負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のハリウッド王国の夢の跡「雨に唄えば」

儚くも消えた映画における一ジャンル、ミュージカル。その頂点に君臨する作品こそ、映画は夢、夢こそ映画。そんな世界をヴァーチャルに体感させてくれる傑作だ!

(評価 82点) 

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神業のステップ、その動きと身のこなし。もう二度と再現出来ない夢の世界。今後も決して現れることのない唯一無二のパフォーマーたちの圧巻のダンスの連続に、ただただ酔い痴れる。

 映画にはカットがあって、シーンがあって、音楽がある。映画というインフラが出現して以来、すっかり映画がデジタルになった今に至ってもその基本フォーマットは何も変わっていない。しかし、その映画の歴史のパラダイムを大きく転換するようなパワー・シフトがたった一度、存在した。セリフである。スクリーンの中で、俳優たちが自らの声で喋り出したのだ。

 かつてあだ花のように咲き誇り、すっかり姿を消したミュージカル。そのミュージカル映画のオールタイム・ベストに常にランクインする本作は、無声映画の時代から、トーキー誕生に至る、映画業界における、大騒動の顛末記だ。

 とかく、いわくつきの世界の裏話は、面白い。それがトーキーの誕生にまつわるバック・ストーリーとあらば、そのドタバタだけで面白いに決まっている。それに、人間業とは思えない、エンターティナーたちのパフォーマンスが加われば、それはもう夢としか言えない絢爛豪華な世界が現出することになる。

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 大スターのドン(ジーン・ケリー)は、公私共のカップルと見なされている人気女優のリナ(ジーン・ヘイゲン)のわがままにいつも手を焼いている。今日もプレミア会場にリナを伴い現れたドンは、会場のレッド・カーペットの上で、スタント・マンとして業界に入った駆け出し時代のことを思い出している。

 ヴォードヴィルの舞台で、大親友のコズモ(ドナルド・オコナー)と一緒に、唄った日々。駆け出しのスタント・マンとして、やぶれかぶれのスタントで頭角を現し始めた頃のこと。かくして、リナとコンビになったことで一躍スターの座をつかんだドンだったが、スターという身分もつらいもの。そのプレミアの夜もファンに追いかけまわされ、たまたま逃げ込んだのが、新人女優のキャシー(デビー・レイノルズ)の車だった。聡明で才能あふれるキャシーに一目ぼれするドンだったが、その頃、ハリウッドにはトーキーという新たな大波が押し寄せていた。

 とかく、ミュージカル映画のストーリーというのは、他愛のないもの。しかし、それも必然で、シリアスで、込み入ったストーリーなら、逆に歌や踊りが成り立たなくなる、ただでさえミュージカルは、ストーリーの流れを一時中断するかのように、歌やダンスをインサートしなければならないという代物で、だからこそ、何かとこのジャンルの映画との距離感も自然と開いてしまうもの。

 しかし、本作に限って言えば、心配ない。たとえ、歌やダンスがなくともそのドタバタの展開だけで十分なほど面白い確固たるプロットが、本作にはある。そもそも、舞台がスタジオだから、急にキャラクターが歌い、踊り出したところで違和感も何もない。そして、そのプロットに超一流エンターティナーの至高の芸がプラスされるから天下無敵なほど面白い。

 開巻、早々、ヴォードヴィルの舞台で見せる、ジーン・ケリードナルド・オコナーの二人が披露するタップのステップに目が釘付けになる。そして。スタジオの楽屋裏でドナルド・オコナーが躍動感たっぷりにパフォーマンスする、コミカルでアクロバチックなダンスに圧倒される。

 プロット展開もスピーディ。大ヒットした他社のトーキー映画第一号「ジャズ・シンガー」に続けとばかり、製作中の無声映画をトーキーにするアイデアまでは良かったが、肝心の主演女優のリナは歌えず喋れずの役立たず。しかし、コズモがキャシーの声をリナにアテレコで吹き替えることを思いつき・・。

 本作は、サイレントからトーキーへシフトするメイキングを実地で見ているような楽しさにあふれている、歴史的なターニングポイントを絵解きで解説してくれるような面白さにも満ちている。特に、記念すべき自社のトーキー第一号となるはずの初号の試写で、全く音が合わず、ノイズも入りまくり、フレームもブレブレなシーンには、思いきり笑わされる。

 そして、ジーン・ケリーが、出血大サービスとでも言わんばかりに、手を変え、品を変え、次から次へと繰り出すダンス・シーンの素晴らしさ。ダンス!ダンス!ダンス!パフォーマーたちが、ただひたすら目指すのはザッツ・エンターティメントの頂きなのだ。

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 あの、あまりにも有名過ぎる、「雨に唄えば」を歌い踊るシーン。ジーン・ケリーの足元で。はじける水しぶきの一粒一粒までもが、振り付けされたかのような魔術的な世界には、ただもう見惚れるしかない。そのステップは勿論、その動き、身のこなし、指先のポーズにいたるまで、ジーン・ケリーは、その存在そのものが芸術といっていい。

 とにかく本作は、そうして繰り出されるダンスやクラシカルな合成も楽しいポップなシーンの数々を、ただ無心に楽しんで、あれよあれよと見るうちに時間が夢のように過ぎて行く。

 勿論、最後は身もふたもない、あからさまなハッピーエンドだけど、ザッツ・エンターティメント・スピリッツの塊のようなエンターティナーたちへの惜しみない賛辞もあいまって、素直にホロリと泣けてしまう。

 かつてハリウッドであだ花のように百花繚乱に咲き誇っていたミュージカル。今や、リアリズム偏重な映画ばかりになってしまったが、そもそも現実を切り取るキャメラで撮影するものだから、それも必然なのかもしれない。キャメラの向こうに有り得ない絢爛豪華な夢の世界を現出していたミュージカルが、再び台頭することなど、おそらくないのだろう。

 時代の、必然でもあるけれど、その時代と共に消えて行った、ジーン・ケリーフレッド・アステア、それにドナルド・オコナーといった神業としか思えないパフォーマーたちがこの世に再び現れることなど決して有り得ないのだから。

 ただ、ミュージカルは何となく苦手というだけで、もしも、この世界を未体験という人がいたら、この未体験ゾーンを見逃しておく手はないですよ~