負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の王様の身代金「天国と地獄」

黒澤明の代表作の一本でもあり、格差社会を正面から捉えた犯罪サスペンスの傑作

(評価 85点)

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緊密なスクリプト、脚本の妙味、警察サスペンスの醍醐味が存分に堪能できる今なお不滅の傑作。ハイコントラストのモノクロームの映像の中、浮かび上がる犯人役の山崎努のサングラスの光が心に刺さる。

 黒澤明が数人がかりのチームで脚本を書くのは有名な話。本作もレギュラーメンバー菊島隆三以下四人がかりで仕上げられている。面白いのは、各自でパーツを分けて書くこと。そして、それぞれが書いたパーツを最後に結合する。

 クロサワのフィルモグラフィの中でも、きわめて特異といってもいい、海外の警察小説エド・マクベインの「キングの身代金」の翻案ものの本作は、そう意味でも、共作を色濃く臭わすほど、ドラマの構成がパーツ単位にはっきりと色分けされている。

 キングこと本作の主人公、権藤をめぐる誘拐の発生も含めたイントロダクションの第一部、次いで今も語り草となっている身代金受け渡しから、誘拐された子供の解放までの第二部。そして最後が、警察の捜査から犯人逮捕までのシークェンス。補足としてエンディングにエピローグが用意された三部構成となっている。

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 一番長いのは、本作の製作動機でもあった警察の地道な捜査を入念に描く第三部だが、特筆すべきは本作のキモといっていい第一部。上映時間2時間20分のうち、クロサワは何と50分をこのパーツに費やす。この第一部で徹底的なまでに描かれるのが、主人公のキングこと権藤(三船敏郎)の企業の経営幹部としての抜き差しならない状況だ。

 企業という組織で、自分が理想とする靴をビジネスとして成立させる。その自分のビジョンの実現のために権藤は持てる全財産を賭ける決断をしている。そこに自分の息子と間違われ運転手の息子が誘拐されるという報せが入り、自分の子供でもない他人の子供に対し、自分のほぼ全財産に相当する額の身代金を要求されてしまう。

 自分のビジョンの実現か、あるいは人の道を全うし世論を取るか、とにかくここで権藤はひたすら苦悩し、心境も二転三転変化する。面白いのはこの第一部、余計な状況描写が一切ない事。キャメラも権藤邸の居間に据えたまま、クロサワ独自の望遠で、まるで舞台劇を目の当たりにするかのように撮っている。

 クロサワとしてはここで権藤を完全な袋小路に追い込み、観客を権藤に完膚なきまでに感情移入させることで、もう一つの製作動機だった、当時、実刑としては極刑ではなかった営利誘拐の犯罪としての凶悪さを印象付けたかったに違いない。

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 現実に、映画はシリアスでスタティックな第一部が開けると、束縛から解放されたかのように、まるで見違えたように走り出す。最も有名だが、わずか10分程しかない特急列車での身代金受け渡しの第二部は。まるで別の映画のようにアクティブだ。

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 そして、クロサワの静の部分と動の部分が絶妙なコンビネーションを見せる、警察の地取り捜査を描く第三部は圧巻そのもの。

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 犯人との電話での会話の、わずかな手掛かりから、犯人像を絞り特定する。警察の捜査本部の会議での、各セクションの受け持ちの刑事たちの捜査報告を残らず語らせる圧倒的リアリティ。やがて狭まる包囲網の中で鉄壁と思われた犯人の竹内(山崎努)にも焦りが出始め、というくだりになり始めると、もう画面から片時も目が離せなくなる。

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 しかし、本作。やはりというか、クロサワの出世作となった「酔いどれ天使」において、大嫌いなヤクザに引導を渡したいがために撮ったと明言したその作品において、皮肉なことにヤクザ役の三船敏郎が最も魅力的に輝いたように、この「天国と地獄」においても、結局、一番のインパクトを放つのが犯人役の山崎勉だ。

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 最後のエピローグに本作でもっとも有名なセリフが出て来る。死刑が確定した竹内が権藤に面会に来てくれと頼み、向かい合って対峙する。

 そこで山崎演ずる竹内が権藤に向って、こう言う。

自分のいるアパートは「冬は寒くて寝られない。夏は暑くて寝られない、その三畳の部屋から見上げると(高台の)あなたの家は天国のように見えましたよ。毎日毎日、見上げてるうちに段々、あなたが憎くなってきた。しまいにはその憎悪が生きがいみたいになってきたんですよ」

最後に魂から絞り出すかのような竹内の慟哭で暗転して映画は終わる。

 このセリフとエピローグがあるからこそ、本作は現代の社会が抱える格差という暗部にもリンクするアクチュアリティを持った傑作となり得たような気がするのですよね~