負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

紋次郎のDNA「股旅」

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1973年4月7日、当時の日本のインディペンデント映画の雄ATGの配給によって一本の時代劇映画が公開された。それこそが、日本映画の巨匠市川崑の手による、TVシリーズ木枯し紋次郎のDNAをそのまま受け継ぎ、さらにそれを抽出ろ過しギュッと煮詰めたような傑作時代劇だった。

 70年代初頭、市川崑にはどうしても作りたい映画があった。その映画とは時代劇。中でもその定番ジャンルの”股旅”ものだった。だが、その製作のための資金集めに難航する。そんな折、市川崑は当時、映画製作のために読み漁っていた股旅小説の中のある作品に着目する。それこそが笹沢左保の「木枯し紋次郎」だった。

 それまでの股旅ものとは全く異なるドライなテイスト。人情に厚いどころか、他人との関わり合いを一切避ける主人公のニヒリズム。そしてその主人公がいつも咥える長楊枝と、その小説はどれをとっても異質そのものだった。そこで、市川崑はその小説のTVシリーズ化を思い立つ。だが、その本心には、自分だけの股旅ものの劇場映画の資金の調達という目的があった。

 市川崑が企画を持ち込んだプロデューサーの浅野英雄もその斬新さに瞠目。主役は顔の売れていないまったくの新人俳優で、ということにあくまでもこだわった市川崑自身が見出した逸材、中村敦夫が紋次郎に抜擢される。その後の紆余曲折を経て「木枯し紋次郎」がスタートしたのは1972年の正月だった。TVシリーズは爆発的にヒット。その成功を経て市川崑念願の劇場映画「股旅」の企画が動き出す。

 市川崑がこの作品でこだわり抜いたのは、股旅ものにおける一切の妥協を許さない徹底したリアリズム。かくして、今見ても斬新かつ画期的な股旅映画が誕生する。

 主人公は、渡世の稼業を目指そうとする黙太郎(萩原健一)、源太(小倉一郎)、信太(尾藤イサオ)の三人の若者。映画は、この三人の駆け出し渡世の実態を、まるで現場のルポルタージュのようなタッチでリアルに描き出す。ここには、股旅ものに付き物のカッコ良さ、ヒロイズムなどかけらもない。何処までもみじめでみすぼらしい無宿人、今でいえばただのホームレス、身分不相応に夢だけが大きいフリーターの若者に過ぎない。

 しかし、この映画が独創的なのは、そうすることで、まるでこれから股旅稼業を目指す人間向けの、ハウツーのマニュアル本のようなテイストを持っていること。

 冒頭、いきなり三人が、これから草鞋を脱ごうとする一家の土間で順番に切る田舎もの丸出しの仁義のリアルかつユーモラスな描写にまず驚かされる。

 尾藤イサオの信太が一家の貸元の前に中腰となり、親指を手のひらに織り込む仕草をし、いきなり声を張り上げ

「これにておひきゃ~えをねぎゃーえます・・」と切り出すとこは爆笑もの。

いわばこの映画、以下のように章立てされた股旅リファレンスマニュアルなのだ。

  • HOW TO 仁義
  • HOW TO メシの作法
  • HOW TO 一宿一飯の恩義
  • HOW TO ケンカの作法

たとえばチャプター2の渡世人が一宿一飯の恩義に授かる際の”メシの作法”ではナレーションによって実に詳細かつ実用的にその作法が語られる。

「旅人はメシは二杯食べねばならなかった。一杯だけでは仏様に供えるのと同じだから縁起が悪いとされていた。そこで二杯食べきれない時は、一杯目のメシの真ん中だけを食べてメシを足してもらって二杯とするのが作法であった・・」とこんな具合。まるで自分が江戸の時代のその現場に居合わせているかのような感覚すら抱かされる。

 しかし、このネオ・ニューウエーブな「股旅」を見れば、あの紋次郎のDNAがそっくり引き継がれていることは一目瞭然。

 ボロボロの三度笠、長年の汚れでゴワゴワになった道中合羽。さらには三人がめぐる日本の美しい情景の数々。その作品のルックスは紋次郎そのもの、だが、この映画ではそのエッセンスがいわばギュッと凝縮されている。

 市川崑の傑作時代劇「股旅」は紋次郎の作品世界の真髄を堪能できる作品でもあるのだ。