飛び込んだその場所は芸能界ならぬネギ畑
紋次郎といえば中村敦夫、中村敦夫といえば紋次郎。紋次郎を語る上で中村敦夫抜きに語ることなど有り得ない。そしてその役と同一化することで、ここまで神秘的なカリスマの威光を放つ存在も唯一無二といえるのではなかろうか。座頭市の勝新太郎ですら、さすがにカリスマの威光とまではいかなかった。
元々、俳優座に所属していた駆け出しの俳優に過ぎなかった同氏を見出したのも市川崑監督。電通のプロデユーサーと崑監督が待つ喫茶店に現れた中村敦夫の、その逆光のシルエットを見て、崑監督はこいつこそ紋次郎だと即座に閃いたという。
面白いことに崑監督が当時、このキャラクターで常にイメージしていたのがあのマカロニウエスタンの最高傑作「荒野の用心棒」のイーストウッドの名無しのジョーだった。
大画面に映えるひょろ長い体躯に、薄汚れたポンチョ。それがヌっと立ち尽くすバカデカイ三度笠と道中合羽をまとう紋次郎のシルエットとピッタリ重なった。そういわれればソックリだ、誰もが膝を叩くに違いない。
その大抜擢と共に中村敦夫はスター街道を駆け上り、そのカリスマ性をも失うことなく、後には小説家、そして国会議員へとマルチな活動を続けることになる。
おそらく今までどこにもドキュメント化されていないはずの、自分の記憶のみに残る、とっておきの中村敦夫の証言がある。
その人気絶頂時、中村敦夫がお昼のとある主婦層向けの番組に出演し、インタビューされた。その時、語った告白によれば、ニヒルの代名詞、中村敦夫、実は病的なほどのネギ嫌いだという。
(ということは、つまり「水車は夕映えに軋んだ」の冒頭、あれほど旨そうに食っていたソバもネギが入っていなかったことになる)
そして、ある日の撮影時、例によってあのワイルドな立ち回りの最中、勢い余って飛び込んでしまった場所がネギ畑。慌てて周りを見回し、ネギ畑だと気づいた途端、何と、そのまま卒倒!したらしい。
ニヒル、虚無。カリスマのイメージからは有り得ない、何ともチャーミングな逸話だ。
この両極端な二面性こそがカリスマそのものなのかもしれませんね