負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の毎日がドラゴンだった件「燃えよドラゴン」

ブルース・リーの前にドラゴンはなく、ブルース・リー以降もドラゴンなどいない、唯一無二の永遠のカリスマとの出会いの記録

(評価 84点)

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1974年のあの日。永遠に忘れる事が出来ない未曾有のカリスマとの衝撃の遭遇。そしてその衝撃は今なお、栓を抜いたばかりのサイダーの泡のようにふつふつとはじけているのだ。

 ちょうど映画の世界に魅せられ始めたばかりの頃、小学生のガキんちょだった負け犬が、楽しみにしていたのが毎週金曜日の新聞の夕刊だ。翌日の土曜日から公開が始まる映画の広告が決まって載るからだ。新聞の粗い画像の広告の写真を見ながら、その映画がどんな映画が想像をたくましくするのがことのほか好きだった。

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 そして、それは年末の年の瀬の頃だった。学校から帰り、夕刊を拡げると、その夕刊には、上半身裸で黒いタイツを履いた男の写真が載っていた。男が手にして掲げているのは短く黒い二本の棒を鎖でつなげた器具のようなものだった。そんな姿や恰好をした男を映画の中で見かけたことなど、一度たりともない。少年時代の負け犬が、それを見て途方に暮れたことは言うまでもないだろう。ただ、一つうかがいしれたのは、広告に書かれたコピーからその映画がアクション映画らしい、その雰囲気だけだった。よく見るとコピーに怪鳥音と書かれてある。怪鳥音?いったい何のことだろう?その広告を前にしていつまでも思いをめぐらしていたことを昨日のことのように覚えている。

 そして、如何にも007の亜流のようにしか見えないその映画のことなどすぐに記憶から消し飛んだ頃、三つ年上の兄貴が、その映画を友達と一緒に見に行った。帰って来た兄貴は二冊のパンフレットを持っていた。兄貴が言うには、やたらと面白く、一本だけでは辛抱足りず、もう一本、見た目が良く似た類似の映画をハシゴしてしまったという。

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 いきおいで良く似た代物をハシゴしてしまうほど面白い映画などこの世にあるものか。兄貴の話を聞きながら、持ち帰ったパンフレットをパラパラと眺めたら、夕刊の広告のあの男の写真が載っている。兄貴の興奮ぶりを目の当りにしたら、おしなべて真似したがりの弟のことだ、翌日にも映画館に飛んで出かけるところだが、もう一冊のパンフレットを見て、半信半疑の思いの方が、その時は勝っていた。

 その二冊目のパンフレットの映画があまりにもショボくて安っぽくて、うさん臭かったからだ。その映画のタイトルは「片腕ドラゴン」。

ところが、たちまち騒然としだした世間に対する好奇心に煽られて、尚も半信半疑のまま、ようやくその問題の「燃えよドラゴン」なる映画を、親父に連れていってもらって見たのだった。

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 見に行ったのは、73年の年も明けてしばらくたった頃。その頃になるとまさしく日本中が前年の暮れに公開されたこの「燃えよドラゴン」のことで話題がもちきりなっているような状態だった。

 出かけて行ったのは、当時の梅田花月のすぐそばにあった映画館。その時代の映画館たるや、今のシネプレックスなる行儀のいいものなどとはまるで違う、いわば映画小屋。映画館につくや、噂には聞いていたが、その観客の多さにまずビックリした。何とか入場券を買ったはいいが、中に入ろうにもドアを閉められないほどの人また人で、入るどころの騒ぎではない。かくしてガキんちょの小ぶりな体躯を活用し、アミの目をくぐるようにして中に入り込み、すし詰め状態のその劇場の通路の階段に腰かけて、ようやく始まった映画を見たのだった。そして、少年だった負け犬の体内に沸き起こったのは、鼻血が迸りそうになるほどの興奮だった。

 その出来事から、信じられないような年月が経った。でも、その時以来、自分の瞼に焼き付いたブルース・リーの姿はいささかも霞んでいない。その動き、身のこなし、そしてようやくそれと知れた怪鳥音のアチョー!の雄叫びも、まるで昨日、耳にしたように鼓膜に焼き付いて。そのすべてが1974年の映画館で目撃した鮮明な姿のままなのだ。

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 その時、たちまち柳の下のドジョウを当て込んで速攻で公開されていた香港カンフー映画のショーケースのような「片腕ドラゴン」のジミー・ウォングのように(このポンコツぶりは、これはこれで今では愛すべきものにはなっている)、亜流ドラゴンたちがたちまち堰を切ったように日本にも溢れたけれど、ブルース・リーだけは、やはり唯一無二のドラゴンで永遠のカリスマなのだ。

 今、YouTubeなどにも日常の顔のように、その動画が氾濫しているブルース・リー。しかし、そのカリスマの出現をリアル・タイムで目の当たりにした人も少なくなっているはず。その出現に実際に遭遇し驚嘆した、これはその時のありのままの貴重でライブな証言の記録なのです。