負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬はたった一人で月面を歩けるか?「マン・オン・ザ・ムーン」

ボクは人間だ!だから人の感情を揺さぶりたい!たった一人で月の上を歩いた男、伝説のコメディアン、アンディ・カウフマンの生涯に泣いた!

(評価 80点)

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 ボクサーは、他人を殴って倒す宿命を、そして医者なら患者の命を助けるという宿命がある。プロフェッショナルな仕事を生業とする人間なら皆、それ相応の職業上の宿命を背負っている。だが、その背中にのしかかる宿命が、十字架のようにもっとも過酷な職業は何だろう?それは、舞台に1人で立つ寄席の芸人ではなかろうか。だって、コメディアンは、そのパフォーマンスで、他人を笑わせなければいけないのだから。

 この世は、憂鬱や不安に満ちている。一方で、マスメディアのフタを開けてみれば、それなりに、笑いはいたるところにあふれている。でも、かつて従来とは異なる全く異次元の笑いで世間の度肝を抜いた伝説のコメディアンがアメリカにいた。

 1970年代に活躍した異形のコメディアン、アンディ・カウフマンを、これまたフリークなカメレオン俳優ジム・キャリーが、ルックスも、そしてメンタルでもアンディになりきって演じた伝記映画にカテゴライズされる本作。「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」などの超名作を連発した名匠ミロス・フォアマンが、その才能を存分に示したバイオグラフィ映画の傑作といっていい。

 このアンディ・カウフマンという実在のコメディアン。本作を見るまでは、その存在すらまったく知らなかった。でも、本編を見れば、そのパーソナリティがただ者ではなかったことが誰の目にも一目瞭然で良く分かる。そして、目指そうとしていたそのベクトルが、他の同世代はおろか、現代のコメディアンたちとも、まるで一線を画していたことも。

 コメディアンであれば、先ずは気にするものといえば、当然ながら観客の笑いのバロメーター。このアンディが革新的かつ唯一無二の芸人だったのは、コメディアンが本来、気にするはずの観客の受けというものを、まるで気にしなかったこと。自分が面白ければそれでいい。ある意味、アマチュアリズムだけで突っ走ってプロの壁をぶち破ってみせたところにあった。

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 しかしながら、最初は、まったく売れないボードビリアンでしかなかったアンディだが、ブレイクしたのは、エルヴィス・プレスリーのモノマネという、実にスタンダードな成り行きだった。ジム・キャリーが演ずるアンディがプレスリーを熱唱するこのくだりは、誰が見ても笑えるはず。本作の監督のフォアマンも、たまたまアンディが出演したこのクラブに居合わせ、この時の実物のアンディが演ずるプレスリーのパフォーマンスをリアルタイムで見て、度肝を抜かれた一人だったのだ。

 かくして、このパフォーマンスがスカウトマンの目に留まったアンディは、当時のバラエティー番組としては、レジェンド的ステータスの「サタデーナイト・ライブ」に一躍、抜擢される。まったく無名の芸人の初登場に、満員の観客が固唾を呑んで見守る中、アンディがその時、やってのけたのが型破りなネタだった。それは何と沈黙ネタ。舞台に上がったはいいが、ただモジモジしているだけでアンディは何も喋らない。観客もTV局の連中もやきもきし始めた時、傍らにあったプレイヤーにレコードをかける。すると、どうやら子供向けの歌が流れ出す。それでもアンディは、無言のまま・・。しかし、歌のサビの部分にさしかかると、いきなりレコードに合わせ、口パクで朗々と歌う。ここまで意表を突かれたらもう笑うしかない。

 この一か八かの掟破りのネタが大うけする。それまでアンディの芸風などまるで知らなかった負け犬も、この芸人の発想と度胸にここで度肝を抜かれ、一気に映画本編に引きずり込まれていったのだ。

 その後、アンディはこれまた当時の人気シリーズ「TAXI」のパイプレイヤーに起用され、その人気が一気に全米に知れ渡る。それでも、アンディのスタンスは唯我独尊。あくまでもマイペースに自分だけの芸の世界をひた走る。それはどこか誰もいない月の上をたったひとりでフワフワと歩く人間のようなのだ。

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 このアンディがきわめてユニークだったのは、自分が愛されるパーソナリティになることを願望しつつも、もう一人の自分、つまりはドッペルゲンガーを生み出したこと。そのドッペルゲンガーが、トニー・クリフトンというクラブ歌手だった。アンディ自身が巧みに変装したこのトニー・クリフトン。あまりのアクの強さにまったく笑えない。それどころか観客に嫌悪感すら催させる奇妙なキャラクターなのだ。

 この悪フザケとしか言いようがない芸と遊びともつかないパフォーマンスからも分かるように、言うなればアンディは、子供がそのまま大人になったようなもの。アンディにとって芸とは、子供のごっこ遊びそのもので、子供がごっこ遊びに他人を巻き込みたくて仕方ないように、アンディも観客を自分の世界に強引に巻き込みたいのだ。

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 ところが、そんなアンディがガンに侵される。それも、タバコなど一切、吸ったこともないのに肺ガンに。それを告白しても、皆がギャグだと思って、まともに取り合ってくれないところが悲喜劇そのもので何とも可笑しい。

 そして、いよいよ末期にさしかかると、神頼みでアンディはフィリピンに飛ぶ。そこでは、奇跡と唱って、素手で体の腫瘍を引きずり出す療法が行われている。そこで、アンディは、療法士が予め動物の臓物を手に忍ばせているのをまざまざと目撃する。その人生の末路の究極のギャグにアンディが思わず笑い出す。その顔が、安らかな死に顔にオーバーラップしていき・・・。

 本作の監督のミロス・フォアマンは、元々、チェコ時代から才気あふれるコメディで有名だった。チェコ時代のコメディ作品は今見ても本当に面白い。だから、どの作品にも、どこかコメディで培った才気が横溢している。本作でも、年代順にアンディという一人の芸人の軌跡を追いながら、不世出のコメディアンのパーソナリティをテンポ良く実に巧みに引き出しているところが素晴らしい。

 エンディングのREMのテーマ曲もいい。見終わった後、アンディが無邪気に月の上を浮遊するイメージにどなたでも、いつまでも浸れるのではないでしょうか。

 しかし、ここまでぶっ飛んだギャグと芸の数々、現代のTVでは、ついぞ見かけないし、やろうたって不可能でしょうね。すくなくともヘタレな負け犬には、そんな度胸は無いのです(悲)