負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。そして、木枯し紋次郎を完全コミック化(笑)した「劇画!木枯し紋次郎」を日々、配信中!色々な動物が繰り広げる動物コミックもあわせてお楽しみください

負け犬の熱き反逆のエレジー「ガルシアの首」

文字通りの賞金首に群がる負け犬どもの壮絶かつ悲壮な末路へのささやかな手向けがギターの音色なのか

(評価 74点) 

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負け犬を描いた映画は数々あれど、ただその散り様を描くだけではない、それを滅びの美学にまで昇華し得た作家はおそらくサム・ペキンパーだけではなかろうか。誰もが認めるペキンパーのフィルモグラフィの頂点「ワイルド・バンチ」はまさにその純粋な結晶体のような作品だった。

 その昔、「デリンジャー」で映画監督デビューを果たしたジョン・ミリアスが来日をした際、当時まだ映画ジャーナリストだった原田真人とのインタビュー記事が「キネマ旬報」誌上に掲載された。原田真人は筋金入りのペキンパー崇拝者、そんな同氏が、男性派のミリアスに対し、当然、ミリアスもペキンパーは好きだよね、という振りでしきりに質問をするのだが、意外なことにミリアスはペキンパーが大嫌いらしく、アクションシーンをモタモタとスロー・モーションばかりで撮る奴だ、とにべもなく取り合いもしなかったのが妙に可笑しかったのを覚えている。

 原田真人によればペキンパーのスロー・モーションにはノスタルジアの喚起を促すとか、何とか理屈を色々、言うのだが、そもそもクロサワ崇拝者のジョン・ミリアスにとっては全く合わないようで、感性が違えば、映画の受け取り方もやはり人それぞれなのだということを思ったりもした。

 実は、当時、負け犬自身もどちらかといえば、ジョン・ミリアスの意見に賛成で、ペキンパーのスロー・モーションが苦手な口だった。ところが、いつの頃か、テレビの洋画劇場では当然、大幅にカットされていた短縮版の「ワイルド・バンチ」でしかなかったその作品の全長版をようやくビデオで目撃した頃からだったろうか。「ワイルド・バンチ」の凄さや価値にようやく気付き始めた。

 かくして今ではマイフェイバリットの珠玉のベストの座にまで上り詰めた「ワイルド・バンチ」を筆頭に、ペキンパーが自分の映画遍歴上の作家に、なくてはならない存在となったわけだが、本作「ガルシアの首」はそんなペキンパーが自分の好き放題に、ある意味暴れまくった映画といえる。この暴れまくったというのが、より銃撃戦を派手にしたとか、そんなベクトルでは全くなく、自分の撮りたいスタイルに乱暴なまでにこだわったといえようか。

 自分の娘を孕ませたのが、アルフレド・ガルシアという男であることを知ったメキシコの大地主が、その首に懸賞金をかけ、首狩りを命じるという、明らかに日本の時代劇の戦国武将の首盗りのエピゴーネンたる本作のストーリーからも、ペキンパーが本作に込めた尋常ならざるこだわりは明確だ。はっきり言って本作のアクションは、「ワイルドバンチ」とは比べようもないほど地味である。しかし、どうしようもないほどコテコテに濃いのは、たまたま恋人でもある娼婦のエリータの顔見知りでもあったガルシアの首に懸賞金がかかっていることを知り、既に事故で死んだというそのガルシアの首を自ら斬りとって届けようとするベニー(ウォーレン・ウォーツ)という主人公のキャラクターだ。

 食い詰めた挙句、メキシコの場末のピアノバーでピアノの弾き語りに甘んじるベニーはサム・ペキンパーそのものといっていい。

 ペキンパーの分身といってもいいウォーレン・ウォーツが演じているというだけではない、ドン底から這い上がるとうそぶいてガルシアの首に執着しながらも、底辺の世界でくすぶる甘美さからもまた逃れられないアンビバレンツな姿勢、それゆえにメキシコという土地の呪縛から逃れられないやるせなさ。だから、酒にすがるしかなく、もどかしさのうっ憤を晴らすには喚くしかない。

 どの作品の撮影現場でもモメ続け、異端視され続けたペキンパーそのものの姿がここにある。

 ペキンパー印のエレジーがもっとも滲み出ているのが、エリータからガルシアのことを聞き出し。そのまま二人でセックスをして目覚めた翌朝。ベニーが股間の異変に気付き、エリータから毛ジラミをもらったことを知り指でつまんで潰すというシーン。ここではちゃんとご丁寧に「プチッ」というおぞましいSEが入る。この柿の腐ったような匂い立つシーンが、本作のトーンを決定づけている。

 墓荒らしそのままに、掘り出したガルシアの首をベニーは切り取るが、そこを同業の賞金稼ぎに襲われ、エリータも殺される。首は何とか取り返すが、ベニーは今やたった1人の話し相手となってしまったハエの群がるガルシアの首に毒づき続け、呪詛の罵詈雑言を浴びせかけながら、地主のもとへと向かう。ここなど、ハリウッドを愛し、同時に憎み続けたペキンパーのフラストレーションがそのまま聞こえてきそうな気すらする。

 ベニーの末路など言わずもがなで誰にでも分る。ハチの巣にされて息絶えるだけなのだ。ひょっとして本作は、ハリウッドのA級監督にランクされる地位にありながらも、最後は結局メキシコの片田舎で、連れ合いでもあった、たった一人のメキシコ人女性に看取られただけでこの世を去ったペキンパーが予見した自身の末路を、ベニーに託して描いた作品だったのではないか。

 泥と血にまみれ壮絶に散ったニーへの唯一の手向けは、「ワイルドバンチ」にも出て来たギターの調べによる穏やかなメキシコの唄だけなのだ。