負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>負け犬とモスキート「バートン・フィンク」

カンヌ映画祭の大舞台を制したのは、インディペンデンス出身の小さな一匹の蚊だった。コーエン兄弟のシュールなノワール・スリラーの傑作映画。そのオリジナル・スクリプトをご紹介

(評価 84点) 

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ON BARTON FINK

He is a bespectacled man in his thirties, hale but somewhat bookish. He stands, tuxedoed, in the wings of a theater, looking out at the stage, listening intently to end of a performance.

In the shadows behind him an old stagehand leans against a flat, expressionlessly smoking a cigarette, one hand on a thick rope that hangs from the ceiling.

The voices of the performing actors echo in from the offscreen stage:

バートン・フィンク。眼鏡面で年の頃は三十代、たくましさはあるものの、本の虫めいたか弱さもにじませた男。タキシード姿のそのフィンクが、舞台の袖に立ち、芝居を見つめ、一心に耳をすませて役者たちの演技が終わる瞬間を待っている。背後の暗い舞台裏では、年老いた道具係が書き割りにもたれかかっている。タバコを吸うその顔はまったく無表情で、片手には天井から垂れ下がっている太いロープが握られている。画面の外の舞台上で演技する俳優たちの声が響くように聞こえる)

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 「バートン・フィンク」がパルム・ドール、監督、男優賞の三冠を制した1991年のカンヌ映画祭。それもそのはず、その時の映画祭の審査委員長があのロマン・ポランスキーだった。ポランスキーは自他共に認める、閉ざされた空間での神経症的でニューロティックなスリラーをもっとも得意とする作家。となれば、この「バートン・フィンク」が波長に合わないはずはない。かくしてポランスキーの大絶賛によって映画史にその名を留めることになった本作。コーエン兄弟によるそのスクリプトの冒頭は、自分の舞台劇を、息を詰めて見守るフィンクの姿から始まる。

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 その芝居は喝采のうちに幕を閉じ、フィンクは新進気鋭の劇作家としてハリウッドの目に留まる。かくして夢のハリウッドのキャピタル映画社に脚本家として雇われたフィンクは、その第一作となる脚本の執筆のため、ホテルで缶詰め生活を送ることになる。

 本作は簡単に言えば、一人の作家のスランプ地獄を描いた映画と言える。ホテル暮らしを送ることになったフィンクは、ただの一枚も書くことが出来ず悶々とする。その生みの苦しみに徹底的にスポットを当てる。考えて見れば、そんな映画はそれまでなかった。

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 しかし、コーエン兄弟の映画が、それだけで終わるわけはない。たった一人でホテルの部屋にこもるフィンクにも、チャーリー(ジョン・グッドマン)という気の許せる隣人が出来るのだが、そこから本作は、唯一無二ともいうべきノワール・スリラーの様相を呈していく。

 そしてクライマックスでは、妄想とも現実ともつかないシュールきわまりない圧倒のシーンが繰り広げられる。カンヌでも話題を呼んだ、炎に包まれるホテルの廊下のシーンは、スクリプトにはこう書かれている。

The hallway. Its end-facing-wall slowly spreads flame from where the wallpaper droops.

LOW STEEP ANGLE ON ELEVATOR DOOR

More red bottom-lit smoke seeps up from the crack between elevator and hallway floors. With a groan of tension relieved cables and a swaying of the elevator door, a pair of feet crosses the threshold into the doorway.

(廊下。廊下の両側の壁紙が垂れ下がるそばから、ゆっくりと炎が拡がっていく。

<廊下の床すれすれに撮られたエレベーターのドア>

より赤味がかった煙が、エレベーターの隙間、そして床の廊下の割れ目から漏れ出している。

張りつめていたケーブルが緩む音とともに、エレベーターのドアが開き、その敷居をまたいでドアから足が現れる)

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このシーンで、エレベーターのドアから現れる男を待ち受けるのは二人の刑事。そして、その男とは、フィンクの気の良い隣人のはずのチャーリーなのだ。この直後、廊下を炎が舐め尽くし、その業火の中を、雄叫びを上げながらチャーリーが突進してくる。

 劇場で見た時は、1940年代独特のフィルム・ノワールの感覚とシュールなスリラーがシームレスに融合したそのテイストに、すっかり魅了された。以来、コーエン兄弟の作品の中でも、もっとも好きな映画になっている。

 女性の剥き出しの裸身にとまる一匹の蚊、ダラリと垂れ下がるホテルの壁紙、チャーリーから託された箱の中身といった様々なディテールが実に魅力的で、その多くの謎が観客に委ねられたままで終わる本作。それを象徴するような、ホテルの壁にかけられた一枚の絵。その絵とそっくりに切り取られた構図のエンディング・カットに今も尽きない想像をめぐらせている毎日なのだ。

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 そもそも、本作の脚本が「ミラーズ・クロッシング」の脚本執筆時にスランプに陥った兄弟が、息抜きに即興程度のいきおいで書いたものであったことは有名な話。本作では、そのスランプのメタファーとして、ハリウッドにいないはずの蚊の襲来にフィンクは夜毎、悩まされる。この映画で、乾燥地帯のハリウッドには蚊がいないことを初めて知ったのだが、本当だろうか?

 毎年、夏には庭先の蚊の襲来に悩まされる負け犬としては羨ましい限り。ハリウッドに引っ越そうかな~