負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のスパイの活力源はブードゥー教とブラックパワー!「007死ぬのは奴らだ」

ショーン・コネリーのカムバックも束の間、頓挫も囁かれていた007を救ったのは、ソフィスティケートな英国紳士とブラックエクスプロイテーションとの痛快なミスマッチだった。(評価 76点)

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 二代目で大失敗し、とりあえず渋って嫌がる初代を引っ張り出しても結局その場限り、となればもう袋小路。しかし、そんな窮地を救ったのが、いつもユーモアを絶やさないイングリッシュマンとブラックムービーの一見、有り得ないようなミスマッチの妙味だった。

 そんなお助けマンとなったのは、三代目ジェームズ・ボンドことロジャー・ムーア。まさに時は70年代初頭、ニューシネマの洗礼が吹き荒れる中、黄金の60年代にボックス・オフィスを席巻していたのも過去の栄光とばかりに、興行成績の雲行きが怪しくなり始めた007シリーズ。新たな革袋を探しあぐねていたプロデューサーたちが目を付けたのが、当時、旋風を巻き起こしていた黒人系の俳優が活躍する安手のブラックエクスプロイテーションだった。

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 元は、ショーン・コネリー作品にも度々、登場していたエキゾチックな南部の風景。それに、監督のガイ・ハミルトンや脚本家のトム・マンキーウィッツらが、南部のミシシッピーそのものを舞台にすることを思いついた。そして、ここに英国スパイと米国南部のテイストがブレンドされた新たなボンド映画が誕生した。

 昔一度か二度見た限りで結構、気になっていた本作。改めてみると、数々のミスマッチが、逆に絶妙なマッチングの魅力を発揮して魅力的なエンタメになっていることを再発見した。

 まず何はなくともジェームズ・ボンド。新たなマーケットを開拓すべくアメリカナイズ路線で、ボンド役には当初バート・レイノルズが最有力候補に挙がっていた。しかし、英国人でないボンドなんてとばかりに一蹴されて、順当に候補にあがったのが、ソフトなタッチのロジャー・ムーア。ムーアが行くところ、常にユーモアとギャグ。いつもソフトな笑いの雰囲気を漂わすムーアが何処かスラップスティイクな007の世界観と今思えば実に良くマッチしている。

 それと正反対に、謎の黒幕カナンガ(ヤフェット・コットー)をはじめ、ヴイランたちには賑やかに、当時のブラックエクスプロイテーション映画の黒人俳優たちがわんさか登場し、ミスマッチゆえの化学変化を画面に炸裂させているのが実に面白い。

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 ブードゥーの原色のカラー、浴室に忍び寄る色鮮やかな毒蛇。新たな革袋に盛り込まれた鮮やかな色の数々が何より新鮮。そして、素晴らしいのが、中盤のクライマックスでの、水上のみならず陸上まで突っ走り豪快なジャンプまでして驚かせてくれるボートによる大チェイスシーン。更にこれらを彩るのがシリーズ随一と言っていい、ポール・マッカトニーによる滅茶苦茶にイカすテーマ曲だから文句は無い。

 クライマックスのブードゥーの儀式での活劇はまさにインディ・ジョーンズそのもの(インディの方がマネしたんだろうけど)。それにお約束の秘密基地での格闘もちゃんとある。

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 ボーナスマテリアルばりに、義手を付けた悪漢との列車のコンパートメントでのバトルというエピローグまであって、エンディングには、ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」を思わせる余韻まであるからこの手の映画ファンには堪らないところ。

 何よりもムーアの茶目っ気たっぷりのユーモアが全編に横溢しているのがいい。やっぱりジェームズ・ボンドはこれでなきゃ、と思わせてくれるものが本作には確かにある。

 本作、大見せ場のボートチェイスをはじめ、ワニを踏んずけてピョンピョンと河を渡るスタントシーン等、とにかくNGとトラブルの連続だったらしい。あまりのトラブル続きに、スタッフたちがブードゥーの呪いだと言い出す始末。しかし、そんな苦労を乗り越えようやく完成したアクションの数々は格別の見応えがある。

 今更、「死ぬのは奴らだ~」なんて言わずに久々にどうでしょう?