コーエン兄弟のデビュー作にして、その作品群中、極私的最高傑作。勘違いと思い込みが生み出す殺人の連鎖のノワールの魅力をそのスクリプトから読み解く!
(評価 84点)
INT. CAR NIGHTWe are looking at the backs of two people in the front seat--a man, driving, and a woman next to him.
(<夜、車中> 二人の人物がこちらに背中を向けてフロント・シートに座っている―男が運転し、女がその隣に座っている)
コーエン兄弟のデビュー作「ブラッドシンプル」のイントロの後の、最初のシーンは、いかにもノワールものを思わせる、不倫関係にあるレイ(ジョン・ゲッツ)とアビー(フランシス・マクドーマンド)の二人が車中にいるこんなカットで幕を開ける。
80年代の半ばに登場し、息長く傑作群を発表し続けたコーエン兄弟は、そのインディペンデンスなスタンスとクリエイティブなスタイルから、ずっと憧憬に近い存在だった。そのコーエン兄弟の映画の魅力は何といっても常に兄弟自身が手掛ける脚本の魅力にある。
現在では、映画の脚本、つまりスクリプトをフリーで閲覧、ダウンロード出来るサイトが山ほどあるが、今でも負け犬が十数年来、愛用しているのは、dailyscript.comというシンプルなサイト。
冒頭の一文は、そのサイトにUPされている、コーエン兄弟の手による「ブラッドシンプル」のスクリプトから抜粋したフレーズだ。このサイトからは、コーエン兄弟のほぼすべての作品のスクリプトがフリーでダウンロード出来る。だから「ビッグ・リボウスキー」などの殆どの作品をこのサイトで読みふけったものだった。
コーエン兄弟のスクリプトは実に簡潔。そして文章からビジュアルが立ち上ってくるような錯覚を覚えるほど極めて映像的なのが特徴だ。
アビーの亭主マーティ(ダン・ヘダヤ)はレイとの不倫の証拠を掴むため探偵のヴィッセル(M・エメット・ウォルシュ)を雇う。しかし、この探偵、ハードボイルドなヒーローどころかとんでもない悪党で、この映画そのものを牽引する強烈きわまりないキャラクターなのだ。
実際、本作のプロットの組み立ては、最先鋭のノワールらしくきわめて綿密。だから映画を見て、その複雑な寄木細工のような組み立ての見事さに酔い痴れても、すぐに展開を忘れてしまい、それを確かめるためにまた見てしまうということを永遠に繰り返すことになる。
まさに、それをジックリたしなむのにスクリプトを座右に置いておけば最適な映画といえる。
勘違いの連鎖から皮肉な思い違いをしたまま、ヴィッセルに命を狙われ、アビーが窮地に追い込まれるクライマックス。そもそもコーエン兄弟がこの映画を作る動機となったキー・イメージこそがこのくだり。アビーが手にした銃で、ドア越しのヴィッセルに向けて弾丸を放つ。このシーンはスクリプトではこう描写されている。
With the roar of the gun, a small circle of light opens in the door. As the door waffles under the impact, we hear Visser collapsing behind it.
(銃の轟きとともに、ドアに小さな穴が一つ開き、そこから光が差し込む。ドアが衝撃で揺らぎ、背後でヴィッセルが倒れる音がする)
そして、本作のエンディングは、横たわった悪党のヴィッセルが見つめる自分の真上にある洗面台の配管をつたって、一粒の水滴が垂れ落ちるという印象的なシーン。ちなみにこのくだりは
HIS POV
A condensed droplet trickles down the chrome. Directly overhead, it hangs for a moment from the lowest joint of the pipe. It fattens, wavers, wavers--and falls, spelling...
(<ヴィッセルの主観ショット>一粒の大きな水滴が洗面台のクローム官のパイプを滴り落ちている。まさに真上。それはちょうど一番自分の鼻先のパイプのつなぎ目まで垂れて来ると一寸止まる。水滴は、そこでどんどん大きくなるや、それとともに震え出し、やがて耐えきれなくなり、そのまま落ちてくる、まさに目に向って・・)
欲望がもたらした犯罪の連鎖の非情な結末を、引力の法則によって垂れ落ちる水滴でシンボリックに表現したエンディング、まさにフィルム・ノワールの傑作にふさわしいシーンではないでしょうか。今回はコーエン兄弟によるオリジナル・スクリプトをほんのちょっぴりだけ、ご紹介しました。