負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のスモールタウンは江戸川乱歩の猟奇の世界「ブルーベルベット」

アングラからビッグへの成功の青写真は、一度見たら忘れられない、猟奇と耽美、さらには世にも奇妙なオズの魔法使いの世界だった!

(評価 82点) 

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人間の耳の穴の奥深く、そこは誰も見たことのない世界!ただのアングラな映画作家のサクセスの法則は、童話と変態をレシピとする、世にも奇怪なミステリー。

 デヴィッド・リンチという男の名前を初めて目にしたのは、ちょうど1980年になった頃のこと。当時のキネマ旬報に、今野雄二氏によるLAのインディペンデント映画事情のリポート記事が載っていた。その時、ミッドナイト・カルトとして人気を集めている一作として言及されていたのが「イレイザーヘッド」だった。そして、それから直ぐ、地味なモノクロの、実話ものの一本の映画が日本で異例の興行収入を記録する。社会現象ともなったその映画の名は「エレファントマン」。

 かくして、一躍、知名度を上げたアングラ作家のルーチン・コースで、あの大プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスから声がかかり、デヴィッド・リンチはメジャー・スタジオの超大作「デューン」を手掛けることに。しかし、リンチはここで、ものの見事に大失敗する。

 誰もが思ったのが、アングラ上がりの勢いで、メジャーを任され失敗した一人の映画作家が、映画業界の非情なまでの掟に抹殺される末路だった。ところが、もうその名前を聞くこともないと思われた矢先、一本の控えめな低予算の映画が世間をざわつかせ始める。その映画のタイトルに躍っていた名前こそデヴィッド・リンチその人だった。

 その作品たる本作「ブルーベルベット」を初めて見た負け犬が、その時、何よりも驚いたのが、リンチが物語を、ストーリーをちゃんと語っていたことだった。本作が日本で公開されたのは、1987年。ビデオの全盛期ということもあって、カルトな作品が重宝され、リンチのデビュー作の「イレイザーヘッド」も、それに先立つ早い時期から、ビデオ屋の棚には並んでいた。その「イレイザーヘッド」を初めて見た時の感想たるや、作品がどうのこうというより、正真正銘のアングラ作品を目の当たりにしたというか、正直、評価のしようがない作品だな、という印象しかその時は感じなかった。

 だから、雇われ監督として仕事をした「エレファントマン」や「デューン」は、差し置いて、自ら脚本を書いた「ブルーベルベット」には、そもそもストーリーテリングなどというものは期待もしていなかったのだ。

 ところが「ブルーベルベット」は、ある意味、奇怪ながらも、リンチはストーリーを巧みな語り口で語ってみせていた。それは、いわば、スモールタウン・ホラーとでもいおうか。まずは、その事に素直に驚いた。しかし、本作の驚きは、それだけでは到底なかった。

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 まずは、ボビー・ヴィントンが歌う、のどかきわまりない「ブルーベルベット」で幕を開ける、映画の内容とは、まるでミスマッチなイントロのイメージが鮮烈。

 色鮮やかな花が咲き、行きかう人たちはみなにこやかに笑いかけ、快活に暮らしている。リンチがこのイメージを着想したのは、1964年のこと。以来、長い年月を経て、そのイメージがリンチの脳内で、奇怪な生き物のように、さまざまなフォルムにメタモルフォーゼを繰り返していく。

 その典型が、芝生に水をやっていた、主人公ジェフリー(カイル・マクラクラン)の父親が、突然倒れ、地面の芝生に向かってキャメラがトラッキングしていくシーンに如実に表れている。その時、蠢くのは虫たちだ。表向き明るくのどかなものの背後に存在するグロテスクな真実。このイメージから、この映画は本編に突入していく。

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 とにかく本作は、後にリンチ・テイストとして一般に認知されるようになっていく変てこなアイテムに満ちている。その切り口となるのが、人間の耳。リンチは、本作のオリジンを語るメイキングでも、ボビー・ヴィントンの曲の次に浮かんだイメージが人間の耳だったと語っている(この人の脳内世界はかくも変てこなのだ)。

 入院する父親を見舞いに行ったジェフリーは草むらの中に、切り落とされた人間の耳を発見する。本作は、ここから一気に、奇妙なミステリーの体裁を取り始める。

 変てこなアイテムを挙げていけばキリがない。まずは、耳を見つけたジェフリーが、地元の警察の刑事ジョンにそれを届けるシーン。無造作にジェフリーが紙袋に入れたその耳を見て、ジョンがにこやかに「こりゃ~確かに人間の耳だ」というシーンからして、どこか調子が外れている。

 鑑識に立ち会い、それがハサミによって切り落とされた耳であることが分かり、後日、ジェフリーはジョンの自宅を訪ねる。夜の散歩がてらに出かけたその道すがら、犬の散歩をしている男は、夜なのにサングラスをかけ、身じろぎもせず突っ立ったままだ。ジェフリーは訪れたジョンの家で本作のヒロイン、サンディ(ローラ・ダーン)と出会うわけだが、その時、自宅にいるのに何故か銃のホルスターを付けたままのジョンもまた、何かがやっぱりオカしい。

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 本作を見て、リンチが語ってみせるストーリーに引き込まれるにつれ、真っ先に頭に浮かんだのが、あの江戸川乱歩の世界だった。ストーリーのフォーマットがミステリーということもある、それに活躍する主人公が一応、ヤングアダルトの男の子と女の子ということもあって、少年探偵が活躍する乱歩の世界とイメージが重複したのだ。

 実際、探偵役のジェフリーは、ナイーブな恐れ知らずで、サンディから事件に、クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズ(イザベラ・ロッセリーニ)が関わっていることを聞きつけ、果敢にも、害虫駆除の業者に化けて、そのアパートに乗り込み、部屋のカギを入手する。そして、後日、部屋に忍び込んだ時に目撃するのが、世にも奇怪な出来事なのだ。

 ジェフリーが慌ててクローゼットに隠れ、その隙間から垣間見たのは、マザコンの変質者フランク(デニス・ホッパー)とドロシーの倒錯的な変態行為。何故かフランクは、ブルーベルベットの切れ端を咥えて欲情し、「マミー!」と叫び、ドロシーを殴打しながらセックスする。その一部始終を、ジェフリーが覗き見るそのシーンなど、まさしく乱歩の代表作、屋根裏の節穴から主人公が下界を覗き見る「屋根裏の散歩者」をそのまま想起させる。

 ジェフリーは、フランクがドロシーの息子を人質に取ることで、ドロシーを肉体的精神的支配下に置いていることを知り、ターゲットをフランクに絞る。ここからの独壇場といってもいいフランクのキャラクターのインパクトは今更、語ることなど何も無いほどでしょう。「ブルーベルベット」は、このフランクの暴れっぷりを見るためにあるといっても過言ではない。

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 何よりも素晴らしいシーンは、ジェフリーがフランクに拉致同然に連れて行かれた売春宿らしき場所で、フランクの仲間のベンがロイ・オービソンの「イン・ドリームス」のレコードに合わせて口パクで優雅に歌ってみせるシーン(ここにいる女たちが皆、肥満体なのが実に奇妙!)。

 厚化粧したオカマのベンが唄い、そのそばにフランクが立っている。やがて、感極まったフランクは、全員をファックしてやると叫んで、仲間たちと夜のドライブに繰り出すが、その時、フランクは魔法使いのようにかき消える。本作が「オズの魔法使い」の暗喩であることを如実に物語るシーンでもある。

 やがて、フランクと対決することになるドロシーのマンションの部屋でのクライマックスのシーンも異様そのもの。拷問されたとおぼしき黄色いジャケットを着た屍同然の男が、何故か倒れもせず突っ立っている。この男が、ポケットに入っている警察無線のトランシーバーが鳴りだすや、機械仕掛けの人形のように、突然、片手を跳ね上げる。おそらく、こんな奇怪なシーン、誰も、本作以外で目にすることはないだろう。

 エンディングでは、ジェフリーはどうやら、サンディとも結婚し、幸せな家庭を築いているかのようにして本作は終わる。それは、あたかも、この奇怪きわまりない事件が、まるでジェフリーが大人になるための通過儀礼の青春の一ページだったかのようでもある。

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 確かに、今見ても本作には、リンチ印としかいいようがないアングラちっくなアイテムが満載されている。しかし、それでいてアングラそのもののそうした要素が、誰も脱落しないレベルで程よくコントロールされ、逆に陶酔を覚えるほどに昇華されていることには、とにかく驚くしかない(この後に続く「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」では、どんどん脱落者が増えていくことになるのだが)。

 そしてリンチ自身も、この江戸川乱歩を思わせる猟奇的で、一見、わけのわからないミステリーというジャンルで金鉱を掘り当ててみせた。リンチは、後に、このテイストを、TVというフレームに持ち込んだ「ツイン・ピークス」で見事にマネー・メイキングのサクセスも獲得した。5年がかりでダーク極まりない「イレイザーヘッド」という異形の作品でデビューしたアングラ作家の、これは、ある意味、冗談のようなサクセス・ストーリーといえないだろうか。

 撮影現場のメイキングでも、撮影中も決してラフなスタイルなどせず、首元までカラーのボタンをきっちりとはめながら、頭の中では、奇怪でグロテスクで異常なイメージが渦巻いているこの人は、きっと今も地球の何処かでほくそ笑んでいることでしょう。