負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬は三万三千五百六十円也「お葬式」

唯一無二、世界初にして最後。日本人にしか作れない、エッセイ映画の金字塔!

(評価 90点) 

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見るたびに笑い、しんみりとし、感動の余韻に胸が熱くなる。そして、決まって最後には人間が愛しくなる、愛してやまない邦画の大傑作。

 死亡診断書込み、処置料しめて33、560円也。主人公の侘助山崎努)の妻の雨宮千鶴子(宮本信子)の実父が急逝する。その知らせを聞いて、慌てて一行は病院に駆け付ける。33、560円とは、その時、侘助のマネージャー里見(財津一郎)が、遺体の処置にまつわる請求書を、病院のカウンターで受け取る際に告げられた金額だ。そして、里見は、事の大きさとは、不釣り合いな、あまりにリーズナブルな金額に吹きだしそうになる。

 人間の人生の終着点のセレモニーにおける事の次第を、お金の尺度で捉えたシーンは他にもある。例えば、里見が真っ先に都合をつける、納棺するための棺の値段が13万。更には、通夜で念仏を唱えてもらう僧侶に払うお布施の値段。この場合のお布施の値段に、決まりなどない。ここで葬儀社の責任者が侘助たちに告げるのは、要は、式を出す側の当家の懐次第、そこでお宅様ぐらいの所帯なら20万円ではどうですかと進言する。

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 かつて80年代を彗星のように駆け抜け、そして、散って行った一人の天才監督がいた。伊丹十三である。俳優として既に確固たるキャリアを築いていたその伊丹の映画監督ビュー作となった本作の製作費は、しめて、きっかり1億円。そのタイトルから、大手の映画会社の全てに配給を断られ、結局、ATGからひっそりと配給された本作は、製作費の十倍以上もの12億の興収をあげた。

 かくして、そんなセレモニーの一部始終のプロセスを事の発端から、終わりまでを、そのまま映画にするという、それまで誰も発想すらしなかった画期的な映画がここに誕生する。人間の人生の終着点に予告などという、都合のいいものは無い。それは急転直下、いきなりやって来る。そして、縁という絆で多少なりともつながる人間たちは、否応なしに、その処置に巻き込まれることになる。

 伊丹十三自身の実体験に基づき、一気呵成に書き上げられた脚本に基づき、作られた本作には、そんな人間の縁という絆以上の、シンパシーに満ちている。ここにあるのは、そのセレモニーの対応に追われた人間なら、誰でも共感できるあるある感に他ならない。

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 何と言っても、まずは、前述のお金の話。厳粛なセレモニーであることは百も承知。しかし、この問題は、どんな家庭でも避けては通れない。悲しいかな、一番の問題は、セレモニーを請け負う業者から提示される金額について価格交渉の余地がない事(笑)。車の見積もりじゃないし、値切るのもみっともないし・・と言っているうちに、あれよあれよと費用が膨らんでしまい、というのは、まあ、誰にでも思い当ることがあるはず。

 本作には、そのテーマ上、必ずついてまわる筈の、ウェット感というものが殆ど無い。それもこれも、このお金の問題の描写に顕著に見られるドライな感覚と。誰もが追体験するはずのあるあるの既視感からくる親近感に違いない。

 実際、このあるある感が本作を牽引する効果は、半端ではない。そうだよね~こんな事、あるよね~と、次々と矢継ぎ早に繰り出されるあるある感に浸っているうちに、たちまち時間が過ぎて行く。そして、そのあるある感のクスクス笑いを爆笑に変えてくれるバイプレイヤーたちも実に豊富。

 代表格が仏の実兄で、実業家の正吉に扮した大滝秀治。この大滝秀治の、大ボケ演技に加え、尾藤イサオ岸部一徳佐野浅夫藤原釜足の他、数え上げればきりがない程の名バイプレイヤーたちが実在感たっぷりに笑わせてくれる。そして、忘れてはならないのが、個人的人間国宝クラスの女優菅井きん。このリアリティ、この奥深さ、そしてそのエモーションの豊かさ。本作は、日本の俳優たちの世界随一といってもいいポテンシャルの高さを堪能できる作品でもある。

 そして、こうした俳優陣のアンサンブルから醸し出されるのは、人間と、人間の絆というものへの惜しみない愛情だ。

 千鶴子(宮本信子)が、お父さんは湿っぽいのは嫌いよ、と言って、従妹の茂(尾藤イサオ)の手を取って、島倉千代子の「東京だヨおっ母さん」を唄い踊るシーンから沸き上がって来る情感の途方もない大きさ。

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 三日間にわたる行事を、何とかやり遂げ、ふと振り返った火葬場の煙突から、遺灰のかすかな煙が、控えめに舞い上がっている。それを親族一同が見上げるカットがもたらしてくれる感動。そして、怒涛の三日間を、登場人物たちと一緒に乗り切った安堵感を、こちらまで体感しているような感覚を覚えた後に見舞われるのが、人間というものへの愛しさだ。こんな式の最中でも、子供たちはまったく屈託なくフザけている。その事に救われる。そんな子供たちも大人になって、家族を持ち、また同じサイクルが綿々と繰り返される。でも、それこそが人間なのだ。そんな事まで、本作を見ると感じさせてくれる。

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 自分自身が義父のお葬式で右往左往した体験に遭遇し、たちまち一週間で書き上げ、自宅の別荘でそのままロケし、何かに突き動かされたようにして作った本作は、そう意味で、もっともパーソナルかつ、ストレートに伊丹監督の持てるセンスが吐露された、もっとも幸福な創作物といえる。その創作物に、そのまま直に指で触れる幸福感が、ここには確かにある。

 一貫してドライな感覚と、過激な性描写から、敬遠される向きもある伊丹作品だけど。その諸作品を今、見返すと、途方もなく面白い。代表作の「マルサの女」など、何度、見ても見始めるやイッキ見必至の面白さ。それに、今のグルメ関係のコンテンツを先取りしたような「タンポポ」など、数々の画期的な作品を作ってくれた伊丹監督。既成の概念を軽々と打ち破ってくれたこの痛快なトリック・スターのような伊丹十三が、今も生きていてくれたら、どんな作品を作ってくれただろう?

 本作で煙突を見上げ、感慨にふけった出演者同様、空を見上げてそんな事を考える今日この頃なのです。