負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬もむせび泣く任侠のド演歌「クラッカー/真夜中のアウトロー」

長ドスならぬコルト・ガバメントを両手に構え、コンバット・スタイルのキメポーズ!これぞ男が燃えに燃える任侠の花道、さすがの唐獅子牡丹の健さんもこれには敵わない。

(評価 79点)

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金庫破りは夜なべの突貫工事。ジェームズ・カーンのコンバット・スタイルの銃構えにマガジン交換といったリアルなディテールに熱くなる。そしてとどめに哭きのギターとくればもう何も文句なし。

 80年代に突入して間もない頃、本作が日本で公開された時の反応は、おしなべて無反応だった。もう時代遅れの金庫破りの映画なんか見たくない、そんなあからさまな映画評もあったと記憶する。だから、本作は、負け犬のアンテナにもまるで触れることもなく、記憶の淵からキレイさっぱり消え去った。

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 そして数年後、TVをつけたら本作のクライマックスのいよいよ終わり、主役のフランクを演ずるジェームズ・カーンが弾着し地面に倒れ、起き上がりざまにコルト・ガバメントのマガジンを交換、装着し反撃する、ほんの1,2分にも満たないクリップが映し出され、そのままエンディングとなってコマーシャルになったのです。しかし、その時の、それまで見たこともないようなリアルな銃によるコンバット・シーンに驚き、新聞でエア・チェックしてみたら、さっき放送されていたのが、そのタイトルだけ記憶にあって、存在は忘却していたこの「クラッカー/真夜中のアウトロー」だったことを知ったのだ。

 それからもそのシーンが記憶の隅に住み続け、本編を見たいと思いつつ、十年近くも経った頃、行きつけの輸入DVDの専門店で本作を見つけ、まよわず購入し、早速、見たら、これがもう男泣かせの大傑作ですっかり身も心も魅了されたという次第。

 原作は、窃盗犯のリアルな手口を描いたフランク・ホイマーによる「THE HOME INVADER」。映画の原題もそのものズバリの「Thief(窃盗犯)」。マイケル・マンはその原作のリアリティーを生かしつつ、自らの繊細かつ現代的なビジュアル感覚を盛り込み、エイティーズにふさわしい独特のネオ・ノワールとでもいうべき世界を作り上げた。

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 映画のフォーマットは、絵に画いたようなフィルム・ノワールそのもの。フランク(ジェームズ・カーン)は、中古車販売業を営む男。しかし、そのフロントの顔とは別に、裏では黒社会とコネクションを持つ金庫破り専門のプロの窃盗犯だった。その腕が見込まれたフランクは組織の大物レオ(ロバート・プロスキー)にある大掛かりなヤマを持ちかけられ、気乗りしないまま仕事をやり遂げるが、報酬をピンハネしたレオに仲間まで殺され、怒りに燃えたフランクは遂にレオに報復する、という手垢まみれのストーリー。

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 しかし、その原作のリアリティーを生かした数々のディテールと、しっかりと書き込まれたキャラクターによって本作は一味も二味も違うテイストの男のノワールになっている。特筆すべきは、やはりそのリアリティー。本作における窃盗シーンは、ピッキングなどという生易しいものではない。それはもはやあらゆる機材を使った突貫工事のレベル。とりわけクライマックスのレオから請け負った金庫破りのシーンなど、完全に夜なべの解体工事そのもの。仲間とともに耐火用の防護服に身を包み、ビルの解体工事さながらにドデカい音を立て、金庫の中に顔馴染の業者に作らせた特注の細いノズルで直接、高熱の火炎を流し込み、焼き切っていく。こんなに生々しい金庫破りのシーンはこの映画以外でお目にかかったことがない。キャラクターの書き込みも巧みだ。盛りを過ぎたフランクには、やはり中年の連れ合いのジェシー(チューズデイ・ウェルド)という恋人がいる、もう若くはない中年カップルの心の隙間を埋めるもの、それは子供。しかし、ジェシー不妊症もあって、二人が喉から手がでるほどに欲しいのは、養子なのだ。

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 フランクがレオの仕事を渋々、承知したのも、養子を世話するという、レオがフランクの足元を見透かし提示したその交換条件のためだった。フランクとジェシーが夜更けのダイナーでしみじみと会話するシーンの実に素晴らしいこと。ちょっとしたインサート的なシーンも含め、本作はこうしたディテールの積み上げが実に上手い。

 しかし、それよりも何よりもこの負け犬がその胸を熱くして感動したのが、マイケル・マンが、日本のヤクザ映画が束になっても敵わないほどの、演歌の花道とでもいうべき、喉チンコからふりしぼったような日本人にしか歌えないはずのコブシを見事に効かせてくれていること。

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 最後、すべてを捨てたフランクはレオの邸宅にコルト・ガバメント一丁携えて殴り込みに行く。コンバット・シューティングのスタイルで目的地に進み、レオを見つけたフランクは、容赦なくレオの胸めがけ弾丸を撃ち込む。この時、胸から血を噴き出し、のけぞるレオのスロー・モーションの絶妙なタイミングでギターの音色が鳴り響く。そのタイミングとテイストは。まさに唐獅子牡丹の東映任侠映画の世界。タンジェリン・ドリームによる、まさに夢のようなテーマ曲の中の銃撃戦(TVで目撃したのは、このシーンの終わりの方だったのです)の陶酔感。

 最後、敵を倒し、自らも傷ついた体で、ゆっくりと立ち上がり、去っていくレオを捉えるキャメラで本作は終わる。その夢見心地の中、負け犬の心に、マイケル・マンの名が漢映画の巨匠として刻まれたのは言うまでもない。

 たとえ題材が古臭くたって構わない。古い革袋でも、そこに注ぎ込むクリエイターの熱い思いとこだわりがあればその映画は傑作になる、そんなことを見るたびに教えてくれる、負け犬にとってはかけがえのない映画なのです。