負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のたかが映画されど映画、しかし、この映画こそ人生に必要な最高の映画「スーパーの女」

見れば元気になる!見れば勇気が出る!見れば生きる希望すら湧いてくる!そして、スーパーに買い物に行きたくなる!これぞ心のビタミン剤!

(評価 90点)

 

生きるために欠かせない場所

 人間が生きるために無くてはならない場所とは何処だろう?この問いかけだけには今なら自信を持って言えるのです。それはスーパーマーケット。当たり前の話、人間は生きるために食べなければならない。野菜を、そして肉を食わねばならない。となれば農耕生活などとは無縁な現代人、その糧を手に入れるための場所と言えばスーパーしかない!

 本作は才人、伊丹十三監督が、とある弱小スーパーを舞台に、一人の主婦が、そのスーパーを立派なスーパーに再生してみせるまでを描く、実にウェルメイドで素晴らしいコメディ映画。

 コメディ映画と言えば、ただのプログラムピクチャーのような印象を持たれるかもしれないが、本作はただ、それどころの話ではない。見るたびに感激し、考えさせられ、その上、生きる勇気すら湧いてくる、疲れた心へのカンフル剤のような素敵な映画なのだ。

 

最高に素敵な映画

 とはいえ本作、そのスタイルは絵に画いたようなプログラムピクチャーと言っていい。まず主人公たちの登場シーンからして完全に意識してそのスタイルを踏襲しているのが分かる。

夫に先立たれた主婦の井上花子(宮本信子)、そして同じく妻に先立たれた弱小スーパーの社長の五郎(津川雅彦)の二人が、新装開店の悪徳スーパー、安売り大魔王の安売りセールの現場でばったりと出会う。出会い頭、小学校時代の同級生の二人が思わず踊り出す。このテイストはまさに昔の松竹喜劇のテイストそのもの。

 しかし、才人、伊丹十三監督の手にかかれば、オールドスタイルそのままに、現代的な素敵なお仕事映画に大変身していくのが、実に見所。

 ストーリーはオーソドックスそのもの。スーパーにやたらと詳しい花子が、その見識眼を見込まれ、弱小スーパーの販売主任に就任し、はりきって乗り出す数々の改善。実はこのくだり、勿論、原作からの持ち出しのトピックではあるのだろうけれど、意外と感心させられるポイントに満ちている。

 たとえば、実に当たり前のこと。花子は、たまたま再開した回転寿司のカウンターで、とくとくとスーパーとはそもそもお客様、その中の主婦たちを迎え入れる場所だと五郎に説く。だから、スーパーの顔たる野菜がいつもスーパーの決まって入口付近に置いてある。成程、そう言われてみればそうだ、と思った瞬間、伊丹監督の術中にはまっている。

 売れ残った白菜を何とか売るにはどうするか?朝一番の開店の時から、既に値下げの札を貼っておけばいい、競争相手のスーパーの品ぞろえの時間が遅いと見れば、仕入れの時間を早めておけば競争相手に勝てる。こんな具合に繰り出される蘊蓄に感心しているうちに、すっかりキャラクターたちを好きになっている自分に気付く。

 そして、また本作は、花子と五郎という中高年の熟年者同士の素敵な恋物語にもなっている。やがて、キャラクターたちの奮闘に一喜一憂するうちに、笑いながら、泣いている自分に気付くことになる。

 

最高のセリフ

 いい映画には、必ず決まっていいセリフがある。本作にも忘れられない素敵なセリフがある。正直屋の改善が軌道に乗り始めた頃、花子と五郎が自転車に乗って店のチラシを配って回る。その時、遠くに立ち並ぶ住宅を見ながら花子がこう言う。

「この町には何万もの人たちが暮らしている。そして、その何万もの人たちは同じ稼ぎで暮らしている。でも、その決まった稼ぎの中で、人は少しでも豊かな暮らしをすることを望んでいる。その期待に応えるのがスーパーの仕事なのよ」

 負け犬はこのセリフを聞いた時、自分の胸の中でジ~ンという音が鳴ったのを聞こえた気がした。そして。この映画を思い出す時、いつも決まってこのセリフが真っ先に脳裏に浮かぶ。

 確かに本作、何もかもが単純明快にカリカチュアされ明快そのもの。でも、何とか映画祭で賞を取るのがいい映画の勲章なんかじゃない。とことんまで見る人をお客さんとして慮ってくれる映画こそが人生にとって大切なのだと教えてくれる。

 宮本信子演ずる花子の底抜けの明るさと笑顔がいつまでも心に残る素敵な映画。落ち込んだ時、気分が沈んだ時、そんな時こそこの映画。まさに心のビタミン剤。あなたも一本どうでしょう?