負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬もミラーボールに大興奮!これは夢のタイム・マシーンだ!「サタデーナイトフィーバー」

今夜はフィーバー!年甲斐もなく興奮させられた血沸き肉躍る夢の映画!

(評価 89点)

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もうこれは映画を超越したフェノミナだ!これを見れば誰もが若き日にタイムスリップ出来る夢の結晶!

 70年代のアイコンといえば、ブルース・リーに、ファラフォーセットのピンナップ、それにスタローンの「ロッキー」のポスター。そして70年代の掉尾を飾ったのが、ディスコクラブのフロアーで、ウィニングポーズのように右手を高くつき上げた、真っ白なスーツ姿のジョン・トラボルタ

 本作「サタデーナイトフィーバー」は、劇場ではなく1981年に、サヨナラおじさん淀川長治氏の「日曜洋画劇場」で、鳴り物入りで放送された時に見ている。何せこれほどのディスコ・ナンバーがぎっしりと詰め込まれた作品だ。権利上の都合もあって、TVで放送されたのは、それ一回きりだったような気がする。

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 そして、その時の印象はといえば、トラボルタのカリスマチックなダンス・シーン以外、さしたる印象も残らなかった記憶があった。しかし、なんの因果か、ふと本作の存在を思い出し、気まぐれに手に取って40年もの時を経て見た本作は、オープニングのその瞬間から、時間という感覚が消失するような血沸き肉躍る作品だった。

 何といってもイントロ。ジョン・トラボルタのトニーの靴がアップで映り、同時にビージーズのステイン・アライブが流れ出した瞬間から、まるでタイム・マシーンにでも乗ったように、3~40年前の自分に戻ったような感覚を覚えてしまったのだ。

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 それから後はもう、トラボルタの一挙手一投足に釘付け、ダンス・フロアーで皆が横になって分りやすいステップで踊るお決まりのラインダンス。更に、映画史上のモニュメント、中盤のトニーのフロアーでのソロダンスでは、胸が熱くなって大興奮。そして、ビージーズの優しい歌声が流れるエンディングまで、息を詰めて画面を食い入るように見つめ、見終えた後も興奮冷めやらず、胸がザワついて仕方なかった。

 何故だろう?そこでひとしきり考えてしまった。この負け犬にしても、さすがにディスコ・ブームの時代には、まだ夜遊びに明け暮れる年代には達していなかった。リアルタイムで体感したわけでもないのだ。しかし、本作のトラボルタのトニーには、誰もが若い頃に持っていたフィーリングそのものを最大公約数的に体現しているような何かがある。

 未来なんてクソくらえ、それより今この瞬間の楽しさ、この週末の絶頂感だけが生きがいだといった無軌道さは、若い頃なら誰でも何がしか持っていたはず。しがないペンキ屋の店員のトニーは、普通に学校で勉強をし、会社でルーチンワークをこなす、この負け犬でもあり、あなたでもあったのだ。

 そして、そんなデッドエンドなトニーが、唯一無二の存在感を示せる場所が、ディスコダンスのフロアーなのだ。だからこのワーキング・クラスの庶民のヒーローのトニーに誰もが共感し、熱狂したのに違いない。

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 でも、それだけではない。何よりもジョン・トラボルタの常識を超越するほどのカリスマチックな魅力。ダンスの動きはもとより、そのキュートな笑顔。当時、本作を観た誰もが、頭の先からつま先までトラボルタになりきって劇場を後にしていたはずのその姿がありありと目に浮かぶ。

 本作の撮影中、トラボルタは20才年上の最愛の恋人を亡くしている。その喪失感を振り切ってトラボルタは全身で本作に打ち込んだ。本作には、そんなトラボルタの魂が乗り移ったかのようなビビッドな魅力に溢れていて、その全身から発散されるようなセックス・アピールには、この負け犬ですらやられてしまいそうになるエキスがある。

 実際、公開当時の本国におけるトラボルタ・フィーバーの凄まじさは常軌を逸する程だった。連日連夜、トラボルタの住むマンションの周囲を群集と化したファンが取り囲み、ゴミとして出されるトラボルタの下着を奪い合った。

 まあ、本作から発散されるフェロモンのようなエネルギーを実感すればそれもむべなるかなという話なのだが。そもそも本作のランニングタイムは120分。40年前にTV放送で見た時は、20分強はカットされていたはず。その時、さしたるインパクトがなかったのも、ひょっとしてそのせいかもしれない。

 改めて見ると、超絶的なダンス・シーン以外にも、ドラマ部分が実にいい。親と同居するトニー一家の食卓のシーンのリアリティ。一家では神父となったことでヒーロー扱いされていた兄のドロップアウトをめぐるささやかなドラマ。そしてトニーと仲間たちの袋小路の生活の焦燥感。

 実は本作、撮影開始直前まで、監督はあの「ロッキー」を撮り終えたばかりのジョン・G・アビルドセンが担当するはずだった。しかし、クリエイティブなアプローチで製作者のロバート・スティグウッドと対立し、「ロッキー」がオスカーにノミネートされたその日に解雇された。急遽、代役として監督したのがジョン・バダムだったというから面白い。

 結局、このチョイスがベストだったのかもしれない。本作をネオ・ミュージカルとして製作陣が位置付けながらも、めくるめくダンス・シーンと、ドラマ部分のバランスをしっかりとコントロール出来る手腕はタダモノではないと感じた。

 若い頃には、誰も親の言う言葉などに耳すら傾けない。しかし、年を取るに従い、誰の目の前にも現実という壁が立ちはだかる。クライマックスのダンス・コンテストのシーンで、明らかに自分の方が劣っているのに、クラブの主催者の意向でファースト・プライズにされてしまったトニーは、ご都合主義という現実をまざまざと突きつけられる。

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 そして、その夜、仲間の一人がブルックリン橋から墜落するムダ死にを目の前で目撃し、トニーの中で何かが確実に変わる。トニーがビージーズの「How Deep is Love」をバックに地下鉄を乗り継いで夜明けの街を帰路に着くシーンが、実に胸に沁みる。

 若さは誰の人生にも一度しかない。しかし、トラボルタというアイコンが、その若さをまるでフリーズドライのアイテムのように、このフィルムに封じ込めてくれた。たった一度しかない若さの一端に触れるため、また負け犬はこの作品をきっと見るに違いない。

 思わぬ出会いがある。再見してみるまでは、これほど興奮させられるとは夢にも思わなかった本作。それこそが、映画フリークが映画をめぐって永遠にドリフティングを繰り返す、その理由なのでしょうね~