列車のタダ乗りのためだけに激闘する男たち?そんな企画が通った上に、傑作映画が誕生するそんな夢のような時代が存在した。
(評価 90点)
本作の存在を知ったのは、映画雑誌に載っていたアーネスト・ボーグナインのシャックとリー・マービンのエースが血みどろで取っ組み合いをするたった一枚のスチル写真だった。映画の内容そのものについてのキャプションらしきものも特に無く、どんな映画なのかはその写真だけでは伺いしれなかった。
実際の映画を見ることが出来たのは確か東京12chの「木曜映画劇場」だったと思う。見始めるとムクムクとある思いが湧き上がってきた「まさかこの映画、列車の無賃乗車のネタだけで引っ張るつもりじゃねえだろうな?」しかし、そんなことなど有り得ないと我ながらそんな考えは一蹴したのを覚えている。
ところが、この映画はやってくれたのだ。ただひたすら全米各地を無賃乗車で渡り歩くホーボー界の英雄エース(リー・マービン)とそんなホーボーたちから恐れられている鬼車掌のシャック(アーネスト・ボーグナイン)が男と男の意地をかけて列車のタダ乗りというアホらしいとしかいいようのないことをめぐって戦い、最後の最後まで本当にそのネタだけで引っ張るだけでなく、ものの見事にノックアウトしてくれた。そして、こんな内容だけで映画が成立するという新たな驚きを自分に与えてくれたのだ。
映画のストーリーなどあってないようなもの、エースは売り出し中のホーボーと自認する若輩者シガレット(キース・キャラダイン)と知り合う。エースは少しは見所がありそうだとシガレットに無賃乗車のイロハやホーボーが何たるかを手ほどきしてやる。ところが、このシガレットが食えない奴でエースも手を焼くばかり。最後にエースが19号列車のタダ乗りを賭けてシャックに宣戦布告した運命のタダ乗りバトルでもこのシガレットは、師匠のエースを平然と裏切るようなことまでやってのける。だが、それなのにそのシガレットがシャックに追い詰められ窮地に陥った時、エースは決然と現れ、シガレットを救ってやるのだ。そしていよいよエースとシャックとの運命の一対一の決闘が始まる。
このクライマックスのエースの漢気に血が沸騰するような興奮を覚えるのはこの負け犬だけだろうか。たかが男、されど男。そんな男二人が貨物車両の荷台の上で鎖や木材で格闘するこのシーンのエキサイティングなこと。そして決着がつくのはエースがいよいよ手にしたオノの一撃だった。
オノを食らってシャックが雄叫びを上げるカットは、初めて見た時からその後今に至るまで何十年も自分の脳裏に刻み付けられることになる。
アメリカ映画は、さまざまなすぐれた技術を持っているが、かねてからアメリカ映画の強みの最たるものはトリミングだと思っている。つまり描きたいもの以外は潔くバッサリと切り捨てる技術だ。本作の場合、男たちのタダ乗り争い以外の無駄なものは一切、切り捨てられている。それがシンボリックに表れているのが本作には実に女性という存在がまったくといっていいほど出てこないことだ。唯一、セリフらしきものがある女性が、シガレットが師匠のエースと共にしがみついていた列車の屋根から降りるときに窓から覗き見たワキ毛を剃る女性(フェミニストの人たちが見たら怒るほどのイヤミすら感じられる描写)であることからも、それが意図したものであることは明らかだ。
シャックを列車から突き落とし、勝利を収めたエースは、シガレットをもぶん投げる。河に落ちたシガレットに向かってエースは、お前にホーボーの資格はない、二度と線路に近付くなと啖呵を切る。そして、その声と共にエースを乗せた列車が遠ざかっていくところで映画は終わるのだ。
何度見ても、胸がすくだけでは収まらない、熱い高揚感に満たされる、何回好きだといっても言い足りない、とてつもなく好きな映画なのです。
とはいえ、やっぱりフェミニストからは評判悪そうな映画だよな~