負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の朝はご近所の人たちとファック・ユー!で挨拶を「レニー・ブルース」

観客を挑発し、社会を挑発し、そして自分にとことんまでケンカを売って散って行ったスタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースの壮絶なる生涯!

(評価 82点)

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モノクロームに強烈なハイ・コントラストの映像。そして、ダスティン・ホフマンの頂点の演技が炸裂する。8分間の奇跡のワンカットの長回しの超絶パフォーマンスにひれ伏せ!

 「俺はレニー・ブルースのように死にたい・・」誰の言葉だと思います?かつて、オールナイト・ニッポンのDJをはじめとして日本を席巻していた北野武こと、あのビートたけしさんの当時の発言なのです。

 破滅型の天才芸人って、なかなか見かけなくなりましたが、今も語り継がれる存在としてひときわ有名なのがこのレニー・ブルース。また、製作年当時の1974年、もっとも才気走っていたダスティン・ホフマンの代表作として、つとに有名だった本作だが、なかなかDVDでも巡り合うことなく、ようやく入手した輸入盤で鑑賞がかなった本作。うわさに違わず見事な作品だった。

 70年代テイストそのまま、名手ブルース・サーティスのモノクロのキャメラもひときわ鮮烈に、有名な舞台演出家でもあったボブ・フォッシーが多層的なカットバックを巧みに駆使し、一人の芸人の壮絶な散りざまを描く本作。

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 芸人一家でなるべくしてなったコメディアンとして、場末の舞台に立つレニーも最初は、鳥のモノマネをするような、司会者からもツマらねえと吐き捨てられるような一介の三下の芸人に過ぎなかった。それがストリッパーとしてゴージャスな裸体を晒すハニーに一目惚れし、念願通り結婚し、夫婦二人してドサ回りの旅を続けることに。

 そして、その道中、激動の時代を迎えていたアメリカの時代の息吹を吸収し、まるでサナギから蝶へと脱皮するかのように、レニーの芸が変化していく。いわば、レニーは時代が求め、作り上げられたエンタティナーだったといえる。

 レニーがまず標的にしたのは、中産階級的な社会の常識。それを暴力的に破壊することで、笑いに変えた。たとえば、こんな具合・・・

「ファック・ユーは猥褻な言葉だろう。でも、日常用語として使い倒せば猥褻性など消し飛んじまう。だから知り合いと道で会った時も笑顔でファック・ユー!朝の挨拶もファック・ユー!当然、パパとママにもファック・ユーだ!」

 この笑えるネタを皮切りに、レニーはさらに社会を、そして時代を、最終的には自分まで挑発し、時代の寵児になっていく。

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 この過激なパーソナリティを発揮するレニーを演じたダスティン・ホフマンは圧巻の一語に尽きる。70年代初期といえば、ダスティンがもっとも才気走っていた時期だけど、本作におけるダスティンには、演技の鬼といってもいい凄味がある。

 本作のクライマックスのダスティンの壮絶なパフォーマンスには、誰でもひれ伏すはず。

 そのトークの過激さの度合いが増すばかりのレニーに当局も業を煮やし、遂にレニーは猥褻裁判のスケープゴートにされて、一文無し同然になる。やがて妻のサリーともども落ちていくのがクスリの末路。

 というわけで、舞台のオンステージ前だというのに、完全にクスリでつぶれたレニーが、舞台に上がり、一席終えるまでのステージを、フルレングスの8分間の長回しのワンショットで捉えるという、とんでもないシーン。

 足取りもおぼつかず、つまずきながら舞台に上がり、呂律の回らない口調でネタらしきものを喋り、8分間の出番を終え、咳き込みながら舞台袖に消えていくこのダスティンのワンカットの演技を見せつけられたら、もう誰も言葉が出ない。

 破壊的なギャグといえば、想起するのが、あの「赤信号、みんなで渡ればコワくない」で一世を風靡したたけしさん。冒頭の、たけしさんの発言も、類は友を呼ぶが如く、社会を標的にした破壊的なネタでクスリによってわずか40才でこの世を去ったレニーと、どこか相通ずるものを感じてのことだったはず。

 そんなたけしさんも、かつての破壊的なとげとげしさも丸くなって、何だか愛されるパーソナリティに落ち着いてしまった感がある。この人が再び映画をつくることはあるのだろうか?神のみぞ知るというところなのでしょうね~