミティブなテーマをシンボリックに表現したものに他ならない。

 そういう意味で本作は、もっとも純粋な映像体験が出来る稀有な作品であり、かつデ・パルマやコッポラがインスパイアされた源泉を興味深く垣間見ることが出来る貴重な作品なのです。

負け犬の大人のためのワンダーランド「007ムーンレイカー」

ただSFブームに乗っかっただけとバカにするなかれ、これはもう大人のためのオモチャ箱!あなたも楽しさ全開のひとときを本作で!

(評価 80点)

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SF一大ムーブメント

 時は1977年、あの「スターウォーズ」がもたらした世界的なSFの一大ブーム。とにかくこのムーブメントに乗り遅れるなかれと、当時、SFなどとは似ても似つかない、ありとあらゆる映画にSFまがいのテイストのスパイスが施されて巷に溢れかえったものだった。

 となればフランチャイズの大御所の007シリーズも黙ってはいない。ちゃっかりその当時、ジェームズ・ボンドが遂に宇宙へ、と大々的にブチ上げて公開されたのが本作。負け犬はと言えば、当時は中学生の生意気盛り、映画雑誌に掲載されていた、「ムーンレイカー」のスペース・ステーションでのバトルのスチル写真から発散される如何にもチープな空気にフンとばかりに鼻で笑って、見向きもしなかった。

 ところが、それから数十年もの年月を経て、何の因果か、急にこの映画が見たくなり、鑑賞するに至った本作。これが意外にも、かつての偏見もなんのその、開巻からエンディングまで、まるでぶちまけられたオモチャ箱をあれよあれよと眺めているかのように時が経ち、気付けばいや~面白かったと感嘆している自分がいたのだった。

 思えば、それなりに良くできたマーチャンダイジングに則った逸品を、ようやく余裕をもって楽しめる年代になったということか、と我ながら改めて思ったりもしたのだった。

 

大人のオモチャ箱

 大人のための立派なワンダーランドと言ってもいい本作、誰もが度肝抜かれる圧巻のスタントのイントロがまずいい。本作公開当時、見向きもしなかった負け犬も、このスタントシーンだけは何かで見て、脳裏にくっきりと刻まれ、克明に覚えていた。飛行機の機内からそのまま放り出されたボンドが、空中を滑空し、先にダイブしていたスカイダイバーのパラシュートを空中で奪還し、パラシュートダイブで窮地を乗り切るこのシーン、数十年ぶりに見てもそのスリルと迫力に微塵の衰えもなく、圧巻そのもの。

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 プロのダイバーが80回以上ものダイビングを繰り返し、その度ごとに撮影した数秒単位のフッテージを巧みに編集したこのシーンをはじめ、お馴染みと言ってもいい水上でのボート・チェイスで、アマゾンの大瀑布にモータボートが吞み込まれる寸前にスカイグライダーで空中に飛翔するシーン、目もくらむロープウェイでの格闘などなど、本シリーズの目玉のひとつである、決死のスタントシーンの数々が次々と繰り出され息つく間もない。

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 それに加えて、フランス、リオ、アマゾンと、シリーズならではのロケーションの展開も見応えたっぷり。更に、再登場の、あの悪役ジョーズ狂言回しになっての、大ヒットした前作で開眼したパロディ・テイストが本作でも、遺憾なく発揮され、随所で笑わせてくれる。そうしたコメディ・リリーフのおかげで、スピード感が衰えることなく。最後の大目玉のスペース・シテーションのくだりまで、とにかく楽しませてくれるのだ。

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 おまけに、これも前作を踏襲し、色っぽいコリンヌ・クレリー他これでもかとばかりにボンドガールが大挙して出てくる。そのボンドガールズのリーダー格がモデル出身で理知的な美貌のロイス・チャイルズというランク付けが出来ているのも嬉しいところ。

 

塩を吹くスペース・シャトル

 本作は、シリーズ初めてフランスのスタジオでの大々的な撮影が行われた。クライマックスのスペース・ステーションは、フランスにおける映画撮影史上、最大なものとなった。

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 全編にわたって、シリーズ専任のケン・アダムズのプロダクション・デザインが冴えわたる本作だが、このスペース・ステーションをはじめ、シャトルの管制コントロール・ルームのモダンなデザインには目を奪われる。やっぱり映画におけるプロダクション・デザインの位置づけは大きいものだと納得した次第。

 目玉のSFXの数々も素晴らしい。特殊効果を担当したデレク・メディングスのアイデアを随所に生かしたギミック感満載の特撮は楽しい限り。特に、シャトルの発射シーンでは、シャトルが吐き出す噴煙を表現するために、何と塩が使われた。シャトル内部に塩を詰めて、単純に噴射口から塩が重力のなすがままに流れ落ちる。それだけで、確かに見事な噴煙に見えるから不思議。円谷英二の特撮で育った世代には、こうしたギミックに満ちた映像は嬉しい限り。総じて本作が、大人のオモチャ箱と称するのもこうした遊び心のおかげというべきでしょう。

 

懐かしき映画看板

 かくしてエンドタイトルのディスコ調のムーンレイカーのテーマを聞きながら、あ~面白かったと大満足できる本作、思えば当時、デカイ本作の映画の看板があちらこちらにあったものだ。その隣に、角川映画の看板が並んでいたりもした。そんな懐かしいノスタルジーに浸れる本作でもあるのです。

負け犬のお宝映画発掘隊!未体験のお宝映画教えます「ザ・チャイナレイク・マーダーズ」

白バイ警官の灼熱の殺人ヴァケーション、あの伝説の映画「ヒッチャー」との血縁の絆で結ばれたTVムービーの傑作!(評価 72点)

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ヒッチャー」との血縁

 YOUTUBEという有難いプラットフォームのおかげで、その存在すら知り得なかった映画たちに出会えるこの時代。そこで発掘したお宝映画をご紹介するこのシリーズ。今回ご紹介する「ザ・チャイナレイク・マーダーズ」、実はこの作品は、今も多くの人たちに愛され、この負け犬も未だに心酔し続けて止まないあの名作「ヒッチャー」と、血縁と言ってもいいほどの固い絆で結ばれた作品なのだ。それもそのはず、本作は、「ヒッチャー」の監督ロバート・ハーモンが自ら製作し、同作の監督に大抜擢されるきっかけとなった短編「チャイナレイク」がそもそもの元ネタとなっているのだ。

 田舎の一人の白バイ警官が、年に一度の長期休暇を利用し、カリフォルニアのチャイナレイクにやってきては殺人を繰り返すという、サイコパスのとんでもない白バイ警官の殺人ヴァケーションというアイデアで作られたこの短編映画。この短編自体、大抜擢されたのも当然と言っていいほどの才気走った目の覚めるような傑作なのだが、本作は、この24分の短編を実に旨く取り込んでフルレングスの上出来のフィーチャーに仕上げている。

 そして。もう一つ驚くのが本作、劇場映画ではなく、米国のお茶の間で放映されたTVムービーであること。あのスピルバーグの「激突」がそうであったように、米国のTVムービーには劇場映画のポテンシャルを遥かに超越したような作品が山のようにあって、そんな作品がこれまた無尽蔵にYOUTUBEにはUPされて、その恩恵に授かることが出来る。これは何度も言うが、実に有難い時代になったものです。

 

dogbarking.hatenablog.com

 

作品データ

 一人の白バイ警官の行動を描いた元ネタの短編を長編化するにあたり、本作が巧みに持ち込んだのが、そのサイコパスの警官と良識的な警官が対決するというオーソドックスな図式。この善と悪とのショウダウンという分かりやすい構図のおかげで、最後までテンション途切れることなく見せてしまう脚色は、ひとまず見事としかいいようがない。

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 そして、それを演ずる俳優のキャスティングが見事なのも見所なのだ。サイコパスの警官を演ずるのが、一般には、タランティーノ映画でお馴染みのマイケル・パークス。そして、そのサイコパスと対決するのが、「エイリアン」や「トップガン」などでお馴染みの名バイプレイヤー、トム・スケリット

 とにかくこのサイコパスのマイケル・パークスが実にいい。元々、この人の個性はその不適で何を考えているのか分からないところなのだが、本作ではその個性を100%発揮して、サイコパス特有の、一見、普通人でありながら、その実、内面には凶暴きわまりない暴力性を秘めているサイコパスを見事に演じている。

 冒頭、何処までも続くハイウェイを白バイがひた走るイントロから、ラストの対決まで、ジリジリと焼け付くような、そのドライなムードは、まさにあの「ヒッチャー」そのもの。

 ディズニーランドからやって来た殺人鬼「ヒッチャー」でルトガー・ハウアーが演じたジョン・ライダーを愛する人ならきっと本作も満足するに違いない。

 

YOUTUBE

 本作の元になったロバート・ハーモンによる傑作短編は以下


www.youtube.com

 

 そして本編は以下で、それぞれ視聴できます。ホームビデオ同等の画質なのは悪しからず。


www.youtube.com