セブンティーズの空気感とサイケでジャッロな殺人劇が見事にマッチしたこれこそ掘り出し物の良作サスペンス!
(評価 78点)
負け犬ほどのシニアな映画フリークなら、誰でもゴールデンな黄金時代というこだわりの年代があるのではなかろうか。そのゴールデンエイジこそ、まさにアメリカ映画が鋭角な切り口で華開いた70年代。
序章ともいうべき「フレンチコネクション」を筆頭に、「タクシードライバー」や「狼たちの午後」など、唯一無二なその時代の名作を挙げだしたらキリがない。
そして、主に当時のニューヨークを舞台にした、そうした作品に共通するのが、エッジの効いた空気感。ハイパーリアリズムのような、ザラザラとした質感を思わせるルックスだった。
かくして、本作の「アイズ」。製作は70年代の末尾の1978年。「JAWS」を端的な例として、当時、映画のビジュアルイメージが映画ポスターでほぼ決定づけられていた時代、ポスターの全面を占める主演のフェイ・ダナウェイの顔のクローズアップに、真っ白な三白眼を晒したインパクトのあるイメージが映画雑誌に載っていて、まさに目を奪われてもいた。
だが、高名な女流写真家が、サイキックな霊視能力で、殺人現場をリアルタイムで霊視出来るようになって・・云々のB級っぽい紹介記事と、当時のどっちつかずの曖昧な映画評を見て、勝手に駄作と決め込んで、フェイ・ダナウェイがそのトレードマークの美脚を顕わにしてキャメラを構える決めのビジュアルは脳裏に刻み込まれながらも、結局、今の今まで、見る事もなく年月が過ぎ去っていた。
以来、幾年月、急に、その「アイズ」の脚本があのジョン・カーペンターだったのを思い出したことをきっかけに、懐古趣味もあいまってようやく見た本作。何のことはない、これが掘り出し物の良作ですっかり嬉しくなった次第。
開巻は、いきなりの主観ショットが繰り出される霊視による殺人シーン。この自らのサイキックな能力に慄きながら事件に巻き込まれるのがフェイ・ダナウェイ演ずる写真家ローラ・マーズなのだ。
ファースト・シーンから歴然なように、本作の基本コンセプトは、イタリアで隆盛を誇ったスラッシャーな殺人シーンが売りの通称ジャッロ映画のアメリカナイズ。これなど、自身映画マニアなジョン・カーペンターならではといったところ。
しかし、本作ではイタリアンでグロな殺人描写はまずなく、それに取って代わるのが、ローラを取り巻くファッション写真業界のビジュアライズと、それを彩る70年代のイカすディスコ・ミュージックの数々。
とりわけ、何よりもこの負け犬のアンテナにずばり刺さったのが、ローラの作品群のリソースの写真に、あの巨匠ヘルムート・ニュートンの作品群が惜しむことなく使われていることだった。
ニュートンといえば、カミソリのような目の覚めるような切り口で被写体を切ってのけるエロスの巨匠だが、本作の、エロスと暴力という作品テーマを売りにファッション写真業界で時の人となるローラ・マーズというキャラクター設定に、これ以上ピッタリな逸材はいない。
この負け犬も若い頃からニュートンの作品群には心酔していて、写真集も何冊も持っている。
フェイ・ダナウェイとヘルムート・ニュートン。しかし、よくもまあ、こんなゴージャスなカップリングが実現したなと思う間もなく、つぎつぎとアクテイブにセブンティーズのルックスと、実際のヘルムート・ニュートンの作品の撮影現場の再現を思わせるシーンがディスコ・ミュージックの軽快なテンポそのものに繰り出され、あれよあれよと引きづりこまれていく。
ローラを取り巻くバイプレイヤーも、トミー・リー・ジョーンズにブラッド・ドゥーリフ、それにラルフ・ジュリアと、その時代に異彩を放った嬉しくなるような曲者ばかり、とくれば、もう二転三転して犯人が、ジャッロ映画の定石通り明かされるラストまで目が放せなくなってくる。
そもそも、本作に手が及ばなかったのも、監督が手垢のついたような高齢の職人監督のアーヴィン・カーシュナーだったからなのだけど、本作では、或る意味、職人臭さを臭わせない実にフレッシュでアクティブな演出で目を見張らせてくれる。
ニュートンのビジュアルに、ブラックコーヒーのようなテイストでアメリカナイズされたジャッロ映画のトーン、それにピリピリとした殺伐としたイカすセブンティーズのルックスとディスコミュージックの混然一体とした世界、あなたも是非、いかがでしょうか。
負け犬のような映画フリークからすれば、これが、監督がアーヴィン・カーシュナーではなく、当時、気鋭の映像の魔術師ブライアン・デ・パルマだったなら夢のドリームマッチになったのに・・・などと淡い夢まで見させてくれる憎い存在なのですよね~