負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬の超新星のビッグバン・セオリー「激突!」

どんなに才能に溢れた人間でも、一生のうちに一度しか出来ない離れ業がある。スピルバーグという天才の人生における離れ業がまさにこの作品だった。

(評価 95点)

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超新星ともいうべき才能が、映画の世界に起こしたビッグバンの輝きは今も百万光年の彼方まで輝き続けている。

 「Amblin」という短編映画が認められ、映画業界に雇われ監督の一人としてもぐりこんだ神童がいた。1971年のある日のこと、当時の神童の秘書だったノーラ・タイソンという女性が、あなたにピッタリの素材があるわ、と恥ずかしげに一冊の雑誌を差し出した。男性誌として有名な「Playboy」に掲載されていた短編小説を読んだ神童は、これぞ自分にピッタリだ、とばかりに膝を打った。そして、その瞬間こそが、とてつもない伝説の始まりだった。その神童の名はスティーヴン・スピルバーグ

 その後に神童がたどった歩みなど誰でも知っている。神童は、たちまち天才というレーベルを授かり、映画業界で不動の地位を築き上げながら、半世紀過ぎようとする今でも、映画小僧のように精力的に映画を作っている。しかし、そんな天才でももう二度と出来ないことがある。恐れ知らずの若かりし頃に起こしてのけたビッグバンの大爆発だ。

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 本作を初めて見たのは小学生の頃。カー・アクションと爆発のシーンさえあれば満足の鼻たれ小僧の頃だった。そんな小僧が、いわば最初から最後まで丸ごとカー・アクションの本作に興奮しないわけがない。そして、それから何十年間、この「激突!」を見続けている。それなのに今でも見るたびに微塵も冷めやらない興奮を覚えるうちに、本作に畏敬の念まで覚えてきた。かつてマンガ家の手塚治虫が、クリエイターはもっともシンプルな設定の作品をどこかで求め続けている、その点「激突!」はクリエイターの究極の夢のような作品だと称していた。

 ただ獰猛なトラックと乗用車が、原始時代のマンモスと人間のケンカよろしく一本道を追っかけっこするだけの単純な設定の傑作映画が誕生するビッグバンが起きた時に、宇宙では、一体何が起こっていたのだろうか。

 TVドラマの監督というポストにウンザリしていたスピルバーグは本作を、TVムービーではなく、是非、劇場用の映画にということで、当時の重役のシド・シャインバーグに売り込みを仕掛ける。シャインバーグがその交換条件に提示したのは、主役の小市民的キャラクターの代表のようなデビッド・マンに大スターの出演を取り付けること、というものだった。しかし、スピルバーグは、シャインバーグがその時、名指ししたグレゴリー・ペックの獲得に失敗し、劇場用映画の監督の夢はたちまち頓挫。企画そのものがABCの副社長バリー・ディラーの元に戻されるが、企画のドラマ化自体は即決し、スピルバーグの演出手腕を見込んでいたプロデューサーのジョージ・エクスタインによってスピルバーグを監督に据えることも認められる。

 こうして、本作の製作は、スタッフ・プロデューサーにエクスタインを配し、30万ドルの予算でスタートする。主役として、スタジオからお仕着せのようにあてがわれたセカンド・クラスの俳優デニス・ウィーバーにもスピルバーグは満足していた。オーソン・ウェルズの「黒い罠」に端役として出ていたウィーバーのニューロティックな演技が、本作のメソッドにピッタリだという目算があったからだった。

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 ただし、与えられた撮影期間は、わずか10日。失敗が許されない状況なら、取るべき手段は自ずと決まっている。スタジオに車のパーツを持ち込み、車内はセットで撮影し、背景はスクリーンプロセスで合成する。そうすればスケジュール上の制約は何とかクリア出来る。しかし、神童は、とんでもないプランを選択する。全編オールロケーションだ。屋外ロケだと、時間的な手間も、撮影に関する技術的な難しさも比べ物にならないくらい倍増する。しかし、スピルバーグは敢えてこの壁に挑戦するのだ。

 ロケは主にロサンゼルス北部のモハベ砂漠とも隣接する、ランカスターとパームデール近辺で行われた。スピルバーグはベテランのスタント・ドライバーの助けも得て、たった10日という撮影を効率的に行う手段として、ストーリー・ボードと共に、俯瞰で全ての車の移動とプロットの流れを見渡せる巨大な一枚もののマップ図を考案する。モーテルの壁に貼ったこのマップ図によって、スピルバーグは10日という殺人的なスケジュールの消化を、その若さと知恵で乗り切った。その情熱の爆発は、まさにビッグバンそのものだった。しかし、そのビッグバンには、こうした緻密で周到な計算もあったのだ。

 かくして、ラッシュ試写のフィルム手配の都合で、最終的にはスケジュールは3日だけ超過したが、撮影が終わった3週間後に無事オン・エアされ、作品はTVだけにとどまらず大スクリーンにまで飛び火することになるのだ。

 今見てもこの超絶的な傑作たる本作が、わずか13日という撮影期間で撮られた作品だとはとても思えない。まさに神業だ。何故なら、スピルバーグ本人もDVDのコメンタリーでそれは認めている。

 そして、もう一つ、スピルバーグは素敵なコメントを寄せている。

 「あんな映画を、たった13日で撮りあげるなんて、もう二度と出来ない。でも、今の僕は、新しい家族も友人もいる。そのおかげで「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」を作ることが出来ている」

 そう、人間は年を取るごとに変わっていく。クリエイターも作品と共に変わっていく。スピルバーグの映画作りに対する真摯な姿勢がうかがえる、素敵な言葉だと思うのですよね~