負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の薄っぺらな悲しみと見せかけだけの文学性「ジョーカー」

鳴り止まぬ絶賛と歓呼の中、負け犬の目の前にあったのは史上最低と言ってもいいほどの薄っぺらな愚作としか言いようのない映画だった(評価 20点)

「目覚めよ!」エホバの証人じゃないけども、この「ジョーカー」という映画に賛辞を送っているすべての人々に物申す、としたらただもうその一言しかない。

 とにかく世界中から絶賛されている本作だが、そもそもただのヒーロー映画のフランチャイズに乗っかって、そのヴィランのバックストーリーをシリアスに描けば絶賛されるということをちゃんと見越して作っただけという安っぽさが直感的に見え見えの作品だっただけに、公開されてから何年経っても見る気が全く起きず、数年もたってからよっぽどヒマだったので見てみたら、案の定、賛辞どころか大惨事といってもいいほどホントに下らない作品だったという次第。

 本作でアカデミー賞を取ったアーサーこと、ホアキン・フェニックスさんが開巻早々、泣きながら大笑いするオーバーアクトでまずドン引きする。

 アーサーは患った母親を養う、アンダークラスの社会の落伍者なのだ、その職業がピエロで云々・・の設定からして、もうあまりに時代錯誤的な単細胞ぶりについていけなくなる。

 これは断じて違うだろう。負け犬は声を大にして言いたい!そもそもジョーカーは貧しい社会の落伍者などではない、金も欲も満たされすぎたリア充に飽き足らなくなって悪事を子供のように手玉に取って、享楽の限りを尽くす、そこに最大の魅力があったはずではなかったか。

 その魅力を最大限に引き出していたのがティム・バートンのあの不滅の「バットマン」であったはず。

 ティム・バートン版のあのバットマンとジョーカーが繰り広げる幼稚で子供じみたおとぎ話の世界。あれこそがバットマンの最大の魅力であり、ヒーロー物として大人の娯楽の極北に達した作品だったと負け犬は確かに思う。

 この負け犬がもっとも嫌いなバットマンは「ダークナイト」。とにかく、そもそもヒーロー物でしかないものにシリアスな尾ひれをつけてさもありなんと見せるそのあまりの低能ぶりにはあきれるしかなかった。

 この「ダークナイト」というやつは映画史上もっとも過剰評価されている作品には間違いないという考えは今も断じて変わりはない。

 とにかくただひたすらこのアーサーさんが被害者意識丸出しで悲嘆にくれるさまを見せつけられるだけの本作。本質的に何のテーマも展開していないのは誰の目にも一目瞭然。それなのに人が、世界が、評価しているから本作を褒めちぎる。そこには集団意識や群集心理の怖さすら覚えてしまう。

 もっとちゃんと自分の目で見て、自分の耳で聞いて考えましょうと、本作に入れ込んでいる人にはそれだけ言いたい。

 絶えず引き合いに出されるニューシネマの作品群はこれとは比べようもないほど成熟して大人の作品だった。ティム・バートンの「バットマン」もまた然り。

 あのジャック・ニコルソンマイケル・キートンの究極のバカ騒ぎが終わった後に流れるプリンスの歌声。あの切なさこそが本物のバットマンだ。

 あらためて声を大にして問う。目覚めよ!惑わされるな!愚作は愚作!そんなまっとうなことを発言できる社会を作りましょう・・って負け犬そのものがアーサー化しちゃったりして。

 とりあえず負け犬が久々に吠えた。でも、この閉塞感しかない社会で、あらんかぎり吠えるのもきっと精神衛生上良いことに違いない。他人様には迷惑千万な話でしょうけど・・