負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬人生の先にあるのは消失点「バニシング・ポイント」

白いダッジ・チャレンジャーが砂漠に描いたタイヤの跡は、セブンティーズの不滅のモニュメント

(評価 82点)

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映画は始まりから終わりまで、ただひたすらに突っ走る。そしてラストに炸裂して燃え尽きる。それ以外、何も足さない、何も描かない。ただ走るだけで充分だ!ドラマなんか必要ねえ!そのふてぶてしさこそが誰の人生にもある勲章のようなものかもしれない。

 「バニシング・ポイント」という作品がニュー・シネマの代表作であることだけは知っていた。しかし、不思議とビデオ全盛期にもその作品にもめぐり合うことが出来ず、見たのは早や21世紀に突入して大分と経ってからだった。

 代表作とはいえ、「イージー・ライダー」ほどメジャーでもなく、最初はさして期待もしなかった。そもそも映画の内容だけは、ノン・ストーリーでただ突っ走って爆死するだけの映画であることが分かっていたからでもあった。

 しかし、DVDが遂にリリーズされ実際の作品を見るとまるで印象が違った。「イージー・ライダー」系列の映像、音楽重視のニュー・シネマな作品には違いない。しかし、想像以上にそのシンプルな内容にストーリー性があった。

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 70年代というイメージの一つのシンボルともなった白いダッジ・チャレンジャー。本作の主人公コワルスキーがその車を陸送する過程で出会うのは、砂漠に迷い込んだコワルスキーに助けの手をさしのべる、ガラガラヘビを捕まえてはヒッピーのコミューンに売って生計を立てている老人や、素っ裸で750ccのオートバイを乗り回す金髪の女などの様々なアウトローな人々だ。その点では確かに「イージー・ライダー」をなぞっている。

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 しかし、本作にドラマ的な厚みがあるのは、疾走のプロセスごとに、コワルスキーの過去がインサートされること。元モトクロスのライダーだった過去。そしてヒッピーや無軌道なバイカーとは対照的な警官だった過去。更には同僚のヒッピーの女の子へのセクハラを見かねて制止した過去。フラッシュバックされるそうした過去によってコワルスキーのキャラクターが明らかになっていく。

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 ただスーパーソウルがナレーションするイカすロックに乗って疾走するだけの映画が、コワルスキーが体制側の人間であった過去を明かすことで、最後の消失点に向かって徐々に厚みを増していく構造になっている。

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 最初はデンバーからカリフォルニアまでの15時間以内に陸送できるかという賭けに過ぎなかったライディングが、コワルスキーの自由への逃走に豹変していく。最後は、まるで定められた儀式のように、南部の住民たちが見守る中、砂漠の陽炎にゆらぐダッジ・チャレンジャーがブルドーザーのバリケードにすがすがしく突っ込んで爆発する。だが、それは自死といったネガティブなものではなく一つの祝祭にも見えてくる。

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 ダッジ・チャレンジャーはバニシング・ポイントに到達し、消失したのではない。その一点を突き抜けて永遠不滅の存在となった。その証拠に、それから数十年もの時を超え、本作は、そのDNAを受け継ぐもう一つの傑作を生みだした。

 その映画の名は「デス・プルーフ」。負け犬同様のコアなセブンティーズの血が通っている映画小僧タランティーノは、マゾとサイコパスの混血のような破滅的なスタントマンマイクとカー・チェイスを繰り広げる女の子の一人に、「バニシング・ポイント」とダッジ・チャレンジャーへの熱烈な愛情をその作品で臆面もなく長々と語らせてみせた。それどころかクライマックスでスタントマンマイクと一騎打ちのデスチェイスを演ずる車こそ他でもないそのダッジ・チャレンジャーなのだ。

 思えば「デス・プルーフ」もただ女の子が延々と長々とダベるだけのドラマツルギーのセオリーなど完全に無視した映画だった。しかし、それなのに爆発的なほどに面白いという超絶的な所業をタランティーノは「デス・プルーフ」でやってのけた。

 セオリーというものは無視するためにある。それを破壊しなければ新たなモノなど生み出し得ない。

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 バニシング・ポイントの境界を越え、永遠の存在となったコワルスキーとダッジ・チャレンジャーは、砂漠に終わることなく続くタイヤの軌跡を描きながら今もまだ我々に語り続ける。

 これを前に誰もが口にする言葉は一言しかない「サイコーだぜ!」