狂気のレジャーに興じるイカレた鬼畜野郎に鉄槌を!よみがえるセブンティーズテイスト満載の忘れざるリミテッドアクション
(評価 78点)

その昔、うら若き頃、テレビの洋画劇場でたまたま目にして、脳みそのひだに克明に刷り込まれた映画というものがあって、そんな映画に限って、目撃した時の衝撃が忘れられず、ビデオ、dvdとメディアを変えながら見続ける映画というものがある。
ただしその中でも、すっかりコンテンツがマーケットに浸透した現在、今となってはごくまれだが、ビデオにも、そしてdvd化もされずにマーケットに流布されなかった稀少な作品というものがある。当然、そういう作品に限って、初見の時の衝撃が脳内で膨満して、恋焦がれている相手に会うかのようにもう一度見たいと切望するものなのだ。
そして、負け犬にとってのそんな作品こそが本作「ダーティハンター」

おそらく、初見は荻昌弘さんの月曜ロードショー、その後の再見は、淀川長治さんの日曜洋画劇場だったろうか。
ホームパーティのシーンから実になにげなく始まる本作。近所の馴染みの3人の男たちがヴァケーションのレジャーに繰り出す。その屈託のなさは、どこから見てもいつものハンティングの小旅行に過ぎない。
オープニングのさりげないテイストは、四人の男たちがダムに水没する河で最後のカヌー下りのレジャーを楽しむために繰り出す、これもセブンティーズな大傑作ジョン・ブアマンの「脱出」の冒頭を思わせる。ところがあの「脱出」が、イノセントな中年男たちが恐怖に見舞われる超絶サスペンスだったのに対し、本作はベクトルがまるで異なる。その恐怖をもたらすのが、他でもない屈託のないこの3人の男たちなのだ。

3人の男たちに扮するのがピーター・フォンダ、リチャード・リンチ、ジョン・フィリップ・ローと繰れば、セブンティーズ世代の負け犬にとってはたまらないメンツである。
そんな三人組がハンティングトリップで滞在するロッジに向かう途上、たまたまガソリンスタンドで見かけたイケてる美女と中年男とのカップルの車に追いすがるや、実に何の気なしに、そのままヘラヘラと不敵に笑いながらロッジに連れ込み拉致してしまう。

ノーマルなトーンがいきなりアブノーマルに変容する転調にも驚くが、映画は、そこからさらに異様なテンションへと包まれていく。のらりくらりとした会話で、不敵に笑いながら三人は、レイプ寸前の好色な目つき丸出しで女をねめまわし、男の自尊心を踏みにじる。
我々は、そこで、イージ・ライダーでチョッパーに跨りフリーダムを求めたはずのキャプテン・アメリカが、ゲス極まりない露骨さで散々、カップルをいたぶるさまをを見せつけられる。
ここで覚える不快感は、あのペキンパーの「わらの犬」で見せつけられるド田舎の下品なカントリー・ピープルに覚える嫌悪感や、ブアマンの「脱出」で、都会の中年男たちが山男たちに追い詰められ、男が男にレイプまでされてしまう衝撃的な不快感と、どこかセブンティーズの遺伝子のようにつながっている。
その不快感のサスペンスが一気に高まるのは後半、ネチネチとカップルを虐めていた三人が、あっさりとカップルに解放してやると申し渡してから。
一瞬、喜ぶカップルだったが、三人のニヤけた顔を見て、すぐに自分の身の顛末を察する。
そう、自分たちはこれから狩られるのだ。

きっと、休暇の度に三人は、行きずりの人間たちを捕まえては、今までに何人も動物さながらハンティングの餌食にしてきたのに違いないことが、そのもののセリフはないが、見ている側はすぐに分かる。
そして、そこから繰り広げられる絶望的なマン・ハント。ここのくだりは70年代の映画らしく、ひたすら無情である。
カップルの男は、あっさりと殺され、それまでは気丈を保っていた女が、おろおろとあられもなく命乞いする。その女が実にあっさりと射殺される無慈悲ぶりにただ戦慄するが、ここらへんのドライな感覚こそ、ある意味、70年代映画の負のベクトルのフリーダムの証だろう。
しかし、実は、本作が本領を発揮するのはここからなのだ。
女を仕留めたその時、どこからか跳弾してきた弾丸が、三人のうちの一人を撃ち抜く。
それを機に、それまで人間狩りで、レジャー気分を満喫していた鬼畜野郎どもが、一気に恐怖を顕わにしてオロオロと身構える。
負け犬が本作を初めて見て、もっとも衝撃的だったのが、狩る側が突然、狩られる側の下剋上に見舞われる、こちらまでが一瞬、慌ててしまうほどの、この全く予期せぬ、映画の中のキャラクターのヒエラルキーの上下関係の唐突な逆転劇だった。
それは、それまでは露骨に嫌悪感しか感じていなかった三人組に、それが恐怖を感じるや、その恐怖がこちらに伝染するかのような得も言えぬ複雑なカタルシスといえようか。

そして、二人が姿なきスナイパーに射殺され、一人残ったピーター・フォンダの目の前に、そのスナイパーが何の衒いもなく姿を現す。
ここも、負け犬にとっては実に衝撃だった。何の気なしに冒頭に伏線が提示されていて、まさに伏線が回収されるという作劇のマジックの一つをまざまざと見せつけられたような、といえば少し大げさかもしれないが、それ程この顛末はさりげなくも衝撃だったのだ。
本作、スペイン資本のためか、メジャーによる配給ではなかったことが災いしたのか、前述のように、ソフト化されて知名度を高めるという恩恵に授かることも出来ず、作品として、長年、不遇を余儀なくされたわけだけど、それが実に何と、この令和の時代の2026年に4Kでレストアされて公開された。

この映画の、ニューシネマの感覚を色濃く投影した、ある意味、のびやかともいえる無邪気なアンチモラルな大胆さこそ、この負け犬のハートに今でもくすぶる70年代のあの劇画隆盛の時代感の象徴のような気がするのはこの負け犬だけだろうか。
それは恐れ知らずに、たとえばジョージ秋山の「銭ゲバ」や「アシュラ」が少年誌に堂々と掲載されていた、あの創作の自由な空気にもどこか似ている。
ただ、それがこの令和に復活したということは、マンガでも映画でも熱くたぎっていた70年代、その残り火の火照りを求めているのがこの負け犬だけではなかったという証なのでしょうね~
ビバ!セブンティーズ!