負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。そして、木枯し紋次郎を完全コミック化(笑)した「劇画!木枯し紋次郎」を日々、配信中!色々な動物が繰り広げる動物コミックもあわせてお楽しみください

負け犬もサイコも同じデ・パルマニア「アメリカン・サイコ」

80年代バブルという時代が生み出した一人のヤッピーの狂った日常を描くハイパー・テンション・ホラー・コメディの佳作

(評価 74点)

 

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すさまじい情報の洪水で一人の人間の病理を描いた傑作文学の映画化は、実にあっけらかんとしたポップ・ホラーだった。

People are afraid to merge on freeways in Los Angeles.

(誰もが怯えるものらしい、ロスのハイウェイで合流する時って・・)

 今は、すっかり死語と化したが、かつてジェネレーションXという言葉があった。60年代中期~70年代前半にかけて生まれ、経済成長の恩恵を一身に授かった富裕層の二世にあたる世代のことだ。そのジェネレーションXの中でずば抜けた感性で文壇にデビューし、一世を風靡した作家こそ「アメリカン・サイコ」の原作者、ブレット・イーストン・エリスだった。冒頭はそのエリスの大ベストセラーとなったデビュー作「レス・ザン・ゼロ」の最初の一文だ。

 この書き出しのたった一行の文章だけでも、エリスの感性が並々ならぬことを感じていただけるのではないでしょうか。実際、この負け犬もその文章に衝撃を受け、原書まで買って、今でも座右の書のようにして、その原文の素晴らしさを堪能している。

 エリスの世界の魅力とは、まさにその何不自由ない若者ならではのアンニュイな倦怠感と、あらゆるメディアの洗礼を受けて研ぎ澄まされた、剥き出しでありながらも、洗練されつくした感性に他ならない。実際、今でもエリスの文章を読むたびに、鮮やかに浮かび上がってくる映像と、MTV的とも評されたポップそのもののリズミカルな文体、そして、とても二十歳そこそこの若者が書いたとは思えない文学的な深さにも驚嘆してしまうのだ。そのエリスがバブルの絶頂期に発表したのが「アメリカン・サイコ」だった。

 この「アメリカン・サイコ」も小川高義氏による翻訳版の文庫本は刊行早々、読んでぶっ飛んだ。最初の一ページ目から、びっしりと紙面を埋め尽くす、世相に対するどうでもいいような戯言。そして、ブランド品に対するムダ話、果ては、延々と続く電化製品の機能や、内部構造の説明に至るまで。冒頭だけではない、最後の一ページまで本書はそうしたムダな情報のただの集積といっていい。そして、その情報に交じってこともなげに、ただの何でもないトピックのようにインサートされる、主人公ベイトマンによる残虐無比な人体破壊描写。主人公ベイトマンは、人間ではない。怪物であり、まぎれもなく病理だ。病理たる一人の人間を、徹底的に無駄な事柄で紙面をびっしりと埋め尽くすという方法論で描いた本書は、バブル期の社会全体を風刺するサタイアといってもいい。しかし、無機質に記述されたその文章の魅力は、やっぱり健在で、本書も翻訳だけでは飽き足りず、原書のソフトカバーを買って、今も時々、読んでいるほど好きな作品だ。

 だから、原作に対するそんな思い入れもあって、映画版の「アメリカン・サイコ」を見るのは、長い間、二の足を踏んでいた。でも、思い直してようやく手に取って、物は試しにというつもり程度で見たのだった。結果、そんなに悪くないどころか、結構、イカす作品だったのだ。

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 本作の監督メアリー・ハロンの、この曰く付きの原作に対するアプローチのメソッドは実に単純だ。原作のトピックを順番に配置して、後はヒューイ・ルイス&ザ・ニュースやフィル・コリンズなどのエイティーズのポップスをふんだんに散りばめる。言ってみれば、ただそれだけ、でも、その簡素なアプローチが功を奏し本作はライト・テイストでポップな、ホラー・コメディとでもいうべき作品になっている。

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 原作の最大の特徴の膨大な蘊蓄は、モノローグで簡潔に処理し、ムダ話が延々続く会話は適度に切り詰める。通りすがりにホームレスにナイフをぞんざいに突き刺す、同僚のポール・アレンを斧で殺害する。更にはコール・ガールをチェーン・ソーの餌食にするなど、勿論、要ともいうべきスプラッターにも事欠かないが、比較的控え目だ。また、原作にもある、ボディバッグに入れた死体を、そのまま悠然と引き摺って歩いたり、ヘリが飛び交いパトカーまで爆発する、警官と派手な銃撃戦を繰り広げたりしても一向に捕まりもしないシーンを描くことでシュールなテイストを表現することにも成功している。

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 ただ、一つ残念だったのは、原作でもっとも好きな箇所、主人公のパトリック・ベイトマンクリスチャン・ベール)が行きつけのレンタル・ビデオ店に立ち寄り、ビデオを借りるシーンが無かったこと。実はこのベイトマン、原作では、あのブライアン・デ・パルマのフィルモグラフィの中でも駄作として名高い「ボディ・ダブル」の熱狂的なファンなのだ。中でもその作中のメイン・イベント、電動ドリルで女が殺害されるシーンの偏執的なマニアで、店内でもそのシーンを夢想しながら、ビデオを借りるのだが、何とこのベイトマン、もう37回もそのビデオを借りている。同じデ・パルマ好きとしては、その「ボディ・ダブル」のクリップも交えてのスプラッターも見たかったところ(作中では「ボディ・ダブル」の代わりに、エクササイズするベイトマンが見ているモニターに、あのトビー・フーパーの「悪魔のいけにえ」が映るシーンが出てきます)。

 しかし、37回も借りるぐらいなら、ソフト買った方がよっぽど早いのに・・と思うのはこの負け犬だけではないでしょうね~