負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬も名作とは思いつつ構成はやっぱりアンバランスでヘンテコな件「ディアハンター」

マイケル・チミノの数少ない監督作の頂点にして言わずと知れたアカデミー受賞作。スタンリー・マイヤーズのカヴァティーナの哀切のメロディがいつまでも心に残りつつも、その映画としての構成はどこかが変!

(評価 70点) 

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スタンダードな感動作。でも、素直に感動とはいかないもどかしさがこの映画にあるのもまた確か。

 1978年度のアカデミー賞受賞作であり、その年の話題を独占した名作だが、何だかもどかしい作品ではある。

 違和感があるのが、映画としてのその構成。3時間3分の長尺の本作の前半1時間が、プロット展開はほぼ無きに等しい結婚式とその後のパーティの様子。

 ペンシルベニア州の製鉄の町で暮らす、ロシア系移民の若者たちのコミュニティーと、ベトナム徴兵後のその後を描く本作。そもそもベトナムものにカテゴライズされる本作だが、ベトナムでの戦場そのものを描くシーンは10分にも満たない。

 改めて思うのが、本作を成り立たせているものが、ベトナムとは何の関係もない、一時間をも費やすその前半パートであること。そのパートで描かれる、徴兵されるマイク(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サベージ)の三人の若者とそれを取り巻くロシアンのコミュニティーこそが、本作の主役ともいえる。

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 とにかく長い前半パートだが、不思議と退屈はしない。それどころか、このパートには、ある種のインパクトと、紛れもない説得力に満ちている。ロシアンのしきたりとコミュニティーの結束が、殊更色濃く描かれるこの前半部。そのインパクトの源は、普通ならバッサリカットされるはずなのに、時間を気にせず、まるでキャメラを現場にそのまま据え置いたかのように悠然と費やす、そのスタイルにあるといっていい。

 本作の製作陣のある種の賭けのような凄みがここには確かにある。現に当時の観客、批評家が感じたのは、退屈とは正反対のインパクトだった。かくして、マイケル・チミノのバクチはここで見事に吉と出る。マイクたち3人のコミュニティーにおける絆、そしてそれを取り巻くスタン(ジョン・カザール)、リンダ(メリル・ストリーブ)たちとの厚い人間関係。アメリカで移民として暮らしてきた、その時の移ろいまでをも感じさせる演出の重厚さには、間違いなく感じ入るものがある。

 しかし、どーしてもこの負け犬が、気になって仕方ないのが、肝心かなめのベトナム・パートとのいびつなほどのアンバランス。

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 前半の掉尾を飾るのが、タイトルにもなっているディア・ハンティングのシーンと獲物をハントした喜びを地元の酒場で、仲間たちとしんみりと祝うシーン。そこから映画は一気にベトナムの戦地となるが、最初に見た時は正直、面食らった。編集ミスかと思ったぐらいだ。戦地では、既に三人ともいっぱしの兵士になっていて、ある村でベトコンを火炎放射器で返り討ちにしたマイクと、ニック、スティーブンの三人はここで再会するのだが、その唐突感は半端ない。前半部分のテンポからすれば、スタンリー・キューブリックの「フルメタルジャケット」の前半パート並に新兵のプロセスをじっくり描かないと、釣り合いというものが取れないような気がするのだ。(そんな事すれば総上映時間は6時間位になりそうな気はするが)

 それに輪をかけて困惑したのが、さしたる説明もなく、いきなりマイケルたちが捕虜となり水牢に軟禁されているシーンになるその唐突さ。そして、そこから展開される緊迫のシーンがあの有名なロシアン・ルーレット。本編中、もっとも有名で、そのテンションがきわまるこのシーン。しかし、このシーンそのものにも、どこか違和感がある。つまり、ゲリラ戦に明け暮れているはずのベトコンたちが、そもそもロシアン・ルーレットのようなギャンブルめいた余興にうつつを抜かしていたのか?という話。要はこのシーン、どこか作為の方が勝っているような気がしてしょうがない。

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 そして、一撃で仕留めるのが信条のマイケルのいちかばちかの機転で、幽閉を脱した三人は逃亡することになるが、ヘリに助けられる途中、三人は散り散りとなる。

 かくして本作は、その後の帰還後のシークェンスがまたまた長い、とにかく長い。帰還後の元の日常とは馴染めないその生活の中、やがてマイケルは、ニックがベトナムにまだいて存命であることを知り、再びベトナムの地を踏むことになる。

 陥落寸前のサイゴンとモブ・シーンの数々はさすがに圧巻の凄みはある。マイケルがそのサイゴンの闇の賭博場でニックと再会を果たす。実は、ニックはそこで毎夜行われているロシアン・ルーレットのギャンブルプレイヤーとして生き永らえていた。かくして、クライマックスのマイケルとのロシアン・ルーレットのシーンとなるわけだが、もっとも感動するはずのこのシーン、やっぱり疑問の方が勝ってしまう。

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 ニックはサイゴンから、今は半身不随となっているスティーブンに大金を送金し続けている。おそらく劇中から察するとその期間は相当な長さに及んでいる。そもそもロシアン・ルーレットのプレイヤーとして、長期間にわたって独り勝ちし続けることなんて出来るのか?という疑問である。何のギャンブルのテクニックも差しはさむ余地のないこのゲームで勝ち続けるには、おそらく手品めいたイカサマしかない。

 だから、ラスト、ニックの死を悼む、送別の席でようやく締めくくられる本作のエンディングには、どうしても釈然としないもどかしさのみが残るのだ。

 今にして思えば、マイケル・チミノの監督人生における本作の功罪は、このアンバランスな作品が、とんでもない程、大絶賛されたことかもしれない。そのことが、次作「天国の門」の空前の失敗の伏線となったことは、否めない。もしも、この「ディアハンター」が酷評され、興行的にも大敗を喫していたら、その後のマイケル・チミノの人生も変わっていたはず。

映画の世界における、これは尽きせぬ「たられば・・?」なのでしょうね~