負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のキム・ベイシンガーのたおやかな肢体!めくるめく官能のグラビアマガジン「ナインハーフ」

天才的ビジュアリスト、エイドリアン・ラインの技巧が冴えわたる、シックでエロチックなビジュアルカタログ。ミッキー・ロークキム・ベイシンガーカップリングが眩しくもゴージャスなカタログ映画。

(評価 76点)

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 ロングのシルエットで登場するキム・ベイシンガーのファースト・カットから、朝のストリートの表情を巧みに切り取るモンタージュ。そして、独特のハイ・コントラストの陰影に満ちたショットの数々。BGMにはエイティーズのイカす音楽。もうこのイントロだけで誰の映画か一目瞭然でそれと分かる。その人物こそ稀代のビジュアリスト、エイドリアン・ライン

 英国出身のビジュアル監督といえば、巨匠リドリー・スコットを筆頭に、アラン・パーカー、そして本作のエイドリアン・ラインと、映画界でもビジュアルな映像にかけては他に並ぶものがない御三家と言ってもいい、いずれも劣らぬ鋭利なビジュアル・センスを持つ有能監督だけど、ポップな感覚とファッショナブルなセンスでいえばこのエイドリアン・ラインがやっぱりピカイチ。

 やれ、中身のない監督だ、ビジュアルだけの薄っぺらいファッション写真家だと、批評家からは酷評され続けた監督だけど、この負け犬にとっては、ビジュアル嗜好を存分に満たしてくれる監督として昔から別格の存在だった。

 ところが、エイティーズの時代感覚ともピッタリマッチし、ネームバリューもつとに高い本作を、何故か見ていなかったことに、この年になって改めて気付き、いそいそと見てみた次第。そして、やっぱりエイドリアン・ラインのめくるめくようなビジュアルの数々に、気分まですっかりエイティーズに戻ったようなノスタルジックかつ、今更ながら新鮮味に満ちた気分に浸ってしまった。

 おそらくエイドリアン・ライン自身も、本作の価値をカタログ映画だと、はっきりと自認していたはず。だから本作、原作はあるけれど、ストーリーなどあってないようなもの。

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 ギャラリーに勤めるエリザベス(キム・ベイシンガー)が、友人と立ち寄った店で出会ったのは、如何にもヤッピーめいたトレーダーのジョン(ミッキー・ローク)だった。たちまち、エリザベスはジョンに魅せられ、二人だけの濃密な時を過ごすことに。

 本編は言ってみれば、そんな二人が、時も所も構わずに、乳繰り合って、やりまくるだけの映画と言っていい。そして、それをスタイリッシュとしか言いようがないショットの数々でめくるめくように展開するエロチックなカタログに他ならない。

 あの有名な、ジョンが氷の欠片をエリザベスのボディに滑らせる有名なシーン。キム・ベイシンガーの引き締まった、たおやかな肢体の上を氷がなぞるように滑っていく。そして、その肌の表面を、光る水滴が滑り落ちていく。

 はたまた、開け放たれた冷蔵庫の前で、ジョンがエリザベスの口元で果実を食べさせるシーン。あられもないほど果汁が口から溢れ、首元をつたい、果てには、ハチミツを体に塗りたくってのセックス等々、まるでゴージャスなコマーシャル・フィルムを見ているようなシーンが続く。

 壁に投影される、シュールなアートを見ながらキム・ベイシンガーがオナニーに耽るシーン。夜の街で暴漢に追いかけられ、ちょっとしたファイトを繰り広げたその興奮も冷めやらず、ジョンがエリザベスのシャツを引き裂き、キム・ベイシンガーの小ぶりなオッパイが剥き出しになりながら、荒々しくファックするシーン。

 どれも過激なはずなのに、巧みな光と影、雨に濡れる歩道のリフレクションといったアクセントをエイドリアン・ラインは、マチエールのように自在に使いこなしてのける、そうしたシーンのテイストは、あくまでもファッショナブルでスタイリッシュ。

 行きずりで出会った男と女が本能のままに束の間交わる一時期を描いた映画には、ベリトリッチの超名作「ラスト・タンゴ・イン・パリ」があった。

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 しかし、男女の刹那の交わりを動物の交尾のように捉えたベルトリッチとは対極に、本作のラインは、あくまでもビジュアルの世界で奔放に自らの技巧の羽を伸ばし切っている感がある。でも、こんな映画があってもいい。昔、大好きだったミッキー・ロークが黒でシックに決めて、エイティーズのイカすナンバーと共に歩く、それだけであの頃に戻れるような気がする。

 しかし、スタイリッシュなそんな二人の関係も、ジョンがキンキーなSMめいたプレイをエリザベスに強要し始めるあたりから、微妙に変わっていく。まるで、SMプレイでそれまで抑制していた本来の母性が覚醒したかのように、薄っぺらな肉体だけの二人の関係に違和感を覚えていくエリザベス。

 やがて、目隠しをされたエリザベスにジョンが黒人女性をけしかけ、レズビアン・プレイに及びながら、3Pの乱交に及ぼうとした時、エリザベスの理性が臨界点に達し爆発する。ジョンが初めて家族のことを話し出し、人間的な側面を見せても、もうエリザベスには白々しいパフォーマンスでしかなく、黙って去っていくエリザベスで二人の9週間は終わりを告げる。

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 どこを切り取ってもスタイリッシュ。確かにビジュアルだけで薄っぺらいかもしれないが、これだけエッジの効いたビジュアルを矢継ぎ早に繰り出せる引き出しを備えた監督はラインを置いて他にはない気がする。しかし、それと同時に、あくまでもあのエイティーズという華やかかつ短いバブリーな時代にのみ存在し得る監督だったとも。

 センスというものは確かに華やかであっても年と共にあっという間に色褪せていくもの、今やすっかり出演者たちも年老いたはずだけど、ラインの切れ味鋭いセンスは、このカタログ映画にはっきりと刻印されている。

 エイティーズよ永遠に!