負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬が笑っているうちに泣いていた件「パンチライン」

人生にオチはない。でも、出来ることならきれいなオチで落とせる人生を過ごしたい。それが笑えて泣けるオチなら申し分ない(評価 88点)

 ビデオの時代からずっと見続けている。それなのに、今でも見るたびに泣かされる。本作の本国公開時のコピーは「笑っているうちに泣いていた」。まさにその惹句こそが相応しい、人生のマイベストにランクインと言っていいほど好きな作品だ。

 本作の何が好きかと問われると、お笑いという芸の喜び、そしてその反面にある恐れが実に的確に描かれているから。それは舞台に立って観衆を目の前にし、たった一人で観客に笑いという衝動を起こさねばならないマジックを託されたマジシャンの恐れにも似ている。  

 かつてあのウッディ・アレンが舞台に立つときはいつも「どうか自分が可笑しくあってほしい」と神様にお祈りしていたという逸話があるけれど、本作ほど、舞台に一人で立って客を笑わす漫談、つまりはスタンダアップコメディ独特の臨場感と呼吸を肌で感じるほどに上手く伝えてくれる作品は他に知らない。そしてその空気感に何とも言えないペーソスと人間のぬくもりと人生のホロ苦さがブレンドされているから、観終わった後、何とも言えない優しさと、ちょっぴりの切なさに包まれてしまうのだ。

 舞台は地下鉄の高架沿いにあるコメディ・クラブ「ガス・ステーション」。そこでは未来のお笑いスターを目指すスタンダップ・コメディアンたちが、それぞれ個性的な持ちネタでしのぎを削って、何とかチャンスをモノにしようと夜な夜な舞台で汗を流している。

 そのメンバーの中でもズバ抜けた存在感を示しているのが、落ちこぼれの医学生ながら、キレ味鋭い話芸で毎回、聴衆を虜にするスティーブン(トム・ハンクス)。そんなスティーブンを客席から憧憬のまなざしで見つめるのが主婦の傍ら好きでしょーがないお笑いの舞台に、ぎこちなく立っては、毎回冷や汗を流しているライラ(サリー・フィールド)だった。

 本作、とにかく芸達者な名優のトム・ハンクスサリー・フィールドがいい。そして、全編にわたって、心に刺さるといってもいいほどにツボを得たシーンの構成がとにかく上手い。

 ライラには保険のセールスをしている夫のジョン(ジョン・グッドマン)がいて、そのジョンから主婦業をおろそかにしてスタンダップにのめりこむ毎日について、いつも小言を言われている。でも、ライラは、自分の唯一の特技と自認する、人を笑わせるという行為を通して人生のサムシングを見つけたくて仕方がないのだ。

 そこで、ライラはスター候補といってもいいスティーブンにネタの教えを乞おうと相談する。教えて欲しければついてこいと言われ、向かった先は病院。そこで、スティーブンはお笑いの修行も兼ねて、患者相手にスタンダップを披露している。ここで、場所のTPOを的確に突いたあざやかな病院ネタで聴衆を自分のペースに引き込むスティーブンの才能に感じ入るライラの表情が実にいい。

 最初はネタの小遣い稼ぎにとライラにお世辞を言っていたスティーブンだったが、ライラと会話をするうち芸の手ほどきがしたくなり、馴染みのコメディ・クラブの舞台にライラを立たせてみる。すると、ライラは観客を巧みにいじって、ちゃんと舞台を自分のパフォーマンスの空間に変えてみせる。それを見たスティーブンは、感服を通り越してライラに恋心まで抱いてしまい・・といったシーンの積み重ねが本作は本当に巧みなのだ。

 きわめつけは、強引にライラに恋心を打ち明け、結婚まで迫ったスティーブンが、夫を愛しているからとライラに告げられ拒絶されてしまうシーン。卒業試験で落第し、背水の陣でお笑いの道を邁進する覚悟のスティーブンは、主婦の傍ら副業よろしく舞台に立つライラに怒りをぶつけ、雨が降りしきる路上に飛び出し「雨に歌えば」を口ずさみながらジーン・ケリーよろしく、やけくそになって踊る。それをグッとこらえながら窓越しに息を詰めて見守るライラ。トム・ハンクスがキャリアベストと言ってもいいパフォーマンスを披露するこのシーンは何度見ても胸が締め付けられる。

 だが、そんな二人に人生最大のチャンスが訪れる。「ガス・ステーション」で開催されるコンテスト、そこで一位を勝ち取ればネットワークのTV番組の出場権がゲット出来るのだ。

 そして、本作の凄みが最大限に発揮されるのが最後の順番で舞台に立つスティーブンの芸をたっぷりと見せてみせるスタンダップのシーン。ここでスティーブンはいつもの毒舌のイントロが過ぎて、目の前のTVプロデューサーやゲスト相手に辛辣なジョークを浴びせてしまう。これに対し観客たちは水を打ったようにドン引きしてしまうのだ。しかし、ここからスティーブンは、まるで負け試合のボクサーが軽いジャブで試合の態勢を立て直し、勝ち試合のゲームメイクをするかのように、軽いジョークで白け切った客の笑いを引き出しつつ、最後には切り札の持ちネタで見事に舞台を爆笑の渦に巻き込む。

 笑いとはいわばパフォーマーと観客たちとの感情のキャッチボール、とかく繊細なものなのだ。そうした機微や呼吸までも鮮やかに活写したこのシーンの驚きは所見の30年前から今に至るまでまったく色褪せることがない。

 コンテストで優勝するのは果たしてスティーブンかライラか。その結末はホロ苦いけれど、どこまでもあたたかい。

 きっとこの先、スティーブンはスター街道を歩むに違いない。そして、ライラはやっぱり主婦業を続けながら「ガス・ステーション」の舞台に立ち続けるに違いない。キャラクターたちの行く末に見終わった後、思わず思いを馳せてしまうのは本作が優れた作品である証拠。

 今、人生のサムシングを求めて努力をしている人、そしてかつてはサムシングを追い求めていたけど今はあきらめてかすかな苦々しさを日常におぼえている人なら本作を見て、きっと感情を突き動かされるシーンがあるに違いない。

 とにかく本作を事あるごとにずっと見続け、今や成れの果てのようになってしまった負け犬も、そろそろ人生のパンチライン(オチ)のネタ作りにでも励むしかなさそうで、本作のようにちょっとホロ苦い感傷にふける今日この頃なのです