負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬が本物のレイプを目の当たりにしていたことを知って驚愕した件「ラストタンゴ・イン・パリ」

人間の束の間の性と生のタンゴを描く映画に、やらせなしの本物のレイプシーンがあったとしても、ベルトリッチ最大の傑作には違いない!

(評価 80点) 

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名前も知らない男と女が、お互いの存在を確かめ合うように、アパルトマンの一室でその肉体を貪りあう。それは、まさに人生のラストタンゴなのだ。

 顔と肉体がグニャリとひしゃげた男がソファーに寝そべるフランシス・ベーコンの一枚の絵。その静止映像に、ガトー・バルビエリによるジャージーなリズムとともに絶妙なサックスの音がかぶさるオープニング。初見の時、このオープニングに陶然とさせられて以来、本作を何度見たことだろう。

 そんな本作は、アングラ映画監督の恋人との結婚を控えるヒロインのジャンヌ(マリア・シュナイダー)が、新居探しのため、とあるアパルトマンを訪れるところから始まる。それまでイタリアのフェリーニパゾリーニといった、純然たる作家志向の監督だったベルナルド・ベルトリッチが、本作で世界中にセンセーションを巻き起こし、一躍、ポピュラーなメジャー監督となるきっかけともなったこの作品は、ベルトリッチの作品には欠かせないヴィットリア・ストラーロキャメラの美しさが、まず最大の見どころ。

 老朽化し、くすんでいるはずのパリの古びたアパルトマン。そこに差す光をストラーロによるキャメラが鮮明に捉えることで、ストラーロならではの鮮やかな黄色に満ちたカラフルな空間にそのアパルトマンが変容する。

 最上階の一室を気に入ったジョアンは、部屋を品定めしている最中、時を同じくしてやってきた一人の男(マーロン・ブランド)と出会う。そして、お互いの名前すら交わさぬまま、二人はいきなりセックスを始める。

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 本作は、この二人がこのアパルトマンの一室で落ちあい、セックスし、破滅に至るまで。描くのはただそれだけなのだ。しかし、それが、クライマックスで二人がでたらめに奔放なままに踊るラストタンゴとして表現されることで、人間の人生の悲しくも見事なラストダンスとしてシンボリックに表現される。そのさまは、ただただ圧巻の一語に尽きる。

 マーロン・ブランド演じる男に名前が無いことも、この二人を人間というものから個性をはぎ取った男と女、オスとメスの存在に転化するためのメタファーだ。それを端的に表現するシーン。全裸の二人が足を絡ませ、向かい合って座りながら、動物の鳴き声を上げるシーン。このシーンはユーモラスでありながら、核心をついてもいる。

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 また男は、最愛の妻が自殺したという、やるせない悲劇に見舞われたという設定。本作におけるマーロン・ブランドが醸し出す言いようのない虚無感は、超絶的なほど素晴らしい。その虚無感があるから、たた本能のままに、ひたすらジョアンナの肉体を求める男の行動が素直に理解できるのだ。

 人生はデタラメなダンス。セックスの果て、その行為がいよいよ終末を迎えていることを悟った二人が、顔をしかめる客たちをよそに、タンゴコンテストの舞台に乱入し、デタラメなタンゴを踊るシーンの陶然たる美しさ。

 そして、また本作は最近になって新たな物議を呼んだことも記憶に新しい。何度目かの二人のセックス・シーンに、ブランドが服を着たまま、ジョアンナに背後からのしかかり、手近なバターを指につけ、ジョアンナの肛門に塗って、そのまま姦通するシーンがある。その当時では、あまりにもセンセーショナルだったアナル・セックスの描写だ。

 近年、ベルトリッチはこのシーンが、ジョアンナ役のマリア・シュナイダーと何の同意も得なかったレイプまがいのシーンだったことを明らかにした。このシーンではお互い服をまとったまま姦通するだけで直接的な描写はないものの、それまで目にしていたシーンが、アドリブの本物のレイプだったことを知ってマスコミや映画関係者たちをも騒然とさせた。

 かくいう負け犬も少なからず驚いた。何度も目にしていたシーンが、迫真を通り越した本物だったわけだから。ここで交わった二人は、短い時間で果て、お互いを振り払って陶然としたエクスタシーに浸っているように動かないが、そもそもあれはリアルだったのだ。

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 世界中で上映禁止の物議を呼び、こうしたセンセーショナルな面ばかりが強調される本作だが、ベリトリッチの初期作品に見られた巧みなカット構成、ストラーロキャメラ、バルビエリの音楽と三拍子揃ったこの映像は芸術以外の何物でもない。本作発表当時、ベリトリッチは何とまだ30才。その年齢で、このエロスと死の、人間のはかない人生のダンスを描き上げた才能は、やはり天才だったとしか言えない。

 惜しくも早逝したベルトリッチが晩年になって、明かしたレイプの事実。それは過去に犯したことへの罪悪感からくる贖罪だったのかもしれない