負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬は人生の最後に何を食うのか?唯一無二の食い物活動大写真「タンポポ」

生きることは食うこと也!何度見ても楽しい、繰り返し見るから楽しさも倍増する、食い物の麗しき美味なるアラカルト!

(評価 82点)

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味覚は言うに及ばず、嗅覚、触覚、聴覚、そして知覚にまでも訴える、この映画は、五感で感じるグルメな活動大写真!

 星の数ほども出版されているグルメに関する書物の中で。元祖ともいうべき古典中の古典といってもいい書物がある。フランスの政治家で、自身、大変なグルメ通でもあったブリアー・サヴァランが1825年に記した「美味礼賛」だ。今でも翻訳で読めるこの本は。味覚というものを生理的な見地からとことんまで追求した、いわば食の求道書のような本なのだ。真面目は真面目なのだが、その追及ぶりが、限界まで真摯なため、何かと笑える本でもある。

 たとえば、人間の味覚というものが、この本に言わせればこうなる・・

 「まず歯が有味体を分割し、唾液その他の分泌液がそれらに沁み込み、舌がそれらを口蓋に押し付けて、そこから汁をしぼりださなければならない。その際、その汁が十分に有味性を帯びていれば、そこで初めて(舌の)風味乳頭によって識別され、あらかじめ歯の間で粉砕された物体がいよいよ胃の腑にはいることを許されるのである~」ここでいう有味体がそもそも人間の食す、食べ物のことなのだ。

 ただ物を食べるという行為を、ここまでスタイリッシュに格式張って書けば、何処かファンキーで可笑しなテイストに豹変しないだろうか?

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 劇場映画デビュー作「お葬式」で、日本初、そして今に至るまで唯一無二ともいうべきエッセイ映画を誕生させて世間の度肝を抜いた才人、伊丹十三の第二作目の「タンポポ」は、どこかこの「美味礼賛」にも通ずるスタイリッシュなスタイルで人間の食を究めた傑作グルメ映画なのだ。

 ともあれ本作のキャッチコピーはズバリ、ラーメンウェスタンというだけあって、その味わいは、格式張ったところなど微塵もなく、大衆食堂の気安さで、あらゆる味覚が楽しめるお得なアラカルトなのが、なんとも嬉しいところ。

 メインの話は、やっぱりラーメン。長距離トラックの運転手ゴロー(山崎努)がフラリと立ち寄った、タンポポ宮本信子)が営むうらぶれたラーメン屋。その店でビスケン(安岡力也)に絡まれたことから、ゴローはタンポポのラーメン屋をいっぱしの店にすべく立ち上がる。

 そのメイン・ストーリーの進行の合間にインサートされるのが、元々、グルメな伊丹十三が、その半生で培った食への思いをぶちまけたような楽しいエピソードの数々。

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 イントロは、白一色のスタイルで決めた、本作の狂言回し的な帽子男(役所広司)。映画館に乗り込んで来たこの帽子男が、後方でスナック菓子をボリボリ食べている客に向い「あんた、映画が始まってもまだそれ食ってたら、オレ、あんた殺すかもしんないよ」とドスをきかせるところから始まるのが何とも可笑しい。

 本作がユニークなのは、ただグルメな食べ物のおいしさだけではない。食にまつわる人間の五感といった見地からグルメにアプローチするところ。だから、イタリアン・レストランで食のマナーといって、生徒たちに、パスタは絶対に音を立てて啜ってはいけない、と厳に言い聞かせているそばから、ドデカイ音を立ててパスタを啜り上げているイタリア人の旨そうな姿に耐え兼ねて、とうとう当の先生も含めて生徒全員が、パスタを啜るズルズルという音の大合唱となるユニークなシーンが現出する。

 どうにもラーメンのスープ作りがうまくいかないタンポポを見かね、ゴローがタンポポを、ラーメンのスープ作りの先生と称するホームレスの元に連れて行くくだりも実に楽しい。そこで、ホームレスの一人が、タンポポの息子ターボーに作ってやるオムライスの何とも旨そうなこと。

 食べ物には、まずはトラブルもつきもの。ゴローたちが立ち寄ったソバ屋で、モチを喉につまらせる老人(大滝秀治)を掃除機で助けるくだりは捧腹絶倒間違いなし。

 味を奪われた苦痛もある。虫歯で食事がまともに出来なくなった男が、やたらと色っぽい歯科衛生士たちがいる歯医者で、治療してもらう。しかし、最初は柔らかいものからと、歯医者に言われ、ソフトクリームを食べていたら、ヨダレを垂らさんばかりに飢えた目をした子供が寄って来る。ふと見るとその子供のクビには、”自然食だけで育てています。食べ物を与えないでください”と書かれたカードがかけてある(笑)。試しに子供の口元に、ソフトクリームを突き出したそのリアクションたるやもう本編を見ていただくしかない。

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 そして、食べ物は、味だけではない、食感ならぬその触感も。とある深夜のスーパーマーケット。フラリと一人で入って来た老婆は、食べ物の触感の魅力に囚われたフェチで、次から次へと食べ物を手にとっては、その表面に指がめり込む感触に陶然となっている。かくして始まる、それを目撃した店主と老婆との店の中でかくれんぼめいた追っかけっこ。

 本作は、まるで尻取りのように、こんな可笑しなエピソードが、次から次へと繰り出され、それを見ているだけでいつのまにか2時間が経っている究極の食のアラカルト映画といっていい。こんな映画、古今東西を問わず本作以外でお目にかかったことがないし、実際、何度見ても、見返すたびに味がしみだすように楽しめるところが嬉しい。

 味というものには、理屈も国境すらもいらない。日本では残念なことにヒットしなかった本作だが、今でも欧米では、伊丹作品としては随一の人気を誇っているのも、うなずけるところ。

 最後に、本作で負け犬がもっとも好きな、とっておきのエピソードを。

 夜の踏切を息せき切って駆け抜ける男(井川比佐志)。男が飛び込んだのは自宅の安アパート。四畳半の布団には、もう臨終間際の男の妻が横たわっている。しかし、男は、死へのカウウントダウンが秒読みに入っている自分の妻を何とか蘇生させようと懸命に呼びかける。やがて思い当ったように男は妻にメシを作れ!と大声で叫ぶ。すると、妻は、まるでプログラムされた機械のように、すっくと起き上がりごはんの支度を始める。この妻が作るのがチャーハンなのだ。

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 やがて香ばしい匂いを放つナベを手に、妻が食卓へとやって来ると、男は三人の子供たちに食え!と命じ、妻が死に際に作ったチャーハンを皆で食べる。そして、男が旨いと言った瞬間、妻はこと切れる。この「最後のチャーハン」のエピソード。見たら誰でもチャーハンが食べたくなるはず。

 思えば人間は、生まれた瞬間から、当然ながら食い物を食す。そして、人それぞれに食す食べ物もバラバラで、おそらく人生の最後に口にする食べ物も、てんでバラバラのバラエティには富んでいるはず。しかし、最初に口にするのは、お母さんの母乳と決まっている。

 ミルクから始まる人間の食の長い旅。本作を見たら、おそらく人生の最後に何を食すかに、誰でも思いをめぐらしてしまうのではないでしょうか。