負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬の骨太の群像劇「L.A.コンフィデンシャル」

欲望と汚職が渦巻くLAの街に、男たちの熱い砂塵が吹き荒れる。骨太の骨格と、上質の風格を漂わせた傑作犯罪ノワール

(評価 78点)

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50年代L.A.P.D。そこは男たちの闘争の世界、正義を貫く場所、そして、一人の魔性の女の誘惑の世界。

 公開当時、批評家の大絶賛を一身に集めていた本作。劇場に駆けつけた負け犬も、その骨太のドラマと男たちの熱い生き様にしてやられたのを良く憶えている。

 ところが、その劇場の初見以来、何故か本作は再見することもなく、今回、およそ20年ぶりに見た次第。やはり、その骨太の構成と、アンタッチャブルな男の魂は健在だった。

 50年代、あの有名なブラック・ダリア事件に象徴される、スキャンダラスなハリウッドと暗黒街が切っても切れない関係にあった社会を背景にした本作。初見の時も、先ずは感心したのが、それまで小ぶりなサスペンス中心に活躍していたカーティス・ハンソンが、大掛かりな群像劇を、巧みにさばいてみせた、その手腕だった。

 本作が凡百の犯罪ドラマと一線を画し、激賛を集めたのも、基本、オーソドックスな刑事もののストーリー・ラインを、大河ドラマのような風格の群像劇にヴォリュームアップしてのけるハンソンの演出だった。

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 それゆえ、本作は、登場人物が多く複雑に錯綜する。また、原作がノワール作家の、ジェイムズ・エルロイのL.A.四部作の三作目というだけあって、キャラクター各人にバックストーリーがあり、その厚みゆえに、複雑さが一層、増す結果になっている。ひょっとしたら序盤にリタイアしてしまう人もいるかもしれない。しかし、そこで腰を据えてじっくり見るとラストに熱い感銘が待っている。これが骨太というやつなのだ。

 主要人物は、冒頭、タイトル・カードで簡潔にイントロダクションされる三人のコップ。小賢しい悪徳刑事のジャック(ケヴィン・スペイシー)と、女に暴力をふるう男を憎悪する暴力派バド(ラッセル・クロウ)、そしてエリート警官のエドガイ・ピアース)の三人だ。この三人が、署内で発生した、マイノリティーに対する暴行事件を皮切りに接点を持ち、やがてカフェで発生した惨殺事件に立ち向かう様子を描いている。

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 一番の見所は、群像劇の醍醐味で、この三人のキャラクターを照らし出すスポットの光の色がプリズムのように刻一刻と変化すること。

 DV犯罪の撲滅に執念を燃やすバドの暴力性におののき、ジャックが平然と汚職に加担する様子に嫌悪感を抱く。しかし、そんな三人がいつしか、手を組み共闘して立ち向かうまでの様子が、移ろいゆくプリズムを交え、捩れる何本もの細い糸が、次第により合わさって一本の太い綱となるかの如く、巨悪に向けられることで大きな感動を生み出している。

 その中で、登場から一貫してそのプリズムがブレないのが、ガイ・ピアース演ずるエドだ。同じく警官で、殉職した父親の遺志を継ぎ、揺るぐことのない力強い信念でドラマそのものを引っ張る強固な存在になっている。

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 ノワールといえば、欠かせないのがファムファタル。その魔性の女リンに、これ以上の存在は無いと思わせるほどの、美貌の絶頂のキム・ベイシンガーが扮している。たわわな胸に抜群のプロポーション、そして陶酔を覚えるほどの悩殺力。強面のバドもいつしかリンに、職務を忘れ本当に溺れていく。

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 この手の映画で、一番、感動するのは、やはり反目し合っていた男たちが、一つの巨悪に向って結束するところ。本作でも、終始、軽薄な調子で、見物を決め込んでいたケヴィン・スペイシーのジャックが、エドの覚悟を聞いて目覚め、闘いに加わるシーンには胸を熱くさせられる。しかし、そのジャックも、当初は黒人三人組が犯人とされた惨殺事件の、真犯人を追い詰めたところで撃たれて殺される。しかし、ジャックは瀕死の間際、最後の意地を見せ、犯人につながるダイイング・メッセージを残す。このくだりなど、あのブライアン・デ・パルマの傑作「アンタッチャブル」で、メンバーが一人1人殺される、あの切なさにも重複して来る。

 そして、犯人の工作によって、最後まで反目し合っていたバドとエドがいよいよ一触即発の対決の危機に陥ったところで、犯人の存在を告げられたバドが、ようやく目覚め。二人の刑事が遂に手を取り、犯人に立ち向かっていく。

 二人が挑む、最後のガン・ファイトのクライマックスは、まさに巨悪に寝返った悪徳保安官と対決する昔ながらの西部劇、ウェスタンそのもの。複雑に錯綜してきたドラマの集結を、オーソドックスなカタルシスで締める。本作、最大の成功の要因は、実はここだったのかもしれない。

 ラストも、オーソドックスなカタルシスは続く、熱い視線を交わし、分かれるエドとバド。そして、それを静かに見守るかつての魔性の女のリンは、今や母性のような優しさすら漂わせているというこの構図。

 長尺ながら、それを逆に最大限に生かして骨太に作り上げられたドラマの風格が、ふと懐かしくなった人には、まさにピッタリの作品ではないでしょうか。