負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬たちの魂の雄叫び「アモーレス・ペロス」

メキシコから突如、飛来したミサイルが、目もくらむ閃光とともに爆発する、負け犬たちが織り成す壮絶なる人間ドラマに息を呑んだ!

(評価 82点)

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メキシコという予期せぬ国から現れた俊英の出現に驚愕させられた、オムニバス人間ドラマの傑作。

 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、記憶力が乏しいこの負け犬の記憶に、その爆裂的なまでにややこしい監督の名前がしっかりと刻まれるきっかけとなった作品こそ本作だった。東京国際映画祭でのグランプリなど、輝かしいプロフィールは聞きつつも、さしたる興味も抱かず、ほんの気まぐれに借りてみたのが、今思えば本作との最初の出会いだった。

 本作の構成は、といえば、オムニバス映画ということになるのだろう。だとすれば、本作は、三つのエピソードから成っている。そして、そのいずれのエピソードにも、犬たちが絡んでいる。本作は、いずれ劣らぬ人生の負け犬たちが、振り絞るように吠えたてる強烈きわまりない慟哭のドラマでもある。

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 まずは開巻早々の、カットがめまぐるしく矢継ぎ早に繰り出される、出だしのエピソードの主役となるオクタビオが、誰かに車で追撃されるハイテンションのシーンからして圧巻だ。車内には血みどろの犬がいて、すぐ後ろまで迫りくる相手の車との猛スピードによるチェイスで、車内はアドレナリンがMAXまで沸騰している狂乱状態となっている。勿論、見ている側は何が起こっているかさっぱり分からない。そして、混乱の中、どうやら相手を振り切ってホッとした瞬間、交錯した乗用車と激しくクラッシュする。

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 本作の成功後、ハリウッドに進出し、なるべくして巨匠になったイニャリトゥの衝撃的なデビュー作となる本作。以降のイニャリトゥのトレードマークともなる時系列の小刻みなシャッフルによって紡がれるストーリーが、このクラッシュを発端として語られていく。一見、リンクするはずもなさそうな三つのエピソードがちゃんとリンクする、その機能を果たすのもこの一つの交通事故なのだ。そして複雑にシャッフルされる時系列のパズルのピースが、ハイテンポで組み上がって全体像が見えてくるような、超絶的ともいえる脚本の技巧的な悦楽を、見事に味合わせてくれる作品でもある。

 冒頭、いきなりクラッシュしたオクタビオ。時系列は一気にそこから遡り、まずは、その顛末を我々は知ることになる。庶民階級が住む、つつましいアパートに母親と、兄夫婦と共に暮らすオクタビオ。オクタビオは、暴力的な兄に怯える妻のスサナに対する抑え難い感情に悶々としている。ある日、たまたま闘犬場に持ち込んだ飼い犬に、闘犬としての才能があることに気付き、以来、飼い犬は連戦連勝を重ね、やがてオクタビオは、闘犬で得た金で、スサナと、その幼い子とともに、駆け落ちすることを夢見るようになるのだが・・。まるでギリシア悲劇のような、実の兄嫁との禁断の恋が、凄まじい迫力の闘犬シーンとともに語られる第一のエピソードは、その狂おしいまでのエモーションと、その感情が肌にまで伝わってくるような剥き出しの映像も圧巻の、本編の白眉といえるエピソード。

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 決して裕福ではない、庶民階級そのもののオクタビオが、全身全霊で兄嫁のスサナにぶつけていく、その欲望も愛情も空回りしたまま不完全燃焼のように暴発し、運命の糸のように、冒頭の車のクラッシュに導かれるストーリーが実に痛ましい。

 クラッシュした時の、オクタビオのそんな慟哭が聞こえるような痛ましい事故が生み出す次なるエピソードも胸に応える。第二のエピソードの主役は、負け犬などとは無縁のはずの有名セレブのモデルのバレリア。オクタビオの車にクラッシュされた車を運転していたバレリアは、九死に一生を得るが、下肢に大ケガを負い、恋人が用意してくれた新居のアパートで、リハビリ生活を送ることになる。最初は、更なるサクセスへの階段のちょっとした足踏みにしか思えなかった状況が一変するきっかけとなるのも犬なのだ。

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 ある日、バレリアが飼っている犬が新居の床の穴に入り込み出てこなくなる。そのほんの些細な出来事から、順風満帆に思えた恋人との関係にもヒビが入り始め、やがては、お互いを八つ裂きにせんばかりに、全身から声を上げ罵り合うことに。お互いがお互いを徹底的に罵倒しあう、このシーンは実に圧巻。すべてが枯れ果て、もぬけの殻となったようなバレリアの足にはもはや血が通うこともなく、片足切断という、モデルとしての死刑宣告を出されたバレリアが、最後に寄り添う恋人と、さめざめと泣く涙のぬくもり。そんな、セレブから一転して、人生の負け犬になって初めて流す涙こそが、人間としての暖かい涙だったというこのエピソードの結末が、実に身に染みる。

 最後のエピソードも、発端は、やはり冒頭のクラッシュ。事故現場から傷ついたオクタビオの飼い犬を助け出したのは、かつてはテロリストとして活動し、今や落ちぶれて愛犬たちとともに日銭をもらって殺しを請け負うホームレスの殺し屋。

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 その殺し屋には。かつて捨てた家族がいて、今や立派に成長した娘に断ち切れない思いを抱いている。介抱の甲斐もあって、重傷を負っていたオクタビオの飼い犬も回復の兆しを見せ始めるのだが、その矢先・・。

 いかがでしたでしょう?人間と犬たちが、織り成すエピソード。交通事故を軸として、縦糸に人種問題を据えて、人間模様を描く映画は、アメリカ映画でも、そのものずばりの「クラッシュ」があった。しかし、ここには、アメリカ映画にはない、肌で直接感じるような激烈なまでの剥き出しの感情がある。メキシカン・テイストといえばそれまでだが、このデビュー作にフルスロットルでぶち込んだイニャリトゥの思いの丈が、3Dの映像のように鼻先まで突きつけられているような生々しさが、ひしひしと感じられるのもまた事実。

 この後に、「21グラム」、「バベル」と続々とキャリアを積み上げ、オスカーの常連監督として、負け犬どころか立派なセレブの地位にまで上り詰めたイニャリトゥだけど、どれもこれもどこか、差障りがなくて、このデビュー作の、触れば火傷しそうなほどの激情に欠いてしまっているような気がしてしょうがないのは、この負け犬だけか。

 所詮、負け犬の遠吠えでしかないのでしょうが、無理とは分かっていても、また本作ほどに強烈な作品を作って欲しいものですね~