負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の女にチキンでフェラチオさせてングングと嗚咽する顔を見て欲情する殺し屋に唖然とした件「キラー・スナイパー」

ここは人間のクズたちのワンダーランド!どいつもこいつもみんなクズ!そんなクズたちと一つ屋根の下で暮らすのは最たる人間のクズにしてロリコンの殺し屋キラー・ジョー!老雄ウィリアム・フリードキンが狂い咲いたかのように放った超絶的な傑作ノワール

(評価 84点)

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キラー・スナイパー」といいつつスナイパー映画ではない。明らかにビデオスルー前提でぞんざい無比にネーミングされたそのタイトル。でも、ガレージセールばりの玉石混淆のそのカオスにこそ、知られざる傑作というものが存在することを、ただひたすら映画を追いかけてきた映画フリークなら知っている。そんな本作は、まさにジャンクボックスの中のダイヤモンド。製作当時76才だったフリードキンが、目が覚めたかのように放った傑作ノワールだ。

野卑で下品で無知蒙昧なレッドネックの代表格のようなスミス一家。嵐の夜、スミス家の長男クリスが、一家が住むトレーラーハウスに駆け込んで来るところから、この異様なノワールの幕が開く。

しかし、このイントロ。クリスがスミス家の暮らすトレーラーハウスのドアを開けたら、いきなり義母シャルラ(ジーナ・ガーション)のプッシー・ヘアが面前に突き付けられる、とんでもないオープニングから、誰でも本作がただ者ではないことを実感するはず。

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借金漬けのクリスが、父親アンセルに持ち掛けたのが、アンセルの元妻で、クリスにとっては実母の保険金目当ての殺害だった。ノワールの常道、保険金殺人といえばコーエン兄弟のスリラーだけど、コーエン兄弟ノワールに登場するキャラクターたちが、少なからずまともなのに比べ、本作のキャラクターはどこまでもクレイジー。薄汚いトレーラーハウスで、垢や油にまみれたような、家長のアンセルをはじめ、色狂いでのっけから、わめきまくっている後妻のシャルラ、そして末娘で少し頭が足りないドティ(ジュノー・テンプル)といった女たちもまたむせ返るようなだらしない色気を画面から発散しまくっている。

保険金殺人といっても、ヘタレなクリスやアンセルに自ら手を下せるわけもなく、親子は、警察官の傍ら、副業で殺しを請け負う、キラー・ジョー(マシュー・マコノヒー)に仕事を依頼することに。

この殺し屋ジョーの初登場のシーンのアクセントショットのカッコよさは、まさにフリードキンの面目躍如といったところ、そして、まるで世の中のすべてのアンビバレンツのメタファーのようなこの殺し屋ジョーはまたロリコン趣味の持ち主で、クリスたちが前金を支払えないとわかるや、とっとと身を引こうとするが、その時、たまたま見かけた娘と言ってもいいほど若いドティーに淫らな欲望剥き出しで一目ぼれしてしまう。

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かくして、本作は、この殺し屋ジョーが、ドティー目当てに居候よろしくスミス一家と生活を共にするというとんでもない展開になっていく。

本作の原作は元々、戯曲家トレイシー・レッツによる舞台劇。舞台劇ならではのテンションは異様としか言いようのないクライマックスで爆発する。

折角、殺害計画を遂行したのに、肝心の保険金が、お門違いの人物にわたり、ふてくされて買ってきたチキンにかぶりつくアンセルとシャルラ。そこに現れたジョーが、保険金を独り占めするためにシャルラが画策したと、ジョーがシャルラを問い詰めるシーン。

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ジョーはサディスティックにシャルラの鼻面をへし折り、血まみれのシャルラにフェラチオを強要するのだが、これがただのフェラチオではない。ジョーは、テーブルの上に置かれたチキンを掴むとペニスに見立てて股間によそったそのチキンをしゃぶらせる。

このシーンのあまりの異様さには、仰天した。

そして、スミス一家を完全に支配下に置いたジョーがホストになっての奇妙なディナーのシーンが繰り広げられる。その光景のシュールさは、あの森田芳光の傑作「家族ゲーム」のディナーのシーンを思わせる。

本作にはクズしか出てこない。しかし、そんなクズたちが罵り合った果てに抜き差しならない深みにはまっていくのを眺める至上の喜びに満ちた映画でもある。思えば、「フレンチコネクション」や「エクソシスト」の予兆とも言うべき傑作「真夜中のパーティー」も舞台劇の映画化だった。フリードキンが35才の時に撮ったその「真夜中のパーティー」よりも、76歳の時に撮った本作の方が、パワーでは勝っている。

ただのノワールではない、シュールでブラックなパワーに満ちた本作。エンドタイトルで幕が閉じた瞬間には、まるで毒気にあてられたようにしばし呆然としてしまったほど。

撮影現場で、役者の生のリアクションを捉えるため、実銃をぶっ放すなどのとんでもないパフォーマンスをするフリードキンだけど、70代にして尚も切れ味鋭いカミソリのように尖り続けるフリードキンの攻撃的なスタンスが横溢している本作には嬉しくなった。

今も存命中で、現役のフリードキンには、こんな怪作を是非ともまた撮ってほしいものです~