負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬とゾンビの走り初め「28日後」

ただノロノロと徘徊しているだけのジイさんやバアさんが、いきなり元気溌溂と走り出したら、あんた、そりゃもう怖いよ

(評価 72点)

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箱根駅伝じゃないけれど、新年早々の書初め、ならぬ走り初め、というわけで。ジョージ・A・ロメロのおかげでカルトとしての地位は確立させてはいたゾンビだったが、あくまでもカルトというニッチな身分に過ぎず、今のような一つのサブカルチャーの地位まではまだ大分、隔たりがあった。その距離感を一気に縮めたのが本作といえるでしょう。

 その最大の功労者が本作の脚本を書いたアレックス・ガーランドのような気がする。ガーランドは元々、デビュー作「ビーチ」がベストセラーとなった小説家として有名だったが、すぐに脚本も書き出し(ガーランドが脚本を書いたリブート版の「ジャッジ・ドレッド」は傑作だった)、オリジナルシナリオとなる本作で脚本家としてのステータスも確立してからは監督としても活躍しているのはご存知の通り。

 ガーランドの「ビーチ」は読んでいる。バックパッカーたちの夢の楽園のようなコミュニティーに足を踏み入れた主人公が、そのコミュニティーがパラダイスどころかカルト化していく有様を見て脱出を図るというのがその内容だった。その時の印象は、文学的なファクターとエンタメとのバランスを取るのが上手い作家だな、というもの。

 そして、その素養が、ゾンビものというキワモノB級ジャンルにトライすることで本作では見事に活かされている。

 何といって圧巻たるのは、コロナ過の今の現実世界とダブるような、冒頭の無人のロンドン市街の情景。人っ子一人いないロンドン市内を茫洋と歩くジム(皮肉なことにあの有名な「宝島」の主人公と同じ名だ)。その寂寥感はまさしく文学的なテイストのそれだった。

 しかし、何はなくとも本作がもっとも画期的だったのは、ウイルスというファクターをゾンビに持ち込んだことでしょう。

 ロメロのゾンビを見てて誰もが違和感を抱くのが(ひょっとして自分だけかも)、そもそも、元は仏さんの身分のはずなのに、皆、ジーパン履いたり、チェック柄のシャツ着たり、小綺麗なカジュアルなルックスの普段着着て歩いているところ。いくら土葬の国ったってそりゃねえだろ~って負け犬は思っちゃうわけですが、死体ではなくウイルスってことにしちゃえば設定的な合理性も、またドラマとしての融通も格段に拡がるわけで。

 さらには、ウイルスとなれば走らせちゃっても全然、問題ないわけで、かくして本作を契機にゾンビたちが、ただ歩くゾンビから走るゾンビに豹変した。

 そらもう、それまで徘徊しかできなかった奴ら(ロメロのゾンビには、パイを顔にぶつけたりして遊ぶ余裕すらあったのに・・)がいきなり走り出して追っかけてきたら逃げるっきゃないでしょ。これはもう認知症の老人が運転する暴走車なみの怖さですよ。

 かくして今のサブカルチャー化したゾンビへの先鞭をつけた本作、コロナウイルスによる、そこはかとない終末感もぬぐえない今、進化を遂げたゾンビたちの足跡を辿るべく新たに再見する価値もあるのではないでしょうか(寝正月のヒマつぶしにもなるますしね~)