負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の悲しき遺伝子のソナタ「ガタカ」

これはまさに、SF版の「太陽がいっぱい」。切ないナイマンの音楽がいつまでも心に残る傑作

(評価 78点)

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人間は生まれついての宿命や運命には逆らえない。しかし、その宿命が人間のシステムで定められたものなら覆すことも不可能ではない。人間が夢を見るという行為だけはシステムでも決して止めることが出来ないのだから。

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「ヴァリッド(適合)」「インヴァリッド(不適合)」。出生したその人間の遺伝子情報に基づき、機械から冷徹に放たれるその診断だけで、人間のその後の人生のルートが決められる。実際にある格差社会を絶妙に揶揄した、寓話的テイストのSF映画である本作は、海を泳ぐ二人の兄弟の姿から始まる。

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 恐れ知らずにどんどん遠洋へと泳いでいく弟アントン。裏腹に、恐怖心からそれ以上泳げず引き返してしまう兄のヴィンセント(イーサン・ホーク)。ヴィンセントは、医療システムから不適合と診断されてしまった人間なのだ。しかし、ヴィンセントには決して捨てきれない夢があった。適合者だけにその資格が与えられる宇宙飛行士になることだった。

 マイケル・ナイマンの哀しくもたおやかなメロディーが奏でるこのシンボリックな海でのシーンにまず鷲掴みにされるのはこの負け犬だけではないはずだ。

 本作を見るといつも想起するのは、あのサスペンスの超名作「太陽がいっぱい」。貧困階級のリプリーアラン・ドロン)が親友でもある富豪の息子のフィリップとのクルーズ中、フィリップを殺害し、フィリップに成り替わる。

 本作のヴィンセントが宇宙飛行士への夢を実現するために最後に取った手段は、適合者の爪や毛髪、それに尿といった肉体的な証跡を手に入れ遺伝子診断をゴマかすこと。ヴィンセントに自らの肉体の証跡を提供するのは事故で身障者となってしまったモロー(ジュード・ロウ)だった。

 かくしてモローに成り替わり、遺伝子診断をパスして夢への入場門たる宇宙局「ガタカ」の一員となったヴィンセントは、正体暴露のいくつもの危機を乗り越えながら夢の実現を目指すのだが。

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 とにかく、アヴァンティの車や実在のアイテムをそのまま用いて未来世界を造型するゴダールの「アルファヴイル」のようなビジュアルが新鮮。それに遺伝子診断が尿検査といったレトロな感覚が加わって唯一無二といっていい世界観が構築されている。

 それに加えてガタカで発生する殺人事件を発端に進行し、ヴィンセントにさまざまな危機が降りかかるストーリーもサスペンスフル。更には、そもそも兄弟の物語であることをちゃんと踏まえ、エンディングではドンデン返しに近いサプライズまである脚本も秀逸だ。

 モローと身長が異なるため、足の骨を寸断し再接合までして宇宙飛行士への夢にすがって生きるしかないヴィンセントがとてつもなく切ない。

 イントロのタイトルバックで音を響かせて床に落ちていく巨大な物体が人間の爪であることが中盤で分かって来る構成も含め、これがデビュー作の監督アンドリュー・ニコルの手腕が実に冴えている。

 「太陽がいっぱい」ではリプリーの犯罪が暴露、末路を迎えるが、本作はシックな黒のスーツを着たヴィンセントが念願の宇宙船内で、満天の星に囲まれながらうっすらと笑顔を浮かべるところで終わる。

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 いくら努力しても、一向に夢の目標が近付いてこない、それが実現できない根本の要因が、自分ではどうにもならない運や、他人の気まぐれな評価だったりする。そんな口惜しい思いをしながら、日々を生きている人はたくさんいるのではないでしょうか。

 ヴィンセントに自らを投影し息を詰めて見守るうち、いつの間にか作品そのものに魅了されハマってしまっている。まさにそんなグッドな作品です。