負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。また、日々のトピックや時事問題に関する雑感を、生き物たちが繰り広げる動物コミックのスタイルでご紹介!どうぞお楽しみください

負け犬の死んだ心が復活したらまた死んで悲しかった件「レナードの朝」

人間がガラスのように繊細で神秘に満ちた生き物であることを痛切に知らしめてくれる医療ドラマの傑作!

(評価 84点)

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眠ったままの脳細胞が薬の力で奇跡のように復活する。しかし、その奇跡も束の間、夜空で輝いた打ち上げ花火のように、はかないものだった。

 人間は、何かを感じ喜びや悲しみを形として表面に出す。すなはち、それが生きること。でも、もしも、感情は確かにあるのに、それを表に現わすことが出来なくなったら、その人はやっぱり人間と言えるのか?

 本作は、そんな重い命題を扱いながらも、開巻からラストまで圧倒的な面白さで釘付けとなり、ラストには深い感動の余韻がいつまでも心に残る医療ドラマの傑作だ。

 冒頭のこれは実話であるとのキャプション通り、1920年代に流行した嗜眠性脳炎に侵された患者の治療に実際に携わった医師オリバー・サックスの著作に基づく本作。映画ではロビン・ウィリアムズがサックスをモデルにしたセイヤー博士を演じている。

 セイヤーが、赴任して来たブロンクスの神経病専門の病院で、たまたま目にしたレナード(ロバート・デ・ニーロ)という患者に興味を持ち、調査を続けるうちに、院内の患者たちと嗜眠性脳炎との関連とに気付き、パーキンソン病の治療薬L-ドーパを患者に投与すること思いつく。病院とレナードの母親を説き伏せ、ほんの試験的に投与したL-ドーパ。しかし、そのLドーパによって、完全にコミュニケーション能力が死に絶えていたレナードが、覚醒したかのように歩き喋り出す。その劇的な効果に驚いたセイヤーが他の患者にもLドーパを投与すると、まるで奇跡のように、感情が死に絶えていた患者たちが次々と復活する。喜びに沸くセイヤーたちだったが、実はLドーパには一過性の効果しかなく・・・。

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 ハートフルな「ビッグ」で驚かせてくれた女性監督ペニー・マーシャルの最高傑作といっていい本作は、ウェットになりがちな実録医療物という題材を扱いながらも、決して感傷的になり過ぎず、無駄が一切無い、簡潔そのもの演出ながら、それでもラストには号泣させてくれるその演出がまずは見事の一語に尽きる。

 本作は、紛れもない実話だが、フィクションの要素が多分に取り入れられている。まず、主人公のセイヤーが申し分のないキャリアを持ちながらも他人とのコミュニケーションが苦手なコミュ障であるところ。本作は、この設定が実に大きなメタファーになっている。回復したレナードが、人生ではじめて女性に興味を抱き、逆にセイヤーよりも積極的になって立場が逆転する。そして、それが、セイヤーが同僚の女性と初デートに出かけるささやかな救済といっていいエンディングの見事な布石となる。

 そんな事を抜きにしても、本作は純粋なエンタメと言っていい程面白い。

 セイヤーがはじめて接する神経性の患者たちにとまどいながらも、その患者のリアクションという、わずかな手掛かりから、嗜眠性脳炎との関連を探り当てて行く序盤のスリリングな面白さ。やがて、パーキンソンのLドーパの投与を発案し、その効果を見守る過程には、サスペンス性すら帯びている。そして、脳細胞が眠っていた患者たちが、元通りとなって一気に喜びが拡散するそのドラマ。

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 そして、何よりも特筆すべきは、神がかりと言ってもいい程のデ・ニーロのスーパー・リアルなその演技。完全な麻痺状態で身動き一つ満足に出来ないレナードに扮するデ・ニーロがフレームにはじめて捉えられたその瞬間の圧倒的な存在感。薬の効用で、歩き、話せるようになり他人とコミュニケーションをたどたどしく始める時の、その仕草と身のこなし。やがて、一過性だったLドーパの効用が失われ始め、四肢のコントロールが効かなくなりはじめたグロテスクといってもいいほどのプロセスでの凄まじい演技。本作におけるデ・ニーロの演技は、まさに神が宿っていたと言っていい。

 本作が実録ベースであることが、薬に治療そのものの効果が無かったことが明かされる非情と言ってもいいほどの後半の展開に生かされている。でも、だからこそ、レナードが思いを抱いていたポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)に手を取られ、ダンスを踊るシーンで号泣させられてしまうのだ。

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 薬の効果で回復したレナードと再び会話を交わせるようになり、手放しに喜んでいたレナードの母親が、レナードの気持ちがポーラに向き始めると、手のひらを返したように、セイヤーを非難する、子離れできない母親の悲哀というビターなディテールをきちんと描くところも実に説得力がある。

 本作を見ていて、結局、クスリや医療に一過性の効果しかないという切なさをどこかで見たと思っていたら、あの「アルジャーノンに花束を」を思い出した。あの作品もまさに、知的障碍者の男性が、画期的な療法によって天才的な知能を発揮するが、その療法にも持続性はなく元の障碍者にもどっていくという寓話だった。

 人間は、脳細胞と言う無限大の可能性を持つギフトを与えられた生き物。しかし、同時にガラスのように繊細でこわれやすい生き物であることが、この作品を見ていたら切ないほどに痛切に感じさせられる。まさに本作はそんな作品ですよね~