負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の伝説のロッククィーンは出っ歯だった件「ボヘミアンラプソディー」

傷つき孤独に苛まれても歌い続ける、それこそがパフォーマーの宿命。そして、それこそが人生の讃歌ボヘミアンラプソディー!

(評価 86点)

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クィーンとエイティー

 見終わった後の胸の高鳴りと興奮がなかなか収まらない、そんな至福を久々に味合わせてくれる映画だった。だが、実を言えば、クィーンというバンドに特別な思い入れがあるわけではない。でも、思えばエイティーズ、TVをつければ必ず流れていたのがMTVで、マイケル・ジャクソンやマドンナは言うに及ばず、懐かしき「ゴーストバスターズ」のテーマソングや「ストリート・オブ・ファイヤー」のミュジック・クリップと共に、あのクィーンのフレディ・マーキュリーのハイトーンの澄んだ歌声がいつも流れていた気がする。クィーンといえば名曲は山ほどあるが、映画フリーク的には、あのキッチュなSF大作「フラッシュ・ゴードン」のカッコイイテーマ曲が耳に焼き付いていたりするのだ。

 だから、バンドの実録物と言えば、そんな名曲の裏話のエピソードが繰り出されるのが楽しみの一つで、昔、MTVで見たり聞いたりしていたクリップの名曲がアラカルトで出てくると思わず心が躍る。特に劇中、すっかりセレブになったフレディに待ちぼうけを食らわされ、ウンザリしたメンバーが、自然とステージで足を踏み鳴らし、それがあの名曲「ウィ ウイル ロックユー」のオリジンになるところでは鳥肌が立った。

 そんなクィーンだけど、当時見ていた時はおそらく知らなかったと記憶する。フレディがバイセクシュアルのゲイだったことを。エイティーズといえばタイムマシン的にいにしえの時代になってしまったが、現代にフレディの伝説を蘇らせる、その懸け橋になったのが本作の場合、バイセクシュアルというテーマなのだ。

 

幸運を呼ぶ出っ歯

 本作はフレディを演じ、数々のプライズ・ウィナーに輝いたラミ・マレック抜きには語れない。画面に未だフレディ未満のペルシャ系移民の野暮ったい一青年としてマレックが出てきた瞬間からたちまち惹きつけられた。そのチャーム・ポイントは、何と言ってもその出っ歯。本作の場合、本編通じて活躍するのが、この出っ歯といっていい。出っ歯の見てくれの悪さなど、まるで気にもしないポジティブな屈託のないパーソナリティが、否応なしに人を引き付けるオーラを放っているのだ。

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そもそもあれほど昔、MTVやメディアで見ていたはずなのに、その時はフレディが出っ歯なんぞ意識もしなかった。ところがラミ・マレックが出っ歯の義歯を付けて登場した途端、フラッシュバックのように、そういえばそうだった、と思い出すから不思議なもの。

そして、前述のようにMTVでクィーンを見知った口だから、ショート・カットで口ひげを生やし、十分にキンキーないでたちをしたフレディしか知らない。だから、マレックがロン毛で登場し、クィーンの前身のスマイルというダサい名前のバンドに加わる序盤の成りたちのくだりが一層、面白かった。

出っ歯なんぞ気にせず常にポジティブだから彼女も出来る、そして、物おじもせず歌いのける度胸を買われヴォーカルとなった出っ歯の青年は、たちまち頭角を現し、ペルシャ系の実名からフレディと改名する。こうした序盤は、まるで戦国武将が成り上がるよもやま話にも似たワクワク感がある。

そんな本作はスタイル的にいえば、バンド実録映画のフォーマットから一歩も出ていない。しかし、クライマックスのバンドエイドでのパフォーマンスにすべてのエモーションや熱量が収斂していく構成が見事なのだ。だから、ある意味、本作はクライマックスの試合のシーンで興奮度がマックスに達する「ロッキー」版バンド映画と言える。

 

異端者の悲しみ

 フレディをヴォーカルにたちまち人気の頂点を極めていくクィーン。そして、フレディもナンシー(ルーシー・ボイントン)にプロポーズ、結局、その後、フレディがバイセクシュアルをカミングアウトしたことで決定的に亀裂が生じ、終生、フレディは孤独に苛まれることになる。

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 どれだけセレブになって、富が増えても癒されないのが孤独。フレディはつまるところ、それを代償にして数々の名曲を生み出すところが切ない。ステレオ・タイプを嫌って田舎にこもり、タイトルにもなっている「ボヘミアンラプソディー」を生み出すくだりが、第一のクライマックスだが、そのボヘミアンの名の通り、フレディは、放浪者というより拠り所の無い人間として描かれる。バンドと決裂することになるソロ活動宣告をメンバーに告げるくだりでも、皆には家族があるが、俺には誰もいないと訴える。そして、その荒んだ生活に癒しを求めたのがフレディの場合、ゲイというセクシュアリティだったわけだけど、その代償は余りにも大きかった。

 

ライヴエイド

 やがてフレディはAIDSに侵されていることを知る。そして、メアリーが恋人の子供を身ごもっていることを知ったフレディはメアリーからライヴエイドのことを知らされ、いよいよ自分の命運を決断する。クライマックスの直前、フレディがメンバーにAIDS感染をカミングアウトし、生まれてきたパフォーマーとしての運命を全うすると宣言するシーンは感動的だ。

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 本作のイントロは、フレディがちょうどライヴエイドのステージに上がらんとするところで、過去のバイオグラフィに立ち戻っていくが、この後、円環手法でリプレイし、いよいよ大詰めのライヴエイドのクライマックスに突入していく。

 

 

天国への階段

 一気にボルテージが加速する、大団円とも言うべきこのライヴエイドのシークェンスはただもう圧巻。フレディの一挙手一投足まで精密に再現したかのようなリアリティは勿論のこと、巧みな編集、そして魂震える名曲の数々で、ただ、こちらもヒートアップするばかり。そして、改めてクィーンの本質はバラードなのだと納得した。ここでのフレディのパフォーマンスのひとつひとつがくさびのようにこちらの心に打ち込まれていく感覚にたちまち涙腺も緩む。

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 すべてが終わった時、あふれる涙を拭いながら、去り行くメンバーたちを身じろぎもせず見つめ、まるで自分まで天国の一端に触れたかのような気がしたものです。

 かくも見事な完成度の本作、これはきっと監督のブライアン・シンガーの渾身の企画かと思いきや、紆余曲折を経た本作のプロジェクトのオファーを受けただけだったらしい。その上、撮影終盤には、勝手にリタイヤして、ほぼ監督不在のトラブル含みの現場だったとも。しかし、そんなトラブルなどまるで感じさせない本作の出来映えは、ひとえにフレディという人間をスクリーンに結実させたいというこのプロジェクトにかかわったスタッフたちの熱意だったのかもしれない。

 フレディはAIDSに倒れたがマーキュリーの名の通り彗星の如く現れ、その後、残してくれた名曲の数々が描いた軌跡は本作で本当の意味での神話になったと言えるのではないでしょうか。