負け犬的映画偏愛録

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負け犬の絶賛と罵倒の悲しきバラード「刑事ジョン・ブック目撃者」

都会の刑事が、ある日突然、文明を拒否し、自給自足の生活を送るアーミッシュのコミュニティで暮らしたら?そんなアイデアと、マイルドな文明批判とを見事にエンターティメントに結実させた傑作映画

(評価 80点) 

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オーストラリアの俊英ピーター・ウィアーの一大出世作。誰もが褒めちぎり、大絶賛したのも、マイルドで当り障りのない文明批判が功を奏したのか。しかし、その反動は、あまりにも大きかった。

 もしも刑事がマフィアに化けて潜入捜査をしたら、という当たり前のものから、潜入捜査目的で、もしも刑事がサーファーになったら、果ては、幼稚園の先生になったらという、実にぶっ飛んだアイデアに至るまで。刑事にまつわるアイデア映画はゴマンとある。しかし、感動するほどの、エモーショナルな作品に成り得ている作品は僅かしかない。「刑事ジョン・ブック目撃者」は、その高きハードルを越えることが出来た、きわめて稀有な作品といえる。

 本作が公開された時の、メディアこぞっての絶賛ぶりは、未だに憶えている。そして、ほどなくして見た作品は、その熱狂的な賛辞に違わず、素晴らしいものだった。とにかく本作で優れているのは、まず何よりもその脚本だろう。

 刑事が、ある日を境に、アーミッシュの暮らしをする羽目になったらという発想は、面白いというより、あまりにも奇抜過ぎて、物語には成り難い。おそらく誰もがまずはそう思うはず。ところが、本作は、導入部から、何の違和感もなく、プロットを展開し、いとも容易く、ごく自然にその奇抜なはずの物語を実にスムーズに構築してみせる。そして、映画の中盤に差し掛かる頃には、有り得ないはずの設定に、何の違和感も覚えず、その世界にのめり込み、すっかり感情移入すら覚えている自分に少なからず驚くことになる。

 ペンシルバニア州のとあるアーミッシュの村で暮らすレイチェル(ケリー・マクギリス)は、夫を亡くしたばかりの失意を癒そうと、息子のサミュエル(ルーカス・ハース)を連れて都会のボルチモアで暮らす親族に会いに行く。冒頭から、アーミッシュという異色の人々にスポットを当てながらも、受け手が実にすんなり映画の世界に入っていけるのも、このサミュエルのおかげといっていい。クリクリとした目も可愛らしい一目で愛着を抱いてしまうそのルックス。そして、いつのまにか。そのサミュエルの目を通して、サミュエル自身が感じているドキドキ感を、自分も覚えてしまっていることに気付く。サミュエルが鼻面をくっつけて、一心不乱に見つめる列車の窓外に、気球が見えるシーンが実に効果的。

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 そして、この後に続く、二人が駅に着き、サミュエルが駅のトイレで、麻薬絡みの殺人を目撃してしまい、たちまちサスペンスフルな展開に移行する流れも見事。直後、刑事ものの定番通りにハリソン・フォードのジョン・ブックが登場した時点で、何故か安心もし、どっぷりと本作にのめり込んでしまう人は、案外。多いのではないだろうか。現に負け犬は、もうこの時点で、すっかり本作にハートを奪われ、完全に見入ってしまっていた。

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 本当に久しぶりに本作を見返して、感心もし、興味深くも思ったのが、実にこの点だった。本作は、アマゾンの未接触部族のようなアーミッシュという、きわめてレアな題材を扱って、一見、文明批判という体裁をとりながら、そのフォーマット自体は、きわめてオーソドックスな刑事ものなのだ。

 サミュエルが目撃した男が、ギャングなどではなく、警察の麻薬課の人間だったことを知ったブックが、そのことを上司のシェイファーに打ち明けた途端、狙われる。そして、傷ついた体で、アーミッシュの村にかくまわれることになる。以降、本作は、都会の刑事サスペンスから一転して、田舎のドラマとなっていくが、それなのに退屈するどころか、一層、面白さが倍増していくのも、予めジャンル映画として踏まえた刑事物のフォーマットとのミスマッチ感が根底にあるからのような気がする。

 最初は異分子だったブックが、村人に次第に溶け込み、コミュニティの一員になっていく展開も定番、そしてお約束通り、レイチェルと愛し合う関係になっていくのもまた定番中の定番、しかし、それでも鼻白むことなく素直に感動出来るのが逆に不思議なところでもある。

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 ブックの居所を掴んだシェイファーが手下を引き連れて乗り込んで来るクライマックスなど、あからさまな西部劇そのもの。ここで、シェイファーがあっさり降参してしまう、とんでもない程のご都合主義も、西部劇であれば違和感もさしてない。

 そして、何故かあっさりと一件落着し、レイチェルを残して後ろ髪を引かれながら、去っていくブックを捉えたエンディングは、完全に「シェーン」のエンディングと重複している。

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 つまるところ、この映画を見終わって、思い返してみると、ジャンルものとしての刑事映画とウェスタンから一歩たりとも逸脱していないということが、実に良く分かる。逆に言えば、感動したのは、あくまでもジャンルものとしてのカタルシスの部分であって、アーミッシュでは決してない。しかし、公開当時、批評家、観客双方とも、まるで文明を拒否したアーミッシュそのものにスポットを当てて大絶賛していたような気がしてならない。本作では、何も文明を拒否することを声高に訴えてなどしていない。ただ、間接的にアーミッシュを登場させて、あくまでもマイルドな口当たりでそれを匂わせているだけなのだ。逆を言えば、だからこそ、大絶賛されたに違いない。

 その証拠と言ってもいい実例が存在する。本作で一躍トップ監督に躍り出たピーター・ウィアーが手掛けた次回作「モスキート・コースト」である。

 本作と同じくハリソン・フォードが主演したその作品ではフォード演ずる独善的な父親が、まさに文明を拒否して理想のコミュニティを目指し、中米に赴き、現地で製氷機を作るという壮大な計画に乗り出すさまが描かれる。

 期待の監督の次回作として一身に注目を集めたこの作品は、かつてない程と言っていい程の酷評の集中砲火を浴びた。その酷評ぶりには、罵倒といってもいいほどの激しさすら滲んでいた。あのサヨナラおじさんで有名な映画評論家の淀川長治氏も、前作の「刑事ジョン・ブック」は、これ以上ない程、大絶賛していたのに、この「モスキート・コースト」は、まるで手の平を返したかのように、徹底して酷評していたのを今でも憶えている。

 しかし、負け犬的にいえばこの「モスキート・コースト」は全然、悪くない映画だ。それどころか、フェイバリットな作品で、今でも見続けている映画だ。だが、両者を見比べると、明らかに「モスキート・コースト」には、独善的な父親のキャラクターもあいまって、ある種のトゲがある。

 思えば、そのトゲが、批評家、観客の双方の琴線に触れてしまったのかもしれない。言いかえればそれは、誰も映画ごときに文明批判を叫ばれたくないということにもなる。俊英のピーター・ウィアーも、この「モスキート・コースト」が仇になって失速してしまったのが惜しいところ。

 負け犬も、そもそも本も紙でしか読まないし、スマホは持っているけれど、必要なとき以外、それを見るという習慣がまったく無い。だから、電車に乗ったら、どこか文明に取り残されているような気がいつもしているのです。しかし、文明の利器といったって、電車でスマホを見ている人は、例外なく全員ゲームをしているだけなので、スマホが文明の利器などとは、これっぽっちも思っていない・・・などということを声高に叫んじゃったら、嫌われるのでしょうね、きっと。