負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬もめまいを覚えるイリュージョン「愛のメモリー」

これぞ映像マジックの華麗なるタペストリー!映像の魔術師ブライアン・デ・パルマの若き情熱とヒッチコックへの憧れが結実したイリュージョンの世界

(評価 86点)

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ブライアン・デ・パルマヒッチコックへの憧憬を独自に換骨奪胎してのけた夢の世界は、ただもう何度見てもため息がでるほど素晴らしい。

 ヒッチコックの模倣者と、常に批評家の矢面に立たされてきたブライアン・デ・パルマが放った一言で、今もずっと忘れられない言葉がある。デ・パルマが目の前のジャーナリストたちに言ったのは、こんな言葉だった。「映画とは所詮、折衷主義の芸術なのさ」

折衷主義。そう、いいと思うものがあれば、遠慮なくパクる。一見、開き直りとも取れる言葉だが、これは自らのスタイルに余程の自信がなければ、言える言葉ではない。とにかく、この発言当時のデ・パルマは若き情熱とバイタリティーに満ち溢れていた。

 デ・パルマポール・シュレイダーの二人は、その日、あのヒッチコックの傑作「めまい」を一緒に劇場で見た。劇場から出るや、デ・パルマはその興奮も冷めやらぬまま、たちまち5ページほどのシノプシスを書き上げた。そして、それを見せたポール・シュレイダーが作り上げたスクリプトこそ、本作「愛のメモリー」のシナリオだった。

 そのシナリオを読んだデ・パルマは大いに感激する。死んだはずの女が目の前に現れる。「めまい」の根幹部分のコンセプトは、そっくり取り入れながら、そこにもう一つのアイデアを盛り込んでいたからだ。

 とにかく本作は、一本丸ごとが、デ・パルマならではの、シンプルな映像テクニックがタペストリーのように織り成されたイリュージョンの世界といっていい。本作を見た後には、いつも夢から覚めたような夢うつつの気分になるほどなのだ。

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 南部のニューオリンズの地で成功した実業家のマイケル(クリフ・ロバートソン)は、その日、最愛の妻エリザベス(ジュヴィエーヴ・ビジョルド)との結婚10周年を、友人たちとともに祝っていた。しかし、その夜、エリザベスと一人娘のエイミーが誘拐される。マイケルは、犯人たちが要求してきた身代金を、指示通りの場所に投げ置くが、その身代金が偽札であることを知り、逆上した犯人たちは、警察の包囲網を突破し、二人を連れて逃走する。しかし、その追跡の最中、犯人たちの車がエリザベスとエイミーもろとも橋から落下、炎上し、二人はマイケルの目の前で死んでしまう。

 悲嘆にくれ、エリザベスとの思い出の地のフィレンツェの有名な聖堂を模した最愛の妻の墓標の前で佇むマイケル。それから16年後、商用で出かけたフィレンツェの、思い出の聖堂でマイケルが出会ったのは、エリザベスとまったく瓜二つのサンドラだった。エリザベスへの積年の思いからマイケルは、サンドラに思いを打ち明け、ニューオリンズに連れ帰り、周囲の反対を押し切り、結婚の意思を固める。しかし、その矢先、過去の悪夢の再来のように再びサンドラが誘拐されてしまう。果たして十数年の時を超え、繰り返される誘拐事件の真相とは、そしてサンドラの秘密とは・・・?

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 本作の撮影監督は70年代の旗手ヴィルモス・ジグモンド。そのヴィルモス・ジグモンドが驚いたのが、デ・パルマの映像テクニックのアイデアの豊富さだった。しかし、そのどれもが別に手の込んだものでもない、実にシンプルなものだった。

 その映像技巧について細かく解説すると、実は本編の真相のネタばらしになってしまう。しかし、例をあげれば、もっとも印象的なのが、本作で重要なファクターとなっている時間の経過を表現する手法だ。

 エリザベスの墓標の前に立つマイケル。キャメラは、そこから固定した支点のまま、パノラマの要領でグルリと一周し始める。回転しながら周囲を捉えるキャメラ。そして、一回転して、再び墓標の前に立つマイケルがフレームに入る。それだけで、不思議と10数年の時間の経過が体感出来る。

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 さらに、クライマックスでマイケルがサンドラに会うため空港に駆け付けるシーン。空港の窓を背景にサンドラが連れられて行くのをキャメラが捉える。その時、影となる窓のフレームによって、自然と光が明滅するような効果が生まれる。たったそれだけで、ここで生み出されるのが、サンドラの正体が明かされるという絶妙な効果だ。他にも、簡単なキャメラのズームだけで、サンドラがまるで少女のように小さな姿にみるみる縮んでいくなど、シンプルな手法だけで生み出されるマジックの数々にはただ驚くしかない。

 そして、本作に欠かせないのが、あの「めまい」でキム・ノヴァクが二役を演じたように、エリザベスとサンドラの二役を演ずるジュヴィエーヴ・ビジョルドの存在。幼い少女も成熟した女性のどちらを演じても、何の違和感もない彼女の存在なくして本作は成立しなかったといっても過言ではない。

 本作のエンディングでは、空港のターミナルで、抱き合うマイケルとサンドラの周囲を、キャメラの方がグルグルと回る、あの「めまい」でも最も印象的なシーンが、そのままリフレインされる。

 そして、そのシーンにあの数々のヒチコック映画でお馴染みのバーナード・ハーマンの美しいスコアがかぶさって幕を閉じる。数々の映画に素晴らしいスコアを提供してくれたバーナード・ハーマンは、本作の直後の「タクシードライバー」を遺作として世を去るが、本作の製作時、既に病魔に侵されていたハーマンは完成した本作を観た時、涙を流して感激したと言う。

 まぎれもない、あのヒチコックの世界が、新たな若き感性の映像と共に再現されていたからだ。そして、本作の後、「キャリー」でブレイクしたブライアン・デ・パルマは、その後も、ヒッチコックのテイストを独自に取り入れた映像作家としての地位を確立していく。

 デ・パルマの情熱、若き感性、映画への愛情がすべて凝縮された、その出発点たる本作が、この負け犬がもっとも愛するデ・パルマの作品であることは、今後も変わりはないのです。

 しかし、このタイトル「愛のメモリー」。現代のオブセッション(妄執)がどうしてこうなったのか?実は当時、日本では松崎しげるの「愛のメモリー」が大ヒットしていた。配給会社の東宝東和は、全く無名に近い監督、キャストを憂慮して、そのままそのタイトルをパクッテ邦題にしてしまったのだ。

 当時、本作のパンフレットを持っていた負け犬、が妙に恥ずかしかったのを今でも憶えている。これこそ「負け犬のメモリー」というやつでしょうか