業という炎に包まれ火車はただどこまでもひた走る。最後に鉄槌が振り下ろされる、運命のその時まで(評価 80点)
日本の推理作家、宮部みゆきの代表作「火車」を韓国の女性監督ビョン・ヨンジュが映画化した本作。サスペンスジャンルを無二の得意とする韓国映画が、その特有のテンポの良さ、そして人間のウェットな部分を巧みに掬い取って見せる力量を存分に発揮して、冒頭からエンディングまで一気呵成に見せてくれる文句なしの快作になっている。
負け犬は本作を二度見ているが、二度目の方がポインターとなるキャラクターに感情移入し、不覚にも泣けた。
はじまりはドライブするカップルが屈託のない会話しているさりげないシーン。
カップルは結婚を1ケ月後に控えたムンホ(イ・ソンギ)とソニョン(キム・ミニ)。ムンホは獣医師のクリニックの院長を務めるブルジョワの家系で、ソニョンは如何にも小市民といった風情の女の子。そんな二人が車内で結婚間近なカップルにありがちな会話をしている。
ムンホの実家に結婚の報告がてら帰省しようとしていた二人だが、たまたま立ち寄ったハイウェイのドライブインでムンホがソニョンを車中に残し、コーヒーを買いに行く。その時、車中にいるソニョンの携帯に一本の着信が入る。なにげにその着信を取るソニョン。そこからこの映画はまるで炎をまとった火車のように走り出す。
車に戻ったムンホはソニョンがいなくなっていることに気づき、慌てて探すが、ソニョンは、まるで煙のように何処へともなく消えていた。
冒頭、いきなり恋人が失踪する、というシチュエーションの映画には、オランダ映画の衝撃作「ザ・バニシング 消失」があった。いずれも不条理な恋人の失踪というシチュエーションに出くわした男が、井戸の淵から暗くて得体の知れないその底を知りたいという欲望に取りつかれ、真相を追い求めることになるが、本作のムンホも、人間が真実を知りたいという本能の赴くまま、失踪したソニョンの行方を追い求める。
そのムンホというキャラクターを演ずるイ・ソンギのいかにもブルジョワ然としたナイーブな個性が実にはまっている。
何故、ソニョンはいきなり失踪したのか。そして、調べるうち、ソニョンが実は本名ではなく、他人の名前だったことも明らかになってくる。
一体、信じきっていたはずの恋人は何者なのか?
イ・ソンギが唇をふるわせ、目を泳がせ、テンパって喚きながら、ひたすら恋人の真相を追い求めていくそのシンプルな構成は、やたらと重層的な伏線を張りたがる韓国映画とは一線を画して、昔の日本映画にも似た、ストレートなサスペンに満ちている。
そして、この手の映画に欠かせないのが、主役を助けるサイドキックの存在だ。孤立無援のムンホは、親戚からも落ちこぼれ扱いされている元刑事の従兄に救いを求める。
かくして本作は、この元刑事のジョングン(チョ・ソンハ)が動き出すことで、一層、ヒートアップして面白さが増すところが実に見どころ。
ジョングンがプロの技量を発揮し、ソニョンを追ううち、ソニョンが一線を越えたモンスターのような犯罪者であることが明らかになってくる。そして、ムンホに、もうソニョンには近づくなと忠告するのだが・・・。
タイトルの火車とは、古来より伝承されてきた妖怪のこと。
わずかな手がかりを辿っては絶たれ、また手がかりを探す。そうやってひたすら追い求めた恋人が出没する場所をとうとう突き止め、クライマックスで、冒頭のシーン以来の再開を果たし、ムンホとソニョンが1フレームに収まるシーンにはくぎ付けになる。
だが、恋人はすでに人間を自らの手で殺めた妖怪そのものの別の生き物同然になっているのだ。
ここで、ソニョンがムンホを身じろぎもせず見つめ不敵にうっすらと笑う。このシーンには凄みがある。その笑いは人間としての一線を越えて鬼となり、もう二度と人間には戻れなくなった悲しみの笑いだからだ。そして、その瞬間、ソニョンの頬を伝って一筋の涙が流れ落ちる時、思わずこちらまで涙する。
結局、本作を一言で言うなら人間の業の悲しさのような気がする。
恋人をただひたすら追い続けるムンホも、真実を求めたがる人間の業なら、鬼と化したソニョンも、そもそもの発端は、貧困という境遇から来る金への執着という人間の業に他ならないのだから。おそらく負け犬は、そんな人間の業に、こわいもの見たさで触れたくなって、本作をいつかまた見るに違いない。
そんな本作、実は原作とは結末が異なるらしい。などと聞けば俄然、原作も読みたくなってくる。とはいえ、この宮部みゆきという作家さん。確かに文壇を代表する作家さんには違いないのだが、とにかくどれを読んでもやたらと無駄に長い。まるでページ稼ぎをしているだけとも思えるのはこの負け犬だけでしょうか。
いずれにせよ、売れている人をやたらとやっかみ半分に悪口言うのも、すっかり負け犬と化してしまった人間の業というやつなのでしょうけどね~