負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の青春期はタマネギだ!ウサギが告げる世界の終末「ドニー・ダーコ」

ビヴァ!インディペンデンス!インディーズ系ホラーの妙味と青春期の不安感、タイムパラドクス的なSFまでが混合したマルチレイヤー映画の傑作

(評価 80点)



 

インディ映画の魅力

 インディ・ジョーンズじゃないけれど、冒険精神に満ちた映画に出会えたら嬉しいもの。そして、そんな映画には決まって予算は無いが、プロダクションの制約に縛られないインディーズ系映画が多い。

 本作の監督リチャード・ケリーがこの「ドニー・ダーコ」の脚本を書き上げたのは弱冠26才の時。そしてこの難解で、アブストラクトな得体の知れない脚本にすっかり魅了されたがあのETの子役だったドリュー・バリモア。バリモアはエグゼクティブプロデューサーを買って出て、この脚本を映画化する製作費450万ドルを捻出する。かくして出来上がったのが、文学的で哲学のように難解でありながらも、サブカル的なポップさが全編にみなぎる本作「ドニー・ダーコ」だった。

 

タマネギ映画

 今やカルト・クラシックと位置付けられる本作、確かに難解には違いはないが、負け犬も大好きな「ジェイコブズ・ラダー」や、近年でいえば、これも低予算なインディーズ・ホラーの傑作だった「イット・フォローズ」などが好きな人なら、何の抵抗もなく楽しめる筈。

 そんな本作を評すれば、タマネギ映画とでも言えようか。とにかく本作は。まるで何層にも覆われたタマネギの表皮が剝がれていくかのように、いくつものレイヤーがあって、表面から次々と剥がれ落ちていくその数々のレイヤーを、あれよあれよと見ているうちに結末に辿り着く。ステレオタイプなマーベル映画や、デイズニーブランドの映画ですっかり白痴化した脳みその絶好のカンフル剤、それだけに、脳内の活性化を求めて何度も見たくなる中毒性すらあるのだ。そして、その世界に誘ってくれるのが、不思議の国のアリスならぬウサギというわけだ。

 

終末のカウントダウン

 地方都市で暮らす高校生ドニー・ダーコジェイク・ギレンホール)がある朝、目覚めたのは路上だった。傍らに倒れている自転車に乗ってドニーが向かったのは我が家。アメリカンな郊外を絵にかいたようなその家で、姉と妹と暮らすドニー家。しかし、ある夜、その家に轟音と共に、航空機のジェット・エンジンの一つが落ちてくる。しかし、ドニーをはじめ、家族ともども幸い無事だった。だがそれを契機にドニーの前に奇妙なウサギの着ぐるみを着た男が現れる、そしてそのウサギが告げたのは、20日後に訪れる世界の終末へのカウントダウンだった。

 どうでしょう、素っ頓狂なこの出だし。アブストラクトな映画が苦手な人なら腰が引けてしまうかもしれない。でも、大丈夫、素っ頓狂でいながら、決して難解そのものになることなく、次々と興味を引き付けてくれるのが本作の最大の魅力だ。そしてそれを裏打ちしているのが、誰にでもある青春期の不安感。

 もともとニューロティックな気のあるドニーだが、ウサギの出現と迫りくる終末のカウントダウンもあいまってセラピストに催眠療法も勧められ、そんな日常が次々とタマネギの表皮のように剥がれていく。誰でもそうだが思春期というやつは厄介で、自分が何者とも知れず、性的な悩みにも日々、苛まれ続け、将来自分がどうなるのか怖くて仕方なくて、その暮らしは一見、暢気なようで実は波乱に満ちている。

 そんな混乱と不安感を象徴するように様々なレイヤーで、本作ではいくつものトピックが描かれる。痴呆となって徘徊する老婆。恐怖を克服するセラピーを主宰する伝道師。ドリュー・バリモア扮するクールな女教師。そして待望のガール・フレンド。そんな現実に裏があることを、伝道師が小児性愛者であることが発覚するエピソードを通じて描かれる。この映画は、いわば、人間の精神不安で神経症的な青春期というやつへの最も的を射た社会的なコメンタリーといっていい。そして、何層にもわたって描かれるエピソードを経て、遂に辿り着いたデッド・エンドな結末は、まるでトワイライト・ゾーンにでも迷い込んだような幻惑感に満ちている。

 確かにこの結末、一見、難解だが、この頭がむずがゆくなるような感覚が忘れ難くて、きっと誰でもまた見たくなるに違いない。現にこの負け犬がそうなのだから。一体、これから何回、見たくなるのだろう。そんな問いかけすらしたくなる、これこそカルト・クラシックというやつなのでしょうね、ちなみにドニー役のジェイク・ギレンホールも最初の試写を見た時は、何が何だかさっぱり分からなかったらしい(笑)。