負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬が写真を撮ったらギョッとするものが写っていた件「欲望」

優れた才能は共鳴し合う、前衛的でアブストラクトな映画のテイストとサスペンス映画の面白さが絶妙に共存する巨匠ミケランジェロ・アントニオーニのモード・サスペンス

(評価 78点)

f:id:dogbarking:20220311054324j:plain

 



共鳴し合う才能

 映画は折衷主義の芸術だ、と公言し、ヒッチコックの映画のエピゴーネンを堂々と作り続けたブライアン・デ・パルマの代表作でもあり、あのタランティーノがマイベストに必ず挙げるサスペンスの傑作「ミッドナイト・クロス」。そして、あの映画史上に燦然と輝く「ゴッドファーザー」で今尚、トップランクの監督に位置し続けるフランシス・フォード・コッポラ、そして、そのコッポラがもっとも才気走っていた時期にカンヌでグランプリを獲得した、これもサスペンスの傑作「カンバセーション盗聴」。この二つの傑作をインスパイアするに至った作品こそが、今回のアートジャンルの映画監督の巨匠に位置するミケランジェロ・アントニオーニの代表作「欲望」なのです。

 「ミッドナイト・クロス」にしても「カンバセーション盗聴」にしても誰が見ても一目瞭然、本作にインスパイアされたことは明白で、現に、どちらの監督も自身で、本作に触発されて両作品を作ったことは公言もしている。「ミッドナイト・クロス」に至っては、その原題が「BLOW OUT」で本作の「欲望」の原題が「BLOWUP」だから、もう血縁関係とも言っていい。

 では、本来エンターティメント志向のはずのデ・パルマやコッポラが、このいわばアブストラクトなアート志向の作品の何にそこまで触発されたのでしょうか?

 

dogbarking.hatenablog.com

 

 

「欲望」とは・・

売れっ子のファッション・カメラマンのトーマス(デヴィッド・ヘミングス)はその才能に任せて、ブロンドの可愛い子ちゃんをスタジオに招いては、自由奔放な暮らしを謳歌していた。そんなトーマスがある日、公園で被写体を探すかたわら、いたずらに写真を撮っていると、たまたまフレームに収まった公園のカップルを見定め、そのカップルの写真を何枚も盗撮する。カップルの女性ジェーン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)がトーマスの行為に気付き、ネガをよこせと難くせをつけてきたことから言い合いになるが、カップルの男性の方がいなくなっていることに気付いたジェーンもそのまま走り去ってしまう。さて、スタジオに帰ったトーマスがそのネガを現像してみると、何やら妙なものがフレームに写っていることに気付き・・・。

f:id:dogbarking:20220311054421j:plain

 こんなシノプシスの本作だが、本作がある意味、ユニークなのは、如何にもサスペンス風のプロットなのに、この後、本作が一向にサスペンスになることもなく、ただ主人公のトーマスがドリフトするように映画本編中を浮遊し、映画自体も、何処にも着地することなくただアブストラクトなまま、終焉を迎えてしまうところ。しかし、それで煙に巻かれるままなのかというと、決してそうではなく、それが何とも心地よかったりするのが、本作、最大の魅力でもあり、本作が、アート志向のあのカンヌ国際映画祭で見事、グランプリに輝いたゆえんなのだ。そして、それは、ひとえに、ミケランジェロ・アントニオーニの映画の最大の魅力と言っていい。

 

映画におけるプロフェッショナル

 その映画が面白くなるかならないかは、その映画にプロフェッショナルなキャラクターが出てくるか出てこないかが分岐点となる、という名評論で、この負け犬を感銘させてくれたのは、あの映画評論家の荻昌弘氏だったが、いかにもアートジャンルの本作が、俄然、エンターティメント志向のベクトル的面白さを発揮しだすのが、何処から見ても、ただのプレイボーイにしか見えないトーマスが、ネガのフレームの中に写る何かを見つけ、現代通りにネガを拡大(BLOWUP)して何枚も拡大プリントする作業に没頭するシークェンス。

f:id:dogbarking:20220311054440j:plain

 本作にインスパイアされたコッポラの「カンバセーション盗聴」には、盗聴のプロファッショナルのジーン・ハックマンが、たまたま録音したテープの会話に、奇妙なフレーズが混入しているのを聞きつけ、アナログのテープレコーダーを何度も再生し、ノイズをクリアリングするメカニカルな作業を描くシークェンスがあった。

 そして。デ・パルマの「ミッドナイト・クロス」には、これも音響効果マンのジョン・トラボルタが、たまたま録音したテープに混入していた車のパンクの音に気付き、その音と雑誌に掲載されていた、パンクによる自動車事故の連続したスチル写真をアニメのコマ撮りのメソッドでショート・ムービーの動画に仕立てるというプロフェッショナリズムに満ちた見事なシーンがあった。

 どちらも映画本来の映像の魅力に満ちた、とてつもなく官能的な名シーンだが、いずれももとはといえば、本作「欲望」でトーマスがネガをブロウアップする、このメカニカルなシーンをコッポラやデ・パルマが咀嚼して自分なりに置き換えて作ったものなのだ。

 いずれにしても、映画はプロフェッショナルが出てくれば面白くなるということを、そのまま体現してのけた名シーンでしょう。

 

見えるもの見えざるもの

 本作「欲望」が描くのは、見えるもの見えざるもの、という映画本来の本質的なテーマだ。オープニングに出てくる白塗りの異様な集団が、エンディングにもまた唐突に現れ、ネガの謎に翻弄されるままのトーマスの目の前で、見えないボールと見えないラケットでテニスの試合をするパントマイムを延々と繰り広げる。

f:id:dogbarking:20220311054547j:plain

 映画は、それをボンヤリと見つめるトーマスでエンディングとなるが、それは、映画とは本来、キャメラが捉えたものをスクリーンに映し出すものだ、とい根源的でプリミティブなテーマをシンボリックに表現したものに他ならない。

 そういう意味で本作は、もっとも純粋な映像体験が出来る稀有な作品であり、かつデ・パルマやコッポラがインスパイアされた源泉を興味深く垣間見ることが出来る貴重な作品なのです。

負け犬の大人のためのワンダーランド「007ムーンレイカー」

ただSFブームに乗っかっただけとバカにするなかれ、これはもう大人のためのオモチャ箱!あなたも楽しさ全開のひとときを本作で!

(評価 80点)

f:id:dogbarking:20220308053749j:plain

 



SF一大ムーブメント

 時は1977年、あの「スターウォーズ」がもたらした世界的なSFの一大ブーム。とにかくこのムーブメントに乗り遅れるなかれと、当時、SFなどとは似ても似つかない、ありとあらゆる映画にSFまがいのテイストのスパイスが施されて巷に溢れかえったものだった。

 となればフランチャイズの大御所の007シリーズも黙ってはいない。ちゃっかりその当時、ジェームズ・ボンドが遂に宇宙へ、と大々的にブチ上げて公開されたのが本作。負け犬はと言えば、当時は中学生の生意気盛り、映画雑誌に掲載されていた、「ムーンレイカー」のスペース・ステーションでのバトルのスチル写真から発散される如何にもチープな空気にフンとばかりに鼻で笑って、見向きもしなかった。

 ところが、それから数十年もの年月を経て、何の因果か、急にこの映画が見たくなり、鑑賞するに至った本作。これが意外にも、かつての偏見もなんのその、開巻からエンディングまで、まるでぶちまけられたオモチャ箱をあれよあれよと眺めているかのように時が経ち、気付けばいや~面白かったと感嘆している自分がいたのだった。

 思えば、それなりに良くできたマーチャンダイジングに則った逸品を、ようやく余裕をもって楽しめる年代になったということか、と我ながら改めて思ったりもしたのだった。

 

大人のオモチャ箱

 大人のための立派なワンダーランドと言ってもいい本作、誰もが度肝抜かれる圧巻のスタントのイントロがまずいい。本作公開当時、見向きもしなかった負け犬も、このスタントシーンだけは何かで見て、脳裏にくっきりと刻まれ、克明に覚えていた。飛行機の機内からそのまま放り出されたボンドが、空中を滑空し、先にダイブしていたスカイダイバーのパラシュートを空中で奪還し、パラシュートダイブで窮地を乗り切るこのシーン、数十年ぶりに見てもそのスリルと迫力に微塵の衰えもなく、圧巻そのもの。

f:id:dogbarking:20220308053913j:plain

 プロのダイバーが80回以上ものダイビングを繰り返し、その度ごとに撮影した数秒単位のフッテージを巧みに編集したこのシーンをはじめ、お馴染みと言ってもいい水上でのボート・チェイスで、アマゾンの大瀑布にモータボートが吞み込まれる寸前にスカイグライダーで空中に飛翔するシーン、目もくらむロープウェイでの格闘などなど、本シリーズの目玉のひとつである、決死のスタントシーンの数々が次々と繰り出され息つく間もない。

f:id:dogbarking:20220308054036j:plain

 それに加えて、フランス、リオ、アマゾンと、シリーズならではのロケーションの展開も見応えたっぷり。更に、再登場の、あの悪役ジョーズ狂言回しになっての、大ヒットした前作で開眼したパロディ・テイストが本作でも、遺憾なく発揮され、随所で笑わせてくれる。そうしたコメディ・リリーフのおかげで、スピード感が衰えることなく。最後の大目玉のスペース・シテーションのくだりまで、とにかく楽しませてくれるのだ。

f:id:dogbarking:20220308054020j:plain

 おまけに、これも前作を踏襲し、色っぽいコリンヌ・クレリー他これでもかとばかりにボンドガールが大挙して出てくる。そのボンドガールズのリーダー格がモデル出身で理知的な美貌のロイス・チャイルズというランク付けが出来ているのも嬉しいところ。

 

塩を吹くスペース・シャトル

 本作は、シリーズ初めてフランスのスタジオでの大々的な撮影が行われた。クライマックスのスペース・ステーションは、フランスにおける映画撮影史上、最大なものとなった。

f:id:dogbarking:20220308054054j:plain

 全編にわたって、シリーズ専任のケン・アダムズのプロダクション・デザインが冴えわたる本作だが、このスペース・ステーションをはじめ、シャトルの管制コントロール・ルームのモダンなデザインには目を奪われる。やっぱり映画におけるプロダクション・デザインの位置づけは大きいものだと納得した次第。

 目玉のSFXの数々も素晴らしい。特殊効果を担当したデレク・メディングスのアイデアを随所に生かしたギミック感満載の特撮は楽しい限り。特に、シャトルの発射シーンでは、シャトルが吐き出す噴煙を表現するために、何と塩が使われた。シャトル内部に塩を詰めて、単純に噴射口から塩が重力のなすがままに流れ落ちる。それだけで、確かに見事な噴煙に見えるから不思議。円谷英二の特撮で育った世代には、こうしたギミックに満ちた映像は嬉しい限り。総じて本作が、大人のオモチャ箱と称するのもこうした遊び心のおかげというべきでしょう。

 

懐かしき映画看板

 かくしてエンドタイトルのディスコ調のムーンレイカーのテーマを聞きながら、あ~面白かったと大満足できる本作、思えば当時、デカイ本作の映画の看板があちらこちらにあったものだ。その隣に、角川映画の看板が並んでいたりもした。そんな懐かしいノスタルジーに浸れる本作でもあるのです。

負け犬のお宝映画発掘隊!未体験のお宝映画教えます「ザ・チャイナレイク・マーダーズ」

白バイ警官の灼熱の殺人ヴァケーション、あの伝説の映画「ヒッチャー」との血縁の絆で結ばれたTVムービーの傑作!(評価 72点)

f:id:dogbarking:20220306060323j:plain

 

 

 

ヒッチャー」との血縁

 YOUTUBEという有難いプラットフォームのおかげで、その存在すら知り得なかった映画たちに出会えるこの時代。そこで発掘したお宝映画をご紹介するこのシリーズ。今回ご紹介する「ザ・チャイナレイク・マーダーズ」、実はこの作品は、今も多くの人たちに愛され、この負け犬も未だに心酔し続けて止まないあの名作「ヒッチャー」と、血縁と言ってもいいほどの固い絆で結ばれた作品なのだ。それもそのはず、本作は、「ヒッチャー」の監督ロバート・ハーモンが自ら製作し、同作の監督に大抜擢されるきっかけとなった短編「チャイナレイク」がそもそもの元ネタとなっているのだ。

 田舎の一人の白バイ警官が、年に一度の長期休暇を利用し、カリフォルニアのチャイナレイクにやってきては殺人を繰り返すという、サイコパスのとんでもない白バイ警官の殺人ヴァケーションというアイデアで作られたこの短編映画。この短編自体、大抜擢されたのも当然と言っていいほどの才気走った目の覚めるような傑作なのだが、本作は、この24分の短編を実に旨く取り込んでフルレングスの上出来のフィーチャーに仕上げている。

 そして。もう一つ驚くのが本作、劇場映画ではなく、米国のお茶の間で放映されたTVムービーであること。あのスピルバーグの「激突」がそうであったように、米国のTVムービーには劇場映画のポテンシャルを遥かに超越したような作品が山のようにあって、そんな作品がこれまた無尽蔵にYOUTUBEにはUPされて、その恩恵に授かることが出来る。これは何度も言うが、実に有難い時代になったものです。

 

dogbarking.hatenablog.com

 

作品データ

 一人の白バイ警官の行動を描いた元ネタの短編を長編化するにあたり、本作が巧みに持ち込んだのが、そのサイコパスの警官と良識的な警官が対決するというオーソドックスな図式。この善と悪とのショウダウンという分かりやすい構図のおかげで、最後までテンション途切れることなく見せてしまう脚色は、ひとまず見事としかいいようがない。

f:id:dogbarking:20220306060435j:plain

 そして、それを演ずる俳優のキャスティングが見事なのも見所なのだ。サイコパスの警官を演ずるのが、一般には、タランティーノ映画でお馴染みのマイケル・パークス。そして、そのサイコパスと対決するのが、「エイリアン」や「トップガン」などでお馴染みの名バイプレイヤー、トム・スケリット

 とにかくこのサイコパスのマイケル・パークスが実にいい。元々、この人の個性はその不適で何を考えているのか分からないところなのだが、本作ではその個性を100%発揮して、サイコパス特有の、一見、普通人でありながら、その実、内面には凶暴きわまりない暴力性を秘めているサイコパスを見事に演じている。

 冒頭、何処までも続くハイウェイを白バイがひた走るイントロから、ラストの対決まで、ジリジリと焼け付くような、そのドライなムードは、まさにあの「ヒッチャー」そのもの。

 ディズニーランドからやって来た殺人鬼「ヒッチャー」でルトガー・ハウアーが演じたジョン・ライダーを愛する人ならきっと本作も満足するに違いない。

 

YOUTUBE

 本作の元になったロバート・ハーモンによる傑作短編は以下


www.youtube.com

 

 そして本編は以下で、それぞれ視聴できます。ホームビデオ同等の画質なのは悪しからず。


www.youtube.com

負け犬の未体験映画発掘隊!お宝映画教えます!「Nightmare(ナイトメア)」

今や映画は発掘する時代、古今東西の知られざる幻の映画をご紹介するお宝映画シリーズ第一弾!

 

幻の映画の宝庫

 今やあらゆるメディア上でコンテンツが氾濫し、新作映画に興味がなくて往年の映画を追い求めている人たちも、出尽くした感のあるDVDに、もはや、見たい映画がないとお嘆きの方々もおられるのではないでしょうか。

 でも、その一方で、今はネット上に映画データベースという心強い味方があって、そのデータベースを探索して分かるのは、日本で公開されたことなども無論ないまま、その存在すらも知られることなく、折々の時代に埋もれるに任せている映画が如何に多いかという事。

 とくに4~50年代以降から量産されたノワールやホラー系映画の量の多さには圧倒されるばかり。そして、綿々たる時代の経過によって、著作権やロイヤリティすら消失したそうした作品群に出会える実に有難いプラットフォームが今の時代にはある。言うまでもなくYOUTUBEである。

 というわけで、YOUTUBEで発掘した、誰も知らない未体験の映画たちをご紹介するシリーズの第一弾。

 

作品データ

 その作品「Nightmare(ナイトメア)」は1964年のホラー映画。製作は怪奇映画の殿堂、ハマー・フィルムハマー・フィルムといえばフランケンシュタインやバンパイアなどのモンスター映画が専門だが、本作は、そうしたモンスターを排し、上質の映像と、良質のプロットで唸らせてくれる、まさに発掘お宝映画にふさわしい傑作ホラー。

 監督はキャメラマンとしても有名なフレディ・フランシス。それだけに、幼少期に母親が刺殺される現場を見たトラウマから、悪夢に苛まれる寄宿学校の少女という、如何にもB級ホラーにありがちな設定にも関わらず、モノトーンの鮮やかなハイコントラストに、巧みな構図など凡百のホラー映画とは一線を画す見事な映像に、まずは目を見張ることになる。

 更に見事なのが、ジミー・サングスターによるタイトな脚本。本作、冒頭の導入部から、全編、一人の少女のニューロティックなホラーに終始するのかと思わせておいて、中盤に鮮やかなプロットのツイストが待ち構えている。

 本作は、そのツイストをターニング・ポイントにした二部構成になっている。そのメリハリ具合は実に見物。ホラーならではの恐怖感に加え、因果応報を交えた、推理、復讐物のテイストも存分に味わえる掘り出し物と呼ぶに相応しい逸品だ。

 映画を見ることが仕事で湯水のように見ることが出来る映画評論家やジャーナリストの人たちでもかなわないような、今のように一般人が、知られざるこんな未体験の傑作を発掘出来る時代は、負け犬のような映画フリークにとっては実に有難い時代になったものです。

 

YOUTUBE

 本作、「Nightmare」は以下にて視聴できます。


www.youtube.com

負け犬だってファッキンジャップ!くらい分かるよ!バカ野郎「BROTHER」

フジヤマ、ゲイシャ、ヤクザにハラキリ、ニッポンのあるあるトピックをレシピに、アラカルト風に料理した北野武流インターナショナル任侠映画

(評価 65点)

f:id:dogbarking:20220223150558j:plain

 



高倉健の「ザ・ヤクザ」の弟分みたいな映画?

 その昔、アメリカに、ニッポンの任侠映画がやたらと好きな変な奴がいて、それが高じてニッポンの任侠映画そのままのヤクザ映画の脚本を書いた。ところがひょんなことからワーナー・ブラザーズというメジャーの会社にその脚本が買い取られ、おまけに願ってもない高倉健主演で映画化された。それこそが、今もカルトとして名高い米国産任侠映画「ザ・ヤクザ」だった。そして、これはまた今に至ってもこの負け犬が愛してやまないサブカル映画の一本でもある。因みにこの脚本家が、後に「タクシードライバー」を書き上げるポール・シュレイダーなのも良く知られた話。

 

dogbarking.hatenablog.com

 

 方や本作「BROTHER」は、「HANA-BI」で世界を制し、「菊次郎の夏」で再び映画ジャーナリズムを歓喜させ、乗りに乗っていた世界のキタノがその名の通り、日本を飛び出しアメリカンスタイルのムービー・メイキングの現場に唐獅子牡丹ばりの殴り込みをかけた意欲作。

 いずれも同じ任侠映画なのに、「ザ・ヤクザ」ではアメリカン・クルーたちが大挙して東洋にやってきて70年代の日本という世界を切り取ったのに対し、本作ではジャパニーズ・クルーたちがLAに乗り込んでムービー・メイクを実地で行ったというまったく逆のベクトルを持つ映画と言える。

 かくいう負け犬も当時、北野武監督にはすっかり心酔し入れ込んでいたこともあって、胸をワクワクさせながら劇場に足を運んだのだった。

f:id:dogbarking:20220223150628j:plain



ファッキン!ジャパニーズにずっこけた

 本作の話は単純、日本の組からドロップアウトした幹部クラスの山本(ビートたけし)が、新天地LAに逃れ、実の弟ケン(真木蔵人)の元に身を寄せる。たまたま山本がドラッグのいざこざで揉めていたケンを助けたことから、山本は、身内もろともチンピラ同然の身から、マフィアに一目置かれる勢力に成り上がっていく。

 要は、あのデ・パルマの「スカーフェイス」を思いっきりスモール・スケールにしたような映画と言えばいいか。そして、悲しいかな映画そのものの出来もVシネマを心持、ビッグ・スケールにした程度の出来にとどまってしまった。

 何と言っても序盤のヤクザをめぐるアラカルトが、まるでショー・ケースのように薄っぺらなのにはずっこけた。本家の組での継承杯の儀式然り、まるでジャパニーズのイントロダクションのプロモ映像を見ているかのように、終始、ワザとらしいのだ。元は仇敵、今度は身内となる、対する幹部連中に、腹に一物あるとナジられ、大杉連演じるヤクザの幹部が、「本当に腹が黒いか見せてやる!」と一喝して、いきなり腹を切る・・・?。そんなバカなヤクザがいるわけなどない。もう、このシーンを見た途端、それまでの本作への期待どころか、北野監督へのリスペクトすら急速に萎んでいったのを、今でも克明に覚えている。

 その後のLAのシークェンスもむべなるかな。チンピラ同然のヤマモトたちが、マフィアの幹部連中との顔合わせの席で、いきなりイタリアン・マフィアの幹部連中を「ファッキン!ジャパニーズぐらい分かるよ!」との決めゼリフを吐いて皆殺しにする。直後、山本たちに、すかさずリムジンがあてがわれ、何故か山本たちは、たちまちイタリアン・マフィアと対等に渡り合う顔役になっている・・・?。イタリアン・マフィアの世界って、下町の不良程度にそんなに層が薄いの?って思わずツッコミそうになりました。

 リアリズムなど欠片もない、すべてが表面的にヤクザ的マフィア的なトピックを並べてカタログにしただけといえばいいか。

 

エスト ミーツ イース

 「ザ・ヤクザ」も確かに言うなれば西洋人からニッポンを、任侠という色眼鏡を通して見たカタログ映画。しかし、負け犬が魅了されたのは、義理がObligationという単語で表現されるほどの日本と任侠を理解しようとする杓子定規な律義さが、ファンタジーにまで昇華している奇妙な不思議さそのものだった。

f:id:dogbarking:20220223150654j:plain

 高倉健さんの長年の知り合いのアメリカ人が住む日本家屋にこれみよがしに飾られている日本刀。下のタンスの引き出しを開けたらぎっしりとピストルが入っている。健さんとローバート・ミッチャムが対峙して真剣に会話する向こうを、虚無僧が尺八を吹いて優雅に歩く。そして、きわめつけは、映画のラスト。ミッチャムが健さんへの義理掛けのために、まるで小指の爪を切るように、エンコを飛ばしては、うっすらと汗をかいただけで落ち着いている。

 でも、これらはあくまでも、それなりに真面目に日本を理解しようとして、トンチンカンになっていることが分かるから憎めない。それにちょっと距離を置いて眺めてみたらファンタジー映画と言えなくもないところがマイカルトの壺にはまったのだ。

 対する「「BROTHER」は、最初から、フジヤマ、ゲイシャにヤクザにテンプラ、おまけにハラキリまで見せときゃ、青い目の人たちには受けるだろう的な安直な色気が全編に見え隠れして仕方ない。ただ、本作、製作費が10憶だけに、超高級なVシネマを眺めていると思えば楽しめないこともないし、カタログ映画だと割り切って見れば、シックに決めたビートたけし久石譲さんの音楽のコラボが相変わらず魅力的なのは事実、ただ、Vシネマ以上のものでもないこともまた確かなのは、ちょっとなぁ~、と言うところ。

 あの「3-4X10月」で驚嘆し、そのセンスに一時期、惚れぬいた北野監督だけに、一抹の寂しさは隠せなかったというのが正直なところ。現実、本作以降、センシビティなエモーションが枯渇した作品を撮り続け自滅した。

 復活は、奇跡でも起きない限り有り得ないのでしょうね~TVを舞台にしたそのパーソナリティそのものは健在で、好きなことには違いないだけに残念なところです。

 

dogbarking.hatenablog.com

 

負け犬も大興奮!電動ドリルとポルノ女優のいやらしい肢体「ボディ・ダブル」

サイコキラーが電動ドリルで抉るのはゴージャスなポルノ女優の腹!メラニー・グリフィスのナイスバディも拝める、映像の魔術師ブライアン・デ・パルマのキンキーでキッチュなエロチック・サスペンスの怪作!(評価 74点)

f:id:dogbarking:20220220110656j:plain

 



アメリカン・サイコ

 「だってデ・パルマが好きだから!」といきなりのラブコールで始まってしまう本作。80年代のヤッピーからなるXジェネレーション作家の代表格ブレット・イーストン・エリスのセンセーショナルなベストセラー作品「アメリカン・サイコ」に、本作に言及するくだりが出てくる。その小説の主人公のベイトマンが近所のビデオショップに立ち寄り、本作をレンタルするくだりだ。

 ベイトマンはこの「ボディ・ダブル」に出てくるサイコキラーが電動ドリルで女性を惨殺するシーンのマニアックなファンで、小説の中でもう30回以上もこのビデオをレンタルしていると独白する。それに思わず頷いてしまう人もいるのではなかろうか。かくいう負け犬もその一人。

 そもそもの出会いは「キャリー」で、それをきっかけに最初期の「悪魔のシスター」を見てインデペンデンスなスタンスとエンタメのバランスを巧みに操るデ・パルマの若々しい才能に魅了され、結局、後年の作品まで追いかけをするが如くに見ていたデ・パルマの、比較的目立たない扱いのこの作品だが、負け犬は勇んで初日に見に行った記憶がある。

 「いつもながらのヒッチコックのパクリ」だの「チープなエログロ趣味の安手の作品」などと、デ・パルマのフィルモグラフィではつとに評判が悪い本作だが、かくいう負け犬は大満足で劇場を後にした。

 確かにチープで、いつながらのヒッチコックのパクリ丸出しだが、それでも嫌いになれなかったのは、キンキーでキッチュな方向にベクトルを振り切って、ポルノ映画への偏愛まで吐露するデ・パルマの映画愛が感じられたからに他ならない。

 

ポルノチック・サスペンス

 そもそもデ・パルマがポルノというジャンルに思い入れがあるのは明白。元々、デ・パルマキャメラを振り回し映画業界に登場してきたのも、粗雑なポルノ映画、いわゆるブルー・フィルムと呼ばれる映画が氾濫していた60年代の後半だった。最初期のもっとも有名なコメディ作品「ハイ・マム」でも主演の青年ロバート・デ・ニーロは、ポルノ映画の監督志望の青年だった。

 そんなデ・パルマヒッチコックの後継者というレッテルを張られながら、ワンパターンと酷評されるのを知りつつ尚も、ヒッチコックエピゴーネンを作りたがるスタンスは、やはり自主映画、それもキッチュでアンダーグランドな映画のバックボーンを持つデ・パルマの紛れもない性なのだ。

 そんな映画愛の象徴のように本作の主役は売れない役者のジェイク(クレイグ・ワッソン)。今日も撮影現場でチープな怪奇映画の吸血鬼をやらされているが、閉所恐怖症が災いし、役を干されてしまう。おまけに、恋人が他の男に騎乗位で跨るのをモロに目撃し、追い出されてはホームレスに成り下がる始末。

f:id:dogbarking:20220220110720j:plain

 そんなジェイクはオーディションで声をかけてきたジムに居留守の番を頼まれ、渡りに舟とばかりに高級マンションにステイホームすることに。ところが小高い丘に立つペントハウスのようなそのマンションから見下ろす向かいには、グロリア(デボラ・シェルトン)というフェロモン全開のグラマラスな美女が住んでいて夜な夜な悩ましくストリップまがいにエキササイズする姿がバッチリ拝めてしまう。ところが、ある夜。出歯亀根性丸出しで、いつものようにジエイクがグロリアを望遠鏡で覗いていると、部屋に侵入した電動ドリルを振り回す大男のインディアンに腹部を突きさされグロリアが惨殺する現場を目撃してしまう。

f:id:dogbarking:20220220110737j:plain

 ん?主人公が閉所恐怖症?ん?望遠鏡で覗きをしていたら殺人現場を目撃?ちょっと映画に詳しい人なら本作のネタがあのヒッチコックの「めまい」や「裏窓」のパクリであることはすぐに分かる。それでも決して興ざめしないのは、とにかく本作に出てくる女優たちの、フェロモン全開のそのエロ度が半端ではないから。

 

ウエルカム トゥ ザ・ポルノワール

 何と言ってもまずドリルで惨殺されるグロリアのデボラ・シェルトンのエロいことといったら。グロリアにすっかり魅せられたジェイクがショッピングモールまでグロリアを尾行する。そこのランジェリーショップでパンティを買い求めたグロリアが、それまで履いていたパンティをゴミ箱に投げ捨てる、それを目撃したジェイクはそのパンティを拾い上げると思わずポケットに入れてしまうが、その瞬間、そのパンティの匂いがこちらまで伝わって来る感触に見舞われる。それもこれもグロリアに扮するデボラ・シェルトンのそのフェロモンの発散度が並々ではないから。これもデ・パルマのポルノとハードコア女優たちに注ぐマニアックな偏愛の賜物とも言えようか。その後、本作はまさにポルノのめくるめくアンダーワールドへと観客を誘ってくれる。

 グロリアの死の衝撃も薄れた頃、ジェイクは、たまたま見ていたケーブルテレビで放送していたハードコア・ポルノのCMに釘付けになる、目の前で細身ながらグラマラスなナイスバディを惜しげもなく晒す女優のパフォーマンスのその仕草が、毎夜見ていたあの殺されたグロリアにそっくりだったのだ。これは何かあると睨んだジェイクは役者というメリットを生かし、ポルノ映画の男優募集に応募し、撮影現場に潜入する。そこでジェイクが出会ったのが、グロリアそっくりのパフォーマンスを披露していたポルノ女優ホリー(メラニー・グリフィス)だった。

f:id:dogbarking:20220220110759j:plain

 エイティーズの名曲フランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッドのゴキゲンな「リラックス」が流れる中、ジェイクがポルノ、それもバリバリのハードコア・ポルノの撮影現場巡りをするシーンがいい。あの時代のMTVのクリップを彷彿とさせるヴイジュアルもイカすこのシーンはもとより、ジェイクが見ているテレビに映るハードコア・ポルノのクリップがいかにもそれらしくてグッド。

 実は、80年代の後半の時代、まだTSUTAYAのような大手フランチャイズがレンタル・ビデオ業界になかった時代。レンタル・ビデオ屋は完全に個人事業者が経営する小さな店がひしめきあっていた。だから、店によって品揃えも様々で、中には、ボカシすら殆ど入っていないような洋モノのハードコア・ポルノを堂々と並べている店もあったのです。負け犬も半ばビクビクしながら、そんなハードコア・ポルノを借りて見ていたような懐かしい時代だった。

 

パクリだって構わない

 撮影現場で熱い絡みのシーンまで演じたジェイクはポルノのプロデューサーだと偽ってホリーを、自分が殺人を目撃したマンションに連れてくる。そこで、詰問した後、明らかになる真実、そしてクライマックスは?とくれば、そもそも本作が「めまい」のパクリである以上、想像がつく方も多いに違いない。

f:id:dogbarking:20220220110829j:plain

 かくも、パクリや剽窃の度すら越した何から何までヒッチコックの「めまい」そのままの本作。とはいえ、いつもながらのピノ・ドナッジオの甘美で流麗なスコアに乗って、ショッピングモールでグロリアをキャメラが追っていく、うっとりするようなトラッキングショットや、「めまい」から拝借した、激しく絡み合うグロリアとジェイクの周囲の景色が、メリーゴーランドのように回転していくめくるめくシーンなど、デ・パルマならではのビジュアルが満喫できる本作。それに加えて、華奢な肢体を惜しげもなく晒すメラニー・グリフィスのエロいシーンなどエロチックなスパイスを随所に効かせた本作が魅力的なのは間違いない。

f:id:dogbarking:20220220110847j:plain

 

セルフ・パロディの映画愛

 本作、一件落着した後のエピローグがまた楽しい。吸血鬼の役に舞い戻ったジェイクがシャワー室で女優に噛みつくシーンは、そのまま自身の代表作「殺しのドレス」のアンジー・ディッキンソンがシャワー室でエロい妄想にふけるシーンのセルフ・パロディだ。

f:id:dogbarking:20220220110917j:plain

 そこでは、本作のタイトルのボディ・ダブルそのままに、オッパイがアップになるカットだけスタンドインの別の女優のカットにすげ変わる。

 かつてデ・パルマは、ヒッチコックのパクリだと激しく非難するジャーナリストたちを前に、「所詮、映画は折衷主義の芸術だ」と涼しい顔で述べていた。それは、ただの開き直りの言葉ではない、ちっぽけな自主製作映画から、叩き上げで自分のスタイルを確立したデ・パルマの自信と映画愛に裏打ちされた発言だ、とこの負け犬は思う。

だから「やっぱりデ・パルマが好き!」なのです

 

dogbarking.hatenablog.com

 

 

負け犬の背徳と凌辱のエロスこの世でもっとも美しい人妻「昼顔」

白い肌にしなるムチ!ドヌーヴの超絶的な美貌に文芸の香りと背徳のエロスが交錯する倒錯の世界!

(評価 76点)

f:id:dogbarking:20220219083721j:plain

 



この世でもっとも美しい人妻

 鈴なりの紅葉の中を一台の馬車がやってくる。馬車に乗るのは美貌の妻を伴った一組の夫婦連れ。やがて夫は馬車を止めさせ、妻に馬車を降りるよう命令する。しかし、妻は従わない。そこで夫は召使の男たちに命じ、妻を無理やり引きずりおろさせ森の茂みの中へ連れていき、そのまま木に縛り付けるや、いきなり妻の服を剥がせる。そして、剥き出しになった純白の背中をめがけ、召使たちにムチをふるわせるのだ。

 ムチ打たれ、苦悶の表情を浮かべる妻。そして、夫は如何にも野卑な召使に命じ自分の目の前で妻を犯させる。そして、その妻こそ目の覚めるような金髪も鮮やかな超絶の美貌を誇るカトリーヌ・ドヌーヴなのだ、とくればこれは世の男たちの夢の具現化。

 こんな衝撃的なシーンで幕を開ける本作だが、このプロローグ、実は男たちの夢ではなく、ドヌーヴ扮する美貌の人妻セヴリーヌの妄想なのだ。連れ合いの医師の夫は、非の打ち所がない、それ故、満たされない欲求不満から来る妄想に昼夜さいなまれているセヴリーヌのアヴァンチュールな日常を描く本作は、堂々、ヴェネツィア国際映画祭グランプリを取った文芸映画でありながら、その世界観は見事にポルノチック。そして、ドヌーヴのあまりの超絶的な美貌ゆえ、とめどもなく下半身をも疼かせてくれるエロスに満ちた作品でもある。

f:id:dogbarking:20220219083749j:plain

 

いかがわしき倒錯の世界

 今や、すっかり世のよろめきドラマの固有名詞として定着した本作のタイトル「昼顔」。実はこのタイトルは、そのまま本作のセヴリーヌの源氏名でもある。

 完璧な夫と生活を共にするがゆえに、常にエロい妄想にとらわれているセヴリーヌは、ある日、夫から売春クラブの存在を聞かされ、異様な胸騒ぎを覚える。そして、女性漁りが趣味の夫の友人にその売春クラブの所在地を冗談半分に教えられる。

 セヴリーヌは、はやる気持ちを抑えきれずそのクラブを訪れ、たちまち女主人に見染められ、マダムから直々に「昼顔」という源氏名を授かるや、日中はパートタイマーの主婦ばりに昼時から5時までのパートタイムの売春婦、夜は貞淑そのものの医師の妻という二重生活がこうして始まる。そして、そこから展開するのは、人間のフェティシズムに満ちた、いかがわしき倒錯の世界なのだ。

f:id:dogbarking:20220219083831j:plain

 その売春クラブにやって来る客は様々。ひたすら罵倒されることに快楽を覚えるマゾヒズムの男。死体にリビドーを覚える死体フェチの男には屋敷まで出向いて死体になりきっての出張サービスまで。こうして繰り出される変態的な局面の数々にも、表情一つ変えずに、なんの抵抗もなくセヴリーヌが受け入れるところは、奇妙でもあり可笑しくもあり、まるで不思議の国のアリスが性のワンダーランドに迷い込んだような感覚すらある。それもひとえに、ドヌーヴの非の打ち所の無いクール・ビューティのなせる業なのか、いずれにせよ、絶世の美貌のドヌーヴが醸し出すこの倒錯の世界は、極限なまでにポルノの世界といっていい。

 クラブで、こうしてたちまち売れっ子になったセヴリーヌだが、マリエルという若者がセヴリーヌに入れあげ夢中になり始める。危険を感じたセヴリーヌは辞めるとマダムに告げクラブを後にするのだが、自身も前科者のマリエルは、札付きの仲間からセヴリーヌの住所を教えられ、セヴリーヌの元に押しかける。

 

妄想のただれた世界

 本作の最大の特長は、イントロのムチ打ちのシーンからも分かるように、現実と妄想がそのまま地続きに並列的に描かれるところ。だから見ている側は妄想なのか現実なのか区別がつかない。しかし、その現実と妄想の境界線が消失した世界こそが本作の最大の魅力でもある。これはソリッドな前衛作家として名を成した監督のルイス・ブニュエルのまさに面目躍如といったところ。

f:id:dogbarking:20220219083854j:plain

 ここで描かれるセヴリーヌの妄想は様々。ムチ打たれ、野卑な男に凌辱される妄想をはじめとし、男たちが自分目当てに殺し合いの決闘をする妄想など、鬱屈とした性的な悶えにも似た数々の妄想が描かれるが、そもそも売春婦というメタファーが高貴な女性ならではの、メタファーであるように、根底にあるのは辱められたい、汚されたいという願望に他ならない。なかでも、もっともいかがわしいのは、純白のドレスを纏ったセヴリーヌに泥が投げつけられるシーン。ドヌーヴの手足と言わず体と言わず顔面にも容赦なく汚いヘドロのような泥が浴びせられる露骨きわまりないこの汚辱シーンは、ドヌーヴの絶世の美貌もあいまって思わずオカズネタにしたくなるほどにエロい。

f:id:dogbarking:20220219083910j:plain

 本作のクライマックスからエンディングにかけても、まさに妄想と現実が混濁した倒錯の世界。自分に入れあげ自宅に押しかけて来たマリエルは、セヴリーヌに諭され、家を出た直後、自動車事故を起こし、追ってきた警官に射殺される。そこから展開するくだりはセヴリーヌの夫がいきなり何の説明もなく全身マヒの車椅子の生活になっていて、その夫をセヴリーヌが献身的に看病するという意表を突く、くだりとなるが、誰もが、現実なのか妄想なのか分からないまま、エンディングのエピローグでハッと夢から覚めたような感覚に見舞われることになる。

 どこか晴れ晴れとしたクール・ビューティそのもののドヌーヴのエンドショットで幕を閉じる本作、とにかくエロと文芸とが見事に調和を成した稀有で見事な作品だ。

 

カトリーヌ・ドヌーヴのもう一つの顔

 人妻の貞淑と汚辱がパラレルに進行するシュールな世界と、人間のフェティシズムの世界をセンセーショナルに描いた本作で一躍トップスターとなったカトリーヌ・ドヌーヴ。その昔、「ロードショー」などの映画雑誌のカトリーヌ・ドヌーヴのグラビアを見て、こんな人造的な非の打ち所の無い美女がこの世にいるものかと。いつまでも眺めていたのを今でも覚えている。

 そんなドヌーヴがフランス映画界の重鎮として、長きキャリアにわたり活躍したのも周知の通り。御年、80近い老女となった今でも、美貌の面影に衰えが無いのは脅威でもあり嬉しくもある。人間のフェチの世界を描いた「昼顔」が鮮烈なドヌーヴ。老女フェチの人にとっては今でも下半身が疼く対象なのは嬉しい限りというところでしょうか。

 

dogbarking.hatenablog.com