負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のナチのエロスとセックス親衛隊「愛の嵐」

文芸と耽美の、倒錯のエロスとの見事な融合。夜明けの鉄橋を歩く、ロリコン・ファッションと軍服姿のカップルのシルエットはこの上もなく美しかった。

(評価 78点)

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ナチの軍服とSMボンデージが倒錯する妖しき世界、その世界に溺れるカップルの末路は哀しくも、美しいものだった。

 本作のキャッチコピーともいうべきスナップ。戦時下、強制収容所で性の奴隷のように扱われていたルチア(シャーロット・ランプリング)が、ナチの制帽を被り、そのか細い裸身をさらして、ナチの将校たちに囲まれているちょっと危険なビジュアル・イメージを目にした人は多いのではないでしょうか。

 かくいう負け犬も、幼少の頃、その写真を雑誌で見て、てっきりアダルト系の映画だと思い込んで、長らく過ごしていたのでした。レンタル全盛期でも、本作は見かけることもなく、何の因果か、未見のまま、ようやくこの年になって、あの伝説のシャーロット・ランプリングの裸身を拝めた次第。

 マイナー・レーベルからのリリースとあって、ニュー・マスターとのうたい文句にも関わらず、ビデオ同等以下レベルの残念な画質に、いきなりへこんだものの、夜明けのウィーンの街並みから、ルキノ・ヴィスコンティ的な審美世界に欠かせない名優ダーク・ボガードのマクシミリアン(マックス)が登場した途端、画質への些細な懸念など消し飛んで、その耽美な世界に引きずり込まれていった。

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 マックスは元ナチのSS(親衛隊)で、今はウィーンにある、とあるホテルのフロント係兼ポーターとして働いている。オーストリアは戦時中から、積極的にナチ政策に加担し、戦後、中立国家として独立を果たした後も、多数のナチの残党たちが暮らしていたらしい。本作でも、ナチの残党たちが、マックスのホテルに、コミュニティーのように暮らし、交流している様子が描かれている。

 ある日、そのホテルに有名なオペラ指揮者が妻を伴いやって来る。その妻こそ、かつてマックスが強制収容所で性奴としてもてあそんでいたルチア(シャーロット・ランプリング)だった。

 マックスの顔を見たルチアは。収容所の過酷なトラウマがフラッシュバックのように蘇り、最初は、度々、ポーターとしてやってくるマックスを怖れ、激しく拒絶する。しかし、女性監督リリアーナ・カヴァーニが描く、ヴィスコンティも絶賛したという世紀末的なテイストが冴えわたる本作がユニークなのは、そのトラウマによって、指揮者の貞淑な妻としての社会生活を送っていたルチアの、耽美趣味への嗜好が覚醒し解き放たれること。

 当のマックスも、ルチアと収容所で交わしていたSMチックなプレイのことが忘れられず悶々としていたが、ルチアの夫が先に帰国し、ルチアだけがホテルに一人残されたことを知ると、いそいそと部屋に赴き、十数年も封印していた暗い欲望を解き放つかのように二人して交じり合う。

 全裸に引き剥かれたルチアに銃口を向け、逃げ惑うルチアに向ってマックスが、表情一つ変えずに引き金を引く、トラウマチックな収容所時代の映像から一転して、中盤以降は、マックスとルチアとの濃密なプレイの数々が描かれる。とりわけ、はじめて二人きりになった二人が、激しく罵り合いながらも、ようやく理性から解放され、正気のタガでも外れたのか、けたたましく笑いながら絡み合う様子を、長回しのワン・ショットで捉えたシーンは衝撃的。

 表向きは、民間人に身をやつしているナチ党の仲間たちも、かつて収容所にいたルチアが亡霊のように眼前に現れたことを知り、自分たちの正体の発覚を恐れ、マックスにルチアと接触をしないよう忠告するが、既に禁断の扉を開け、その果実の味を知ってしまったマックスが、そんな忠告に耳を貸すはずもない。それどころか、ルチアに対する抜き差しならない愛情まで、ナチのグループのリーダー格の女性に吐露する始末。

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 そして、ここでマックスの回想とともに、本作のキー・イメージのシャーロット・ランプリングが将校たちに囲まれ踊る、あのシークェンスが展開される。剥き出しの乳房も露わに、ナチのキンキーなボンデージ・ファッションでピッタリと身を包み、ドイツ語で唄いながら踊るシャーロット・ランプリングを執拗にキャメラが捉えるこのシーンは実に妖しく、耽美のエロスの極致といえる。

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 やがて、とうとう仲間たちから危険分子とされたマックスは、ルチアとともに部屋にこもり、籠城する。そして、食べ物も底を尽き、飢餓で朦朧とした意識の中、マックスはルチアに少女時代の服を着せ、自らもSSの制服で正装し、ドアのカギを開け、外界へと歩み出る。夜が明け、早朝の光に照らされた鉄橋の上を、歩いて行く男と女のシルエット。それは、戦争というエキセントリックな状況の中でしか結ばれ得なかった、哀しいオスとメスの姿なのだ。その二人を背後から撃ち抜く、朝の静けさをつんざくような銃声で本作は幕を閉じるが、その映像が発揮するデンジャラスな世紀末的テイストは、優れた映画を見た深い満足感とともに、いつまでも心に残り、ルキノ・ヴィスコンティをも凌駕するほどの凄みがある。

 とにもかくにも、子供の頃から悶々とし、この年令になってようやく拝めたシャーロット・ランプリングの肢体。その悩ましいイメージは、そのキンキーなボンデージ・ファッションとともに、これからも負け犬を悶々とさせ続けてくれることでしょう。

 

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