負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬が何度も人生をリセットするけど、その度に失敗した挙句とうとう~した件「バタフライエフェクト」

あの日きみは何をした?エンディングが実に切ない人生リセットサスペンス    

(評価 78点)

忘れたくても忘れられないツラい過去。そして、そんな過去のせいでこんな自分になってしまった。そんな忸怩たる思いを抱いている人は意外と多いのではないでしょうか。そんな過去のせいで人生の負け犬に成り果てた。だとすればそんな過去を変えて人生をリセットしたい。本作はそんな願望を具現化した男の切ないタイムスリップサスペンスの秀作。

 

 開巻、誰かに追われているエヴァン(アシュトン・カッチャー)が逃げ込んだ部屋で、引っ掴んだ紙に文章を必死で書き始める。エヴァンは一体、誰に追われているのか?そして、何故、そんな緊迫したシチュエーションで文章を書き始めたのか?そんなシーンから本作は幕を開ける。

 

 実はエヴァンには、自分が書いた日記を読むと、日記に書かれたイベントのその時代にタイムスリップ出来るという特殊な能力があった。そしてまたエヴァンはそうした人生のターニングポイントとなるようなイベントの最中に決まって一時的に記憶を喪失してしまうブランクアウトという一種の病気を抱えていて、タイムスリップするたびにそのターニングポイントで人生をリセットする羽目になる。

 ・・という具合に、本作はそのイントロダクションとなる設定が、少々どころか、かなりややこしい。現に、この負け犬も初見の際は、開巻10分からして、作品になかなかついていけず、それに本編中の過去のイベントが何だか紋切り型ですんなり入り込めず、いささか期待外れで終わった次第。ところが、何だかんだで、その後も、本作のことを思い出し、二度三度と見返すうちに本作が秀作であることに気が付いたという作品でもある。

 本作におけるエヴァンの人生を変えた大きなターニングポイントは二つある。一つは幼馴染のケイリーの家に遊びに行った際、ケイリーの父親から児童ポルノまがいの行為を強要されたこと。そして二つ目が、同じく幼馴染のケイリーと、その兄トミー、そして友達のレニーとの四人で、近所の家のメールボックスに悪ふざけがこうじて、ダイナマイトを仕掛けた時のこと。

 このダイナマイトの一件の最中、エヴァンは例の記憶喪失のブラックアウトに見舞われ、この時、何が起こったのかは観客にも最初は分からない。エヴァンが何度も繰り返すタイムスリップの過程で事の次第が明かされていく過程はスリリングだ。

 本作は、結局、エヴァンがケイリーに抱く愛情と、ケイリーの凶暴な兄のトミーとの因縁。そしてレニーとの友情といった幼馴染四人の人生リセットの物語なのだが、その物語構造の骨格が明らかになる1時間後あたりから俄然、吸引力を増してくる。

 

 エヴァンは自分自身のトラウマの払拭と、実父から虐待を受けている、愛するケイリーの境遇を少しでも良くしたいがために何度もリセットを繰り返す。しかし、事はそううまくはいかない。リセットした人生の末路で必ず誰かに不幸が生じている。そのためにその不幸を修繕しようとまたリセットを繰り返す。この人生のテストケースのバリエーションが実に多彩できめが細かいのも本作の見どころの一つ。

 そしてエヴァンは、そのエラーの原因が、人生のリセットというイベントが生ずるままに、ただ何の決断もせずに身を任せていただけであることに気づく。いよいよ最後にエヴァンはリセットするパラダイムを自分の意思で決断する。だが、その決断はあまりにも切ないものだった。

 最後にエヴァンのこの決断をシンボリックに表現する本作のエンディングは実に秀逸。流れるエンドクレジットを見つめながら誰もが自分自身の人生を回想してこんな事を自問自答するのではないでしょうか。

 受験や就職、そして結婚に離婚、人生には色々な局面があるけれど、あの日きみは何をしたのか?そして、その時、一体どんな決断を下せば良かったのか?

 思えば今の映画業界は右を見ても左を見てもマーベルやDCのヒーロー物とアニメのフランチャイズばかり。オリジナルな脚本の映画にはなかなかお目にかかることもない。オリジナリティのある脚本で唸らせる本作はそれだけでも価値がある。そして驚くのは、この複雑な脚本の映画が公開時にパブリックに広く受け入れられ大ヒットしたこと。

 もしも、この時、本作が大コケしていたら・・というifを、つい考えたくなるのも本作のバタフライエフェクト効果かもしれませんね~